第5話 中宮、彰子(しょうし)

「久しぶりですね、末摘花さん」

 脇息に寄りかかり、彰子さまは微笑んだ。

「こんな格好でご免なさい」

 やはり出産を控えた身体だと動くのが大変なのだろう。わたしも長居は遠慮して、早々に退出した方がいいだろうな。

 さっそく持参した原稿を手渡す。


「これ、わたしの最新作です。火星人がこの平安京にやって来るというお話で」

 まあ、と彰子さまは目を瞠る。

「末摘花さんのお話は、とっても個性的ですね。これも『えすえむ』というものなのですか?」

 そこは、SFなのだけど。


 そうだ、一度訊いてみたかったんだ。

「やっぱり動くんですか。お腹の赤ちゃん」

 彰子さまは目を細める。うれしそうに目尻が下がっている。

「元気がいいんですよ。男の子なのですかね」


 たしか、わたしの乏しい歴史知識では男の子が生まれたはず。でも、もし間違っていたら、というかこの世界がわたしの時間軸につながっているのかも分からないし。

 男児誕生に寄せる道長さまからのプレッシャーも相当なものだろう。それを和らげてあげたいのは山々だけれど、かと言って変に期待させるのも申し訳ない。

「どちらでも、彰子さま似の可愛いお子様だと思いますよ」


「ありがとう、末摘花さん」

 彰子さまは、おっとりと笑った。


 ☆


 彰子さまは12歳で入内し、もう十年近くになるそうだ。でもこれが初めての懐妊だという。けっこう時間が掛かっているような気がするのだが。


「それもこれも、みんな清少納言が悪いんです」

 若紫ちゃんが激高している。どうも若紫ちゃん、清少納言が絡むと冷静さを失う傾向がある。

「落ち着いて、若紫さま」


「失礼しました。あの女ではなく、さきの中宮、定子ていしさまでした」

 ぜいぜい、と息を切らしている。

「あの方の亡霊が、陛下を縛っているのです」

 え、ちょっと、そういうホラー展開は苦手なんだけど。


「違いますよ。陛下の心の中には未だに、亡き定子さまがいらっしゃるのです」

 どうやら、それだけ魅力的な方だったらしい。定子さまって。


「定子さまの女房も優秀な人ばかりで、宮中での評判も良かったんですよ。だから陛下も他の人たちも、あの頃はよかったなー、などと言っているのです」

 若紫ちゃんは小さくため息をついた。それに引きかえ、彰子さま付きの女房たちは……という事らしい。


「しかし詳しいですね。その頃はまだ出仕していなかったんでしょ、若紫さま」

 ええ、と若紫ちゃんは頷く。

「もちろんです。なので、本で得た知識なのですが」


 わたしは局の隅に積まれた本に目をやった。なるほど、相当に読み込んでいるらしく少し傷みもみえる。でも、いかにも愛読書だ。わたしが以前持っていた小説も、あんな感じに汚れていたからな。大切に、何度も読み返すと、ああなるのだ。

 こういうのは、いつの時代も変わらないんだな、と、ちょっと微笑ましい。


 でも、その本の表題。

「枕草子」って見えるんだけど。……これは触れない方がいいようだ。


 ☆


――観音院くわんおんゐんの僧正、ひんがしの対より二十人の伴僧ばんそうを率いて御加持ごかぢまゐり給う足音、渡殿わたどのの橋の、とどろとどろと踏み鳴らさるるさへぞ、ことごとの気配には似ぬ――



 彰子さまの安産祈願のため、加持祈祷が始まる。ばたばたと足音をたて、お坊さん達が彰子さまの部屋に近い場所に集まって来た。


「もっと静かにお経を読むのかと思ったら、そうでもないんですね」

「え、何ですって」

 わたしと若紫ちゃんは耳を押えながら会話している。


 加持祈祷って、こんなに激しいものなのか。ひっきりなしに、お経というより喚き声が聞こえてきて、騒々しくてたまらない。

「まあ、悪霊を脅かして退散させるのが目的ですから」

 要は勢いということか。


 でもこんなのを部屋の隣でやられたら、彰子さまも落ち着かないんじゃないだろうか。道長さまの気持ちは分からないでもないが、ここは彰子さまに同情する。



 ぷっつりと喧騒が途絶えた。どうやら今日の加持祈祷は終了したらしい。

「やっと静かになりましたね」

 几帳越しに男の声がした。道長さまではないが、よく似た声だ。

「どちらさまですか」

 声をかけると、若い男が顔をだした。


「お、美形」

 思わず声が出る。二十歳くらいだろうか、色白の美青年だ。

「これはどうも」

 少しはにかんだ様子で、男は頭を下げる。


頼通よりみちさま。何か御用ですか」

 若紫ちゃんが首をかしげた。どうやら知り合いらしい。

「どなたです、この人」


「道長さまのご長男で、三位さんみきみの頼通さまです。彰子さまの弟君にあたります」

 なるほど、それで声が似ているのだな。それに、道長さまが痩せたらこんな風になるのだろうと、なんとなく想像できる。しかし、この若さで殿上人の三位とは、すごい出世だな。


「あの、これを」

 頼通は黄色い小さな花を差し出した。

「はい」

 わたしに?

 えへ、お花なんて貰うのは久しぶりだな。でもこれ、何て花だろう。

女郎花おみなえし、ですね♡」

 若紫ちゃんが、きゃーと悲鳴のような声をあげた。

 

「ん、なに?」

 若紫ちゃんと頼通さまの視線がわたしに集中している。なんだ、わたしに何を期待しているんだ。

 もしや平安時代は、こういう時のリアクションが決まっているのか?

「みさきさま、こういう時には返歌をお送りするものです」


 この女郎花には「美しい人」とか「わたしの恋人」みたいな意味があるらしい。つまり一種のプロポーズだ。

 若紫ちゃんによれば、風雅な振舞いにはこちらも風雅で返す、つまり返歌を詠むのだという。

 しまった。そっち方面のリアクションか。


「そんなの到底無理ですけど」

 若紫ちゃんに助けを乞うしかない。


「仕方ありませんね」

 若紫ちゃんは、わたしを局の隅に連れて行く。

「代筆して差し上げます」

 さすが、紫式部先生。


――女郎花さかりの色を見るからに、露の分きける身こそ知らるれ――


 そんな美人じゃありません、と謙遜しつつ、やんわりと誘いを断っている歌になっているらしい。なるほど、恐るべき文才だ、若紫ちゃん。


「そうですか」

 頼通さまは苦笑して、少し肩を落とした。


――白露は分きても置かじ女郎花、心からにや色の染むらむ――

 人はなほ、心映えこそ難きものなめれ。


 すぐさま歌を詠んで、頼通さまはつぶやいた。

「人は、容姿ではなく、心なのだと思うのですが」


 去っていく、その後ろ姿を見ながら、わたしは嘆息した。

「よく出来たひとですね、頼通さまって」

 もう少しで惚れてしまいそうだったぞ。


 感心しきりのわたしを見て若紫ちゃんは困った顔になった。

「本当です。あれで17才とは思えない、筋金入りの女たらしですよね」

 じゅ、じゅうななさい?!


 恐るべきは、藤原道長の血筋と英才教育だ。もちろん、そっち方面の。




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