第2話 2
あれから一ヶ月。
紙幣制度の導入は、恐ろしい早さで告知、公布された。
制度としては、一年の準備期間を経て、来年には施行される。その一年の間に、紙幣の用意や金貨との交換が行われるのだ。
そちらの見通しが立った為、スラムの整備と大劇場の建設計画も動き始めた。
俺は今、視察として元スラムだった一角を訪れている。
「ああ、整備や建築に兵騎を使っているのか」
目の前を大きな足音を立てて闊歩する、五メートルほどの三頭身の甲冑を見上げ、俺は呟いた。
前世で言うところの、SD人型有人式ロボットだ。
街の衛兵に配備されている兵騎は、その任務の多様さから、汎用性に富んでいるから、こういう建築も行えるのだろう。
古い建物が見る間に崩され、大きな瓦礫が運び出されていく。
細かい瓦礫はスラムの住人達が大型台車に乗せ、それをまた兵騎が持ち去っていく。
実に効率的だ。
「すでにスラム住民の合同宿舎も完成し、住民達も移り住んでいるそうですよ」
同行している近衛騎士のロイドが、そう説明する。
鮮やかな赤毛に澄んだ青い瞳が陽光を照り返して、キラキラ輝く。
コイツ、近衛の中では貴族令嬢達にダントツ人気のくせに、仕事の鬼でまるで女っ気がないんだよな。二十二にもなってるんだから、さっさと所帯持てよ。
俺? 聞こえない。聞こえないっ。
普段は白の近衛服を着込んでいるロイドだが、今日は護衛の為に軽装鎧を身に着けていた。
「不満は出ているか?」
いくら別の棲家を用意するとはいえ、多少の不満は出るんじゃないかと俺は考えていたのだが。
「元々、着の身着のまま、ひどい場合は路上で生活していた者も居たくらいですので。
新しい家、仕事、食事、そして服を与えられれば、不満は出ないでしょう」
「兵達が黙らせている可能性は?」
なにせ王太子である俺主導の事業だ。ゴマスリの為に兵達が黙らせている可能性はゼロではない。
負の忖度ってやつだな。
「それもないようです。元々兵士の中にはスラム出身者も多いですから。
彼らが率先して、この事業の展望を説明してくれたおかげで、スラム住民には、すんなりと受け入れられているようですよ」
「スラム住民には? 他から出ているのか?」
俺の言葉に、ロイドがうなずく。
「はい。近隣住民から。スラム住民だけ優遇されてズルい、と……」
「ならば、そいつらもスラム住民になれば良いんじゃないか?
そもそもそいつらが、スラムの住民達に手を差し伸べる事もできたはずだ。
それがなかったから、国が彼らに手を差し伸べているんだ。そんな不満はしらん。
どうしてもうるさいようなら、じゃあ現場に来て働けと言ってやれ。
賃金は正当に払う、とな」
どうせ今の仕事を辞めてまで、肉体労働に従事するような者は居ないだろう。
逆にそんな根性があるヤツなら大歓迎だ。ぜひ雇ってやりたい。
ロイドは礼を取って、部下を伝令に走らせる。
役所にそのまま伝えに向かわせたのだろう。
コイツのこういう迅速なところを、俺は買っている。
「それにしても……殿下。本当にありがとうございました」
「なにがだ?」
コイツに礼を言われるようなこと、俺やったっけ?
「スラム救済の件です。その、エリスが……ウチの妹が、スラムの者達を気にかけていまして……」
言われて、俺は思い出す。
ロイドの父、グレシア将軍は武に優れた人物ではあるのだが、色にも強い男で、あちこちに胤をバラまく人物としても有名だ。
似たような色恋話の有名人として、リステロ魔道士長官が挙げられるが、彼の場合は踊り子だった庶民の女を大恋愛の末、嫁に娶り、今も仲睦まじいというのだから、対極の二人といえるだろう。
それでもグレシア将軍は義に篤い武人らしく、子ができれば認知して、希望されれば家で面倒まで見るというのだから、豪傑と言う他ない。
どこぞのハーレムサルにも見習わせたいくらいだ。
そんな彼の落し胤の一粒が、ロイドが名を上げたエリスだ。
街の歌い手を母に持つ彼女は、母を早くに亡くし、八歳までスラムで生活していたのだという。
「――彼女の母は、身分こそ平民ですが、誇り高い人物だったようで。
最後まで父の世話にはなろうとせず、ひとりでエリスを育て上げようとしていたそうです。
そんな彼女の母を慕った周囲に助けられ、エリスはスラムでも、それなりに楽しく暮らせていたようなのです。
だからなのでしょう。ウチに引き取られてからも、エリスは時折、スラムに出向いて、彼ら彼女らの世話を焼いていました」
きっとロイドにとって、エリスは自慢の、そしてかけがえのない妹なのだろうな。
緩んだ表情がそれを物語っている。
「そんな事もあって、妹はスラムを救済してくださった殿下に、いたく感謝しているのです。
……もう、崇拝と呼べるほどに……」
「――あん? なんて?」
最後の言葉が小さくて、よく聞き取れなかった。
「あ、いえ。その……もし可能でしたら、今度お時間がある時にでも、妹に会ってやってくださいませんか?
本人も直接感謝を述べたいようでして」
「それは構わんが……待てよ?
エリスの母親は歌い手と聞いたが、間違いはないか?」
「ええ。下町の酒場では、それなりに名を知られていたようです」
「エリス本人にその素養は受け継がれているか?」
「身内を褒めるようで照れくさいのですが……学園では、天使の歌声と呼ばれております」
頭を掻いて告げるロイド。
「それは良い! 今度と言わず、明日だ!
……いや、令嬢だと支度に時間がかかるか?
明後日で良いから、城に連れてこい。良い事を思いついた」
貴族令嬢として学もあり、庶民に忌避感のない歌の上手い娘。
こんな人材を放っておく手はない。
大劇場のコケラ落としの演目に使えるかもしれないぞ。
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