第4話 2

 ドアをノックすると、すぐに返事が返ってきて、わたしは部屋に入る。


「やあ、アリア。どうしたんだい?」


 部屋の主――ケイン・スローグ……ケイン兄様は、ベッドの上で読書していたようで、本を開いたまま笑顔で、わたしを迎え入れる。


「いえ、そろそろお昼ですので。お加減を伺いに参りました」


 ケイン兄様は、開かれた窓から降り注ぐ陽光に目を細める。カーテンを揺らした風が、彼の金髪をもわずかに揺らす。


「もうそんな時間だったか。ダメだね。寝てばかりいると、時間が経つのが早い。

 そろそろ働きたいんだけど……」


「ダメですよ。お医者様も言ってたじゃないですか。一週間は療養を取るようにって」


 わたしの言葉に、ケイン兄様は苦笑して肩を竦める。


「わかったよ。大人しくしてる。

 黒森の様子はどうだい?」


「ケイン兄様が倒れられて結界が消失しましたが、領軍と冒険者のみなさんが頑張ってくれているので、今のところ、大きな被害は出ていません」


「……小さな被害は出ているんだね」


 ケイン兄様の問いかけに、わたしはため息をついて答える。


「森に隣接した農村のいくつかで、防柵が壊されていただけです。すでに兵が向かって駐留しているそうですよ」


「それでも、村の人達は不安だろうね」


 ケイン兄様は優しすぎるのよ。


 侯爵と同等とされる辺境伯という立場にありながら、農民の気持ちにまで配慮する貴族が、この国にどれほどいるだろう。


「起きてらっしゃるようですので、昼食をお持ちしますね」


 わたしは話題をそらして、部屋を後にする。


 城館の中を厨房に向かって歩いていると。


「――ア、アリアお嬢様!」


 執事がわたしを見つけて、慌てて駆け寄ってくる。


「ジュリアお嬢様と……王太子殿下がお越しです!」


 ……まあ。





 辺境伯の住居は、緊急時には城塞として活用する為、石組みの堅牢な造りをしていた。


 城壁に囲まれた城館の前で馬車は止まり、<狼騎>は拘束を解いて、着座姿勢を取る。


 その背中からユリアンが降りてきて、馬車を降りた俺達に告げる。


 女性騎士として認められた彼女は、もう髪を元の綺麗な銀髪に戻し、耳も尻尾も隠していない。


「ここがスローグ城館です。あっちに見える尖塔のある城塞は、有事の時のもので、普段はこちらで生活してるんです」


 ユリアンは玄関から出てきた執事に、二、三言付ける。


「先輩方には、部屋を用意させますので、後から来るメイドについて行ってください。殿下とニルス隊長は、兄の用意が整うまで、応接室でお待ち下さい。

 ――こちらです」


 そうして騎士達は馬車から荷物を降ろし始め、俺とニルス隊長、フランの三人は、ユリアンの案内に従う。


 通された応接室で、フランがお茶を煎れる。


 ヨソで出されたものは、毒味なしではなるべく口にしないのは、面倒だが王太子としての義務だ。フランが用意したものなら、その手間が省ける。


 少し待っていると、ドアがノックされ、ユリアンが出迎える。


「アリア姉さん!」


「久しぶりね。ジュリア!」


 アリアと呼ばれた女性は、ユリアンの手を握ってそう答える。


 それからユリアンは俺達に向き直り。


「オレア様。従姉妹のアリアです。兄様の――スローグ辺境伯の婚約者です」


 ユリアンに紹介されて。


「――アリア・スローグです」


 アリアは不慣れなのか、若干、不器用なカーテシーをする。


「オレア・カイ・ホルテッサだ。此度は急な訪問になってしまった事を謝罪する」


「いえ、大したもてなしもできないかもしれませんが、長旅の疲れを落とせるよう、精一杯努めさせて頂きます」


 ユリアンは続けて、ニルス隊長とフランを紹介した。


 再びドアがノックされ、執事がアリアになにか告げる。


「――オレア様。当主の用意が整ったようです」


 途端、ニルス隊長とフラン、ユリアンが眉をひそめる。


 ああ、良い良い。辺境育ちなんだから、いちいち俺の名前を直接呼んだくらいで目くじら立てるんじゃないよ。


 俺が手を振れば、彼らは何事もなかったように居ずまいを正す。


 そんな事に気づかないアリアは、小首を傾げたものの、すぐに俺を見て。


「当主は現在療養中の為、オレア様には申し訳ありませんが、寝室までご足労頂いてもよろしいでしょうか?」


「構わないぞ。むしろ今回、俺は謝罪の為に来ているからな。スローグ伯に無理をさせるつもりはない」


 そうして俺達はスローグ伯の寝室に移動する。


「――殿下。この度は我が領の為にご迷惑をおかけして、真に申し訳ありません」


 寝台の上で、スローグ伯は膝を折って深々と土下座する。


「い、いや。辺境伯。頭を上げてくれ。むしろ詫びるのはこちらの方だ。

 スローグ領の変化に気づけず、一年もの長きに渡って放置してしまった事を謝罪する。

 そして、よく一年もの間、領を守り通してくれた。感謝するぞ」


 俺が腰を折って頭を下げると、辺境伯は涙を堪えて顔を赤くする。


「追ってやってくる第三騎士団が黒森の侵災調伏に当たる。

 本当に良くこれまで良く耐え凌いでくれた。

 黒森の状況をニルスに話してやってくれ。それを元に、対処を検討する」


 俺に示されて、ニルス隊長が辺境伯に一礼する。


「ケイン。久しぶりだな」


 男臭い笑みを浮かべてニルス隊長が、辺境伯に握手を求める。


「ニルス教官! お久しぶりです!」


 辺境伯も、そう言ってその手を握り返した。


 二人はどうやら知己らしい。


「隊長は学園で武技教官を務めてた時期がありまして。兄さんはその時、生徒だったんです」


 ユリアンが俺に耳打ちして教えてくれる。


「それじゃあ、兄さん。わたしはオレア様達を客室に案内してくるわね」


 ユリアンとの付き合いが長い為か、彼女が女言葉を使うのに、俺はいまだに違和感を覚えてしまう。


 慣れていかないとな。などと考えながら、俺はユリアンを見る。


「いいのか? おまえだって兄貴と久々の再会だろう?」


「良いんですよ。まずは領の安堵です。それに話ならあとでいくらでも出来ますから」


 そう告げるユリアンの尻尾はパタパタと左右に揺れていて、本心なのだとわかる。


「そうか。じゃあ頼む」


 スローグ伯の寝室にニルスを残し、俺とフランはユリアンの案内に従った。

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