平安京 式神(しきがみ)日記
杉浦ヒナタ
第1話 末摘花(すえつむはな)
――まず、
(源氏物語「末摘花」より 以下同)
「あのぉ、
わたしは目の前で執筆を続ける
「もしもしー」
「……」
だめだ。集中して、わたしの声が届いていないらしい。
久しぶりに内裏にあがり、若紫ちゃんの
――顔の色は、雪はずかしく白うて、額つき、こよなう、はれたるに、なお
何かに憑りつかれたように、にやにやと笑いながら書き進めていた若紫ちゃんは、ふと顔をあげ周囲を見回した。やっと、わたしと目が合う。
「ああ、みさきさま。いらしてたのですね。これは失礼しました」
書いたものを、あわてて背中の後ろに隠している。
「それって、わたしの事ですよね」
若紫ちゃんの後ろを指差す。ちょっと見た限りでは、なんだか、ずいぶんなことが書いてあったような気がするのだが。
「え、いや。まあ、そうなんですけど……別に嘘は書いてませんよ」
確かに、わたしは背が高くて痩せているし、色白の面長で、鼻筋は通っている方だからな。でも鼻先が赤いのは、たまたま風邪をひいていたからなのだ。
「表現に、そこはかとなく悪意を感じるんですけど」
「そんな事ありませんよ。ちゃんと褒めている箇所も有りますよ、ほら」
――頭つき、髪のかかりばしも「美しげにめでたし」と、想い聞こゆる人々にも、をさをさ、劣るまじう――
ほんとだ。髪に関しては、ほかの女性たちに負けていない、って書いてある。
「でも、髪だけ?」
ちょっと拗ね気味に言うと、えへへ、と笑って誤魔化されてしまった。この笑顔には敵わない。たしか、わたしより年上のはずなのに。
ああ、本当に可愛いなぁ若紫ちゃんは。
「その可愛さに免じて全て許すっ!」
「きゃー」
若紫ちゃんのちっちゃな身体を抱きしめて頬ずりする。へへへ、無駄な抵抗をするでないぞ。わしが堪能し尽くすまで、離しはせぬからのう。
「またやってる……」
几帳越しに局を覗いた
「ああ。待って下さい。誤解なんです」
むなしく若紫ちゃんの悲鳴が響く。
☆
わたしの名前は
不慮の事故で死んだはずのわたしは、なぜだかこの平安朝の時代で生きている。そして、いま目の前にいる紫式部さんと一緒に、天皇陛下のお妃さまである中宮、
それにここは平安時代だと言ったが、それも正確じゃないかもしれない。なぜならこの平安京には、物語の登場人物である、光る源氏の君、通称『光源氏』が実在するからだ。
そしてわたしも、その『源氏物語』のなかのヒロインの一人、
でも、それって仕方ないよね。だって、ついこの間まで現代人だったんだもの。
「それで、みさきさま。一体何のご用だったんですか」
着衣を乱し息も絶え絶えに若紫ちゃんが怒っている。
おかしなことを訊くものだ。若紫ちゃんを愛でる以外に目的なんか有ろうはずがないのに。……ん、いや思い出した。重要な役目を受けていたんだった。
「そうでした。わたし、
はあ、と若紫ちゃんの目が焦点を失っている。
「ご主人さまって、安倍晴明さまですか。あの方は折檻なんてしないでしょ」
「いやいや。ああ見えて晴明さま、実は変態的性癖の持ち主だと、わたしは睨んでいるんですけど」
きっと、あのクールな表情のまま、わたしを
「このブスでかわいい式神め、とか言いながら。ああ、もう晴明さまったら」
「それ、あくまでも、みさきさまの妄想ですよね」
若紫ちゃんはため息をついた。
実は、わたしが紛れ込んだことで、この世界は一度バランスを崩してしまったらしい。それを解消するために、安倍晴明さまは、わたしを自分の式神にしたのだ。わたしがこの世の
「で、何故わたしの所にみさきさまが居るんです。ここ、図書寮じゃありませんよ」
「そこなんです。若紫さま」
わたしは勢い込んで若紫ちゃんの手をとる。
「わたし、図書寮から本を借りて来なきゃいけないんですけど」
「はい」
「図書寮の場所が分からなくてですね」
案内を、お願い出来ないでしょうか。
若紫ちゃんは、がっくりと肩を落とした。
「分かりました。ついて来てください。ちなみに何の本ですか」
「姓名判断の本らしいですよ。道長さまが彰子さまのお子様につける名前を考えるんですって。でも陰陽寮にはそんな資料が無いからと」
「あの爺バカ。まだ産まれてもいないのに」
はあー、と若紫ちゃんはまた、ため息をついた。
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