第3話 6

 闘技場の中央に歩み寄るユリアン騎とスコット騎。


 決勝という事もあり、俺は両者の健闘を讃え、自らで試合開始の合図をする。


 両者は長剣の切っ先を合わせて睨み合う。


 場内の緊張が高まり、観客達も固唾を呑んで両騎を見守る。


 と、そんな時だ。


「――ソフィア様」


 どこからともなく現れたメイドが、ソフィアに耳打ちし、書類を一枚差し出す。


 ソフィアはそれに目を通し。


「……ふぅん」


 黒くてふさふさの扇で口元を隠して、笑みを深くする。


 俺、最近、わかってきたんだよな。あの顔する時のあいつって、絶対黒い事考えてるんだ。


「殿下、こちらを」


 ソフィアは俺に声をかけ、先程の書類を手渡してくる。


 そこに記されているのは、スローグ辺境伯領に隣接する、黒森での侵災発生の文字。しかも、発生したのは一年前と推測されるとの事だ。


 侵災とは、なんらかの原因で瘴気が溢れ、魔物が大量発生する事態だ。


 そんな状況で一年。


 辺境伯の苦労が偲ばれて、俺は奥歯を噛みしめる。


「監査隊はなにをしていた?」


 俺が尋ねると、ソフィアは手帳を取り出して、パラパラとめくる。


「辺境伯が黒森に大結界を張ったおかげで、領内にはいまだ被害が出ておらず、スローグ領軍での間引きで十分と理由づけたようですが――」


 そこでソフィアは言葉を区切り、いまだ闘技場の中央で睨み合う両騎に目を向ける。


「スコット隊長には、腹に一物あったようですね」


「どういう事だ?」


「スコット隊長は、獣属がお好みのようでして。スローグ家のご長女に懸想していたようです」


 ん? スローグ辺境伯には会った事あるけど、彼は人間だったぞ?


 俺の疑問を読み取ったのだろう。ソフィアは手帳をめくって続ける。


「ご長女は養女です。辺境伯がまだお家を継がれる前に、黒森を彷徨っていた彼女を見つけて保護されたとか」


 俺はスローグ辺境伯の顔を思い出す。


 その立場とは裏腹に、線の細い印象を受ける、優しげな笑みを湛えた男だ。


 武には疎いと本人は言っていたが、その指揮能力はグレシア将軍が、実戦魔法に関してはリステロ魔道士長が、手放しで絶賛するほどの人物だった。


「それで? その長女への懸想がどう繋がるんだ?」


「どうやら彼は、王都への第三騎士団派遣要請を出してほしかったら、自分を長女の婿にするよう、辺境伯に秘密裏に持ちかけていたようですね」


「――背任じゃねえか。

 そうか。ユリアンの奴、そんな兄姉を救いたくて、あんなに必死に頑張ってたんだな」


「あ、いえ。殿下――」


 ソフィアがまだなにか言おうとしているが、頭にきていた俺は席を立って、手すりに両手をつく。


「ユリアン、負けんなっ!」


 その言葉が合図だったかのように、ユリアン騎が動いた。


 騎体を回し、スコット騎が掲げる盾に双刃で連撃を浴びせていく。


 回転はどんどん速度を上げて、まるで刃の竜巻のようだ。


「……すげえ。<騎兵騎>ってあんな動きもできるんだな」


 それを成しているユリアンは、まだ<騎兵騎>に不慣れなはずなのに。


 彼が積み重ねてきた鍛錬と努力を思うと、俺は涙が溢れそうになる。


 ――負けんな。ユリアン。


 手すりを握る手に力がこもる。


 スコット騎もなんとか反撃を試みるが、双刃が織りなす輪の結界に阻まれて、騎体までは届かない。


 スコット騎が何度目かの攻撃を繰り出した瞬間。


 長剣が外に弾かれて、スコット騎が体勢を崩した。


 ユリアン騎がスコット騎に肉薄する。


 回転が不意に縦になって、スコット騎の盾を上方に蹴り飛ばした。


「あいつ、<騎兵騎>でバク転しやがったっ!

