第3話 4

 城内の回廊を駆け抜けて、ボクは頭を押さえながら、宿舎の自室へと向かう。


 絶対に殿下に変に思われた。


 でも……良くしてくれる殿下にはバレたくない。


 頭を押さえていた手を離して見ると、茶色い染料が手についている。


 きっと水に濡れて、元の銀色がこぼれているだろう。


 魔法で押さえつけていた頭の上の狼耳も、驚いた拍子に魔法が解けて、立ち上がっているはずだ。


 余計な事を考えていたのが良くなかったのかもしれない。


 ボクは角を曲がった拍子に誰かにぶつかり、そのまま尻もちをついてしまう。


「――ジュリア? ジュリアじゃないのか?」


「へ?」


 声の主を見上げると、そこには窓からの光に金髪を輝かせた美青年の姿。


 ――スコット・バーク様。


 伯爵家当主にして、第二騎士団所属の彼は、ボクの実家の監査隊隊長をしている。


 まさか……王都に帰ってきていたのか。


 彼は部下を先に行かせると、ボクの腕を掴んで立ち上がらせる。


「ずっと会えなくて心配していたんだ。こんなところでなにを? その格好は?」


 もう隠しきれないと観念したボクは、開き直る事にした。


「今、わたしは第三騎士団に所属しています」


「なんだって? 女が――しかも獣属が騎士団に所属できるわけが……」


 ――ない。


 そう言いかけて、スコット様はボクの染料が落ちかけた頭を見下ろす。


「それでその格好か……」


「お願いします! この事は内密にしておいてください。

 あと少しで、あと少しで騎兵試験なんです!」


 実力さえ示せれば、きっと女でも、獣属でも許されるはずだ。そうすれば家に<兵騎>を持ち帰られる。


 今、我が家には一騎でも多くの<兵騎>が必要なんだ。


「そんな事をしなくても、君が私と一緒になれば――」


「それでは実家は――スローグ領の民はどうなりますか?

 わたしひとりが逃れるのでは意味がないのです!

 お願いします。どうかご内密に。どうか……」


 わたしはスコット様に頭を下げる。ポツポツと頭からこぼれる雫が床を濡らしていく。


「……騎兵試験と言ったね。

 私もそれを受ける為に王都に帰ってきたんだ。

 騎士としては、<騎兵騎>のあるなしで箔が違うからね」


 この人は、騎士の誉れの<騎兵騎>を箔付けに使うつもりなのか。


 そんな人に頭を下げている自分が情けなくなる。


「ジュリア、こうしよう。

 武技大会でどこまで勝ち抜けるかで勝負だ。

 君が私より勝ち抜けるなら、君の事は黙っていよう」


「――本当ですかっ!?」


 顔を上げると、彼は笑顔を浮かべていて。


「そのかわり。もし君が私に負けたなら、君はすぐに騎士団を辞めて、私に嫁ぐんだ」


 ぐっと息が詰まる。


 一年前、実家にいた時から、彼はわたしに執着していた。


 だから、あの水害の後、わたしは彼に助けを求めたというのに。


 この身を差し出す事で領を救えるのならと、そう考えたのに。


 彼の答えは無理の一言だった。


 彼の権限では、どうしようもないという事で。


 ……なら、それなら。


 誰も助けてくれないのなら、わたしが――ボクが強くなって、どうにかするしかないじゃないか。


 わたしは再びボクの仮面を被り、スコット様を見上げる。


「わかりました。それで黙っていて頂けるのでしたら。約束ですよ?」


 ボクの問いに、彼はうなずき、微笑みを浮かべる。


「――そうそう。君の兄上だが。過労が祟ったのか、先日倒れられてね。

 任地の領主様の大事だ。私も後ろ髪引かれる想いで帰ってきたんだよ」


「――兄さんが!?」


 彼の一言に、被った仮面は容易く打ち砕かれる。


「ま、お互い健闘しようじゃないか。ジュリア……」


 スコット様はわたしの肩を叩いて笑い、去っていった。


 わたし――ボクはその後、真っ白になった頭のままで自室に戻り、濡れた服を着替えると、髪を染料で染め直し、ツンと立った耳を魔法で隠し直した。


 鏡の中に映った『ユリアン』を見る。


「わたしはユリアン。わたしは――ボクはユリアン」


 言い聞かせるように自己暗示。


 目を瞑って、零れそうになる涙を押し込む。


 ――少なくとも今、周囲に不審がられるわけにはいかないんだ。


 深呼吸して強く息を吹き出すと、ボクは訓練場へと戻った。


 ボクを待っていたのだろう。上にシャツを着ただけの殿下が駆け寄ってきた。


「ユリアン、悪かったな。あそこまで驚くとは思わなかったんだ。本当に済まない」


 軽々しく謝罪を口にするのは、王族としては褒められた事ではないのかもしれないけれど。


 そんな殿下に、ささくれ立っていた気持ちが落ち着いていくのを感じる。


「いえ。こちらこそ、あれくらいの事で取り乱してしまって。申し訳ありません」


「人間誰しも苦手な事のひとつやふたつあるもんだ。

 ――そうだ。ユリアン。

 詫びと言ってはなんだが、おまえに俺の宝物を見せてやる」


 そう言って殿下は、ニルス隊長にボクを連れ出す許可を取ると、そのまま訓練場を抜け出した。


 連れて来られたのは工廠区画の最奥で。


「どーだ。これが噂の<狼騎>だ!」


 殿下は、まるで子供が買ってもらったばかりの玩具を自慢するように――実際にそんなお気持ちなのかもしれないけれど――、ボクを振り返って告げる。


 漆黒の鎧に真紅のたてがみ。


 狼を模したと思われるそのかぶとに、狼属のボクは思わず親近感を覚えてしまう。


「綺麗な<兵騎>ですね」


「ああ。工廠局の連中が頑張ってくれた。

 ――みんなこいつに関わりたくて、修理業務が滞ってたのは内緒な」


 殿下は口元に人差し指を立てて、いたずらっ子のように片目をつむる。


 言わなければわからないのに、そういうところも殿下らしい。


 それにしても、本当に綺麗な騎体だ。これがあれば……


「――乗ってみるか?」


 そんなに物欲しそうな顔をしていただろうか。


 殿下の問いに、ボクは驚いて殿下を見る。


「よろしいのですか? これ、殿下の大事な<兵騎>なんじゃ……」


「言ったろ? これは優秀な騎士に下賜するつもりなんだ。

 今、おまえが乗ったって、誰も文句など言わん。

 ……俺も動いてるトコ見たいしな」


 腕組みして胸を張る殿下に、ボクは思わず吹き出した。


「それじゃあ、お願いしてもよろしいですか?」


「ああ。さっそく準備だ!」


 そう告げる殿下の顔は、殿上人のそれではなくて。


 こんな風に思ったら、不敬なのかもしれないけれど。


 まるで悪友が悪友に向けるような、嬉しそうな表情をしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る