第2話 図書寮(ずしょりょう)

「着きました。ここが図書寮です」

 しばらく平安京の中を彷徨さまよったあと、その屋敷を若紫ちゃんが指さす。


「ええっ?」

 わたしは思わず声をあげた。図書寮というからには、やはり平安朝のお役所なのだろう。だったらそれなりに立派な建物を想像していたのだが。

「ぼ、ボロい」


 建物の規模としては立派だが、屋根も部分的に落ちかけて、壁板もなかば腐っている。これならまだ、わが家の方が立派じゃないかと思うくらいだ。

「これが、陰陽寮と並び称される図書寮なの……」


 なぜか若紫ちゃんは薄く笑って肩をすくめた。

「こういうのって、最後はやはり政治力ですからね」

 思わせぶりにそう言うと、早足に仕事に戻っていった。

「は、はあ」

 ひとり取り残されたわたしは、傾きかけた門に向かって行った。


 ☆


 屋敷の前を、箒を持った男性が掃除している。

 服装からすると、烏帽子も被っているし、殿上人みたいなちゃんとした格好だ。でも、掃除してる処を見ると、やはりここの使用人か何かなのだろうと思う。


「こんにちは」

 声を掛けるとその人は顔をあげた。若いとまでは言えないが、おじさんというのも憚られる感じではある。はっきり言えば、ちょっと冴えない感じで、どう見ても、正直あまり偉そうな人ではない。

「ああ、こんにちは。図書寮に何か御用ですか」

 口調も丁寧だし、悪い人ではなさそうだけど。


「わたし、安倍晴明さまに頼まれて本を探しに来たんですけども」

「ああ、君がそうかい。さっき晴明の式神が知らせてくれたからね、事情は聞いているよ。用意してあるから、どうぞ中へ」

 はあ、式神が。でも、わたしも一応、式神なんですけどね。


「私は図書寮頭ずしょりょうのかみ菅原君依すがわらのきみいというものだよ。どうぞよろしくね、可愛……えっと、その、お嬢さん」

 やっぱり腰が低い。ちょっと最後は何を言ったのか聞き取れなかったが。


「これはどうもご丁寧に」

 わたしもお辞儀を返す。え、でも図書寮頭って。

「図書寮で、いちばん偉い人ですか?!」

「うん、まあそうなんだけどね」

 困ったように頭を掻く菅原君依さん。


 すると建物の中から声がした。

「君依くん、掃除は終わったの。また、さぼって、どこかの女の子にちょっかい出してるんじゃないでしょうね!」

「もちろん終わりましたよ、図書寮 すけどの」


 はあ、とため息をついて建物の奥を見やる。

「あれはうちの次官なんですけどね。いつもああやって、僕を追い落とそうと狙ってるんですよ」

 どうやら内部抗争が激しい部署らしい。


「あの人は本来の図書寮頭の家系でね。何とかして図書寮の長に返り咲きたいらしいんだな。だから事有るごとに、こうやって責められて、私もすごく辛いんですよね」

 君依さんはそっと目頭を押さえる。


「はあ。それは……大変ですね」

 他に言いようがないので、当たり障りの無いところでお茶を濁す。まあ、この人も含め、政治的な事には興味がないし。


「でもこれ、大丈夫なんですか。中の本とか……」

 わたしは辺りを見回す。中に入っても、この建物のボロさ加減は変わらなかった。やはり壁とか天井が崩れかけている。

「ははは。屋根や壁など飾りに過ぎないよ。偉いさんにはそれが分からないんだな」

 得意げに言っているけど、これ、宇宙戦闘用の超大型機動兵器とは違うと思うが。


 でもどうやら一応、書庫の内壁には銅板が貼られ雨水の侵入は防がれているらしいので、ひと安心する。そうだね、どんなに経費削減するといっても、本を保管するという本来の目的を見失ってはいけないからな。

 

 執務室に入った菅原君依さんは、本棚の端から一冊の本を取り出した。

「はい、これだね。では晴明どのによろしく。端的に言えば、次の図書寮頭の選挙では私に支援を、という事ですけどね。まだ大きな声では言えないけどね」

 選挙期間じゃないし。あはは、と菅原君依さんは悪い顔で笑った。

「は、はあ。伝えておきます」

 政治の世界はやはり、一筋縄ではいかないようだ。


 ☆


「ふむう」

 うちに帰ったわたしは、その本を読みながら、首をかしげる。

 それを見てうちの女房、婆1号、2号、3号がやって来た。

 ちなみに、この当時の女房というのは奥さんではなく、いわば使用人みたいな意味である。このお婆さんたちも、ずっと昔からこの家で働いてくれているらしい。

 ただ、未だに名前が分からないので、1号、2号、3号と(ひそかに)呼んでいるのだ。


「どうなさったのです、お嬢さま」

「珍しく本など読んで、おつむの筋を違えられましたか」

「いやいや、これは天変地異の前触れかもしれませぬ。皆の者、早く避難の用意を致しましょうぞ」

 相変わらず、この三人とも、主人であるわたしを敬う気配はない。


「なんだかこの本、わたしの名前について、ろくな事が書いてないんですけど」

 運が悪いどころではない。おみくじなら太字の赤文字で『大凶』って書いてあってもおかしくないレベルだ。


 まあ考えてみればこんな平安時代に飛ばされているのだから、それだけの目には遭って来たといえばその通りなのだが。


「そう考えれば信用できるのかな、この姓名判断って」




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