 ――行けぇっ! ユリアーンッ!」


 着地したユリアン騎が地を踏み割って加速し、スコット騎の頭部を双刃で挟み込むように跳ね上げる。


 轟音を立てて、スコット騎が後ろに倒れ込み、跳ね上げられた頭部が地に落ちる。


「――よっしっ!」


 俺は拳を握りしめて歓声を上げた。


 だが。


『――こんな事がありえるかっ!』


 スコットの声が歓声に湧く場内に響いたかと思うと、不意に<騎兵騎>が内側から破れ、中から<伯騎>が飛び出した。


 丸い頭部に円錐状の身体。脚が短く、変わりに手が異様に長いという姿をした、バーク家の<伯騎>は――


「――あいつッ!」


 ――止める間もなく、その長い手で長剣を拾い上げて、ユリアン騎の頭部を跳ね上げる。


『――なぜわかってくれないんだ、ジュリア!

 私はこんなにもおまえを愛しているのに。

 私が本気でおまえを傷つけられるわけがないだろう?

 あんな約束、無効だ! 無効!』


 まるで火がついたように喚き散らすスコットに、俺はソフィアを見る。


「……あいつ、なにを言ってるんだ」


「どうやら両者の間に、なにかしらの取り決めがあったようですね」


 いや、そっちではなく。


「ジュリアって?」


「ユリアン殿の本名です。

 女性では騎士団に入団できない為、性別と名を偽ったのでしょう」


「つまり、スコットが懸想している長女って?」


「ユリアン殿の事です」


「だ、だが、あいつは人間だぞ? 耳も尻尾もなかった」


「ジュリア嬢は、幼い頃から兄上――スローグ辺境伯から、魔法の指導を受けていたそうですよ」


 姿変えの魔法か。


「獣属である事がバレたら、騎士団に入れないと思ったのでしょうね」


「そんな規定はないだろ?」


「獣属の貴族が居なかったので、慣例上、そう認識されているのですよ」


 つまり、だ。


 アイツは、ユリアンは――ジュリアは、女の身でありながら、兄と領を助けるために、あの屈強な男ですら裸足で逃げ出す、頭のおかしい<地獄の番犬>隊で、一年もの間、鍛錬を積み続けたというのか……


 スコットが長剣を倒れ込んだユリアン騎に向ける。


『ジュリア。わかってくれ。これは真実の愛なんだ。

 女の君は戦う必要なんてない。

 私がスローグ伯を継いで、君も領も守ってあげよう!』


 まるで謳うように高らかに告げるスコット。


「……なぜそこで家を継ぐ話に?」


「先日、一年もの間、結界を維持し続けていた、スローグ辺境伯が倒れられたそうで」


 彼はまだ独身だ。


 ……なるほど。実家を継げないから、スローグ家に婿入りして、という腹か。


「殿下。止めますか?

 元々、背任者と女性の戦いです。無効としても、不満は出ないでしょう」


 ソフィアが訊いてくる。


「――いいや。

 いいやだ。ソフィア……」


 それではあいつの努力さえ否定されてしまう。そんなのは俺が赦さない。


「……積み重ねた鍛錬と、熱い魂の滾りの前には、男だの女だのは関係ねえんだよ」


「殿下、なにを……」


 ソフィアが怪訝な表情を浮かべる。


「――ロマンだよ。ロマンの話をしてるんだ」


 俺は行動不能になった、<騎兵騎>の胸から這い出してくるユリアンを見た。


 その目はまだ諦めてない。


 <伯騎>を見据えて、反撃の糸口を探している。


 俺は笑った。


 いいぞ。ユリアン。それでこそだ。


『ジュリア。なぜそんな目で私を見る! なぜ、この真実の愛がわからない!』


 叫ぶ、スコット。


 あいつに思い知らせてやる。


 俺は王城の方を指差し、声を張り上げる。


「――ユリアン!」


 真っ先に反応したのは、オルセン局長だ。


「殿下、あんたまさか……」


「そのまさかだ。こんな事もあろうかと、って奴だ」


 さあ、ユリアン。


 おまえの熱い魂に、俺が応えて、形をやろう。

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