第4話 紫式部(むらさきしきぶ)
――和泉式部といふ人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ、うちとけて文はしり書きたるに、そのかたの才ある人、はかない言葉のにほいも見え侍るめり。歌はいとをかしきこと。――
(「紫式部日記」より 以下同)
宮中のお手伝いをしているうちに、すっかり遅い時間になってしまった。
「ここに泊まっていけばいいじゃないですか」
文机を片寄せながら若紫ちゃんが言う。たしかに、こんな暗い中、家まで帰るのも不用心だ。
それに最近、あちこちの屋敷に強盗が入っているという噂もあるので、ここは若紫ちゃんの言葉に甘えさせてもらうことにしよう。
それからふたりで話し込んでいるうちに、話題は宮中の女性たちの事になった。
「へえ。和泉式部さんも、ここにお勤めなんですか」
もちろん、そんな詳しい訳ではなく、名前を知っているくらいなのだが。
「そうですよ。あの人は恋文を書かせたら当代一でしょうね」
「ほう」
それは素敵だ。わたしも見習いたい。
しかし若紫ちゃんは微妙な表情になった。
「まあ、あれだけ、あちこちに手紙を出していれば、それは、上手にもなるでしょうけれどね」
おや、なんだか含みがある言い方だ。
「まったく。夫のある身でありながら、あちこちの男に言い寄るとは。なんてうらやま……いや、ふしだらなっ」
ぐぐっと拳を握っている。
なるほど、独身女性の心の叫びだな。
「いけない、取り乱してしまいました。和泉式部さんは恋文もですけど、和歌もそこそこお上手なんですよ」
うーん。あまりフォロー出来ていない気がする。
「和歌の才でいえば、この方の外にも、
「誰ですか。それは」
若紫ちゃんは、くすっと笑った。
「本当は赤染衛門とおっしゃるのですけど、いつも旦那様の大江匡衡さまの事ばかり話されるので、みなさん『匡衡衛門』と陰で呼んでいるんです」
「そ、そうなんですか」
うわぁ、なんだか平安貴族の闇に足を踏み入れてしまったような気がする。これは話題を変えたほうが良さそうだ。
「ま、まあ、わたし平安時代といったら、
ぎらり、と若紫ちゃんの目が光った。
「清、少、納、言。ですって」
しまった、若紫ちゃんの前で清少納言さんの名前は禁句だった。
――清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。かく、人に異ならむと思い好める人は、必ず見劣りし、行末うたてのみ侍るは。
そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよく侍らむ――
「もう、清少納言なんて人はね、知ったかぶりで漢字なんか書き散らしてますけど、よく見れば全然だめ。そもそも、他人と価値観が違うことを自慢してるだけの人は、最後はろくなことにならないものですからっ!」
「は、はあ」
眼が怖いよぉ、若紫ちゃんが別人になったよぅ。
☆
「きゃああああっ!!」
すごい悲鳴が聞こえ、眠っていたわたし達は跳ね起きた。
「な、なに今の声」
「中宮さまの部屋の方じゃなかったですか?」
確かにそんな気がする。
「まさか、強盗?」
でも、もしそうなら、それは。
「早く中宮様のところへ」
若紫ちゃんは顔を強張らせたまま頷いた。
「ええ。でもこんな薄暗いなか、女ふたりだけでは危険です。誰か人を呼びながら行きましょう」
そう言いながら、わたしたちは部屋を飛び出す。
途中で声を掛けるが、だれも出て来る気配がない。どうなってるんだ、ここの人たちは。内裏を警備する人たちもいないのだろうか。
声のした辺りまで来て、そっと部屋の中を伺う。
「ああっ」
身ぐるみ剥され、全裸の女官がふたり、部屋で倒れていた。抱き起こすと、気を失っているだけのようだ。特に怪我はない。
「泥棒でしょうか、みさきさま」
「おそらく。まさか、まだこの辺りにいるって事は……ないですよね」
首をすくめ、周囲を見回す。
「うわあああああっ」
今度は野太い男の声がした。ばたばた、と暴れる音がして、急に静かになった。
恐る恐る、声のほうへ向かうと、5、6人の男が中庭に倒れていた、というか積み上げられていた。その前に長身の女官が一人立っている。
「ふん。口ほどにもないのう、最近の男は」
ぱんぱん、と手を払っているのは。
「
宮廷女官長、そして安倍晴明さまの姉さまだという、源典侍さまだった。
「おお、紫式部と、常陸宮の不細工娘。お主らは無事であったか」
どんな覚え方だ。いや、間違ってはいないけれども。
「末摘花です。これはいったい」
「ふむ。ただのコソ泥よ。わたしの部下を襲うとは、身の程を知らぬ奴らだ」
やっと、今夜の警備担当だったらしい頭中将という男が、数人の配下と一緒にやってきた。あわてて服を着てきたのが見え見えだ。しかも顔に脂粉や紅が付いている。おいおい、何をやっていたのだ。
「これは源典侍どの。ご苦労でござる」
威厳を取り繕っているけれども。
「阿呆。女と寝ておって
「ひいっ」
源典侍さまのド派手な扇子で張り倒されている。これも自業自得だろう。
☆
平安時代とはいうけれど、その名に反して全然平安じゃなかったんだな、この時代って。後の世から思う優雅な貴族社会というイメージとは裏腹だ。
そうか。湖に浮かぶ白鳥が水面下では必死で水を掻いてる、みたいなものかもしれないな。
――水鳥を水の上とやよそに見む われも浮きたる世をすぐしつつ――
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