平安京 式神(しきがみ)日記

杉浦ヒナタ

第1話 末摘花(すえつむはな)

――まず、居丈いだけたこ背長せながに見え給うに、「さればよ」と源氏は胸つぶれぬ。うちつぎて、「あな、あれは」と見ゆる物は鼻なりけり。あさましう、高うのびらかに、先の方少し垂りて紅く色づきたること、ことの外に、うたてあり――

(源氏物語「末摘花」より 以下同)



「あのぉ、若紫わかむらさきさま」

 わたしは目の前で執筆を続ける紫式部大先生若紫ちゃんに声をかけた。しかし一向に筆を止める気配がない。

「もしもしー」

「……」

 だめだ。集中して、わたしの声が届いていないらしい。


 久しぶりに内裏にあがり、若紫ちゃんのつぼねを訪ねたのだが、ちょうど執筆の最中だった。一緒にお茶でも、と思ったけれど、こうなると若紫ちゃん、しばらくは周囲の物が目に入らなくなるのだ。諦めて気長に待つことにしよう。


――顔の色は、雪はずかしく白うて、額つき、こよなう、はれたるに、なおしもがちなるおもようは、大方、おどろおどろしう長きなるべし。痩せ給える事、いとほしげにさらぼいて、肩のほどなど、痛げなるまで、衣の上まで見ゆ――


 何かに憑りつかれたように、にやにやと笑いながら書き進めていた若紫ちゃんは、ふと顔をあげ周囲を見回した。やっと、わたしと目が合う。

「ああ、みさきさま。いらしてたのですね。これは失礼しました」

 書いたものを、あわてて背中の後ろに隠している。


「それって、わたしの事ですよね」

 若紫ちゃんの後ろを指差す。ちょっと見た限りでは、なんだか、ずいぶんなことが書いてあったような気がするのだが。

「え、いや。まあ、そうなんですけど……別に嘘は書いてませんよ」


 確かに、わたしは背が高くて痩せているし、色白の面長で、鼻筋は通っている方だからな。でも鼻先が赤いのは、たまたま風邪をひいていたからなのだ。

「表現に、そこはかとなく悪意を感じるんですけど」

「そんな事ありませんよ。ちゃんと褒めている箇所も有りますよ、ほら」


――頭つき、髪のかかりばしも「美しげにめでたし」と、想い聞こゆる人々にも、をさをさ、劣るまじう――


 ほんとだ。髪に関しては、ほかの女性たちに負けていない、って書いてある。

「でも、髪だけ?」

 ちょっと拗ね気味に言うと、えへへ、と笑って誤魔化されてしまった。この笑顔には敵わない。たしか、わたしより年上のはずなのに。

 ああ、本当に可愛いなぁ若紫ちゃんは。

 

「その可愛さに免じて全て許すっ!」

「きゃー」

 若紫ちゃんのちっちゃな身体を抱きしめて頬ずりする。へへへ、無駄な抵抗をするでないぞ。わしが堪能し尽くすまで、離しはせぬからのう。


「またやってる……」

 几帳越しに局を覗いた少将しょうしょうの君さんが、あきれ顔で呟くと、用件を言いださないまま立ち去って行った。

「ああ。待って下さい。誤解なんです」

 むなしく若紫ちゃんの悲鳴が響く。


 ☆


 わたしの名前は紅野こうの みさきという。いや。今となっては、だった、というべきかも知れないけれど。

 不慮の事故で死んだはずのわたしは、なぜだかこの平安朝の時代で生きている。そして、いま目の前にいる紫式部さんと一緒に、天皇陛下のお妃さまである中宮、彰子しょうしさまに仕えているのだ。


 それにここは平安時代だと言ったが、それも正確じゃないかもしれない。なぜならこの平安京には、物語の登場人物である、光る源氏の君、通称『光源氏』が実在するからだ。

 そしてわたしも、その『源氏物語』のなかのヒロインの一人、末摘花すえつむはなと呼ばれている。でもヒロインとは言いつつ、周りからは、不細工で貧乏、和歌も詠めないし、平安時代の常識も無いと、散々に言われている。

 でも、それって仕方ないよね。だって、ついこの間まで現代人だったんだもの。



「それで、みさきさま。一体何のご用だったんですか」

 着衣を乱し息も絶え絶えに若紫ちゃんが怒っている。

 おかしなことを訊くものだ。若紫ちゃんを愛でる以外に目的なんか有ろうはずがないのに。……ん、いや思い出した。重要な役目を受けていたんだった。


「そうでした。わたし、図書寮ずしょりょうに行くところでした。ご主人さまに命令されてたのに、このまま帰ったら折檻されるとこでしたよ、もう」

 はあ、と若紫ちゃんの目が焦点を失っている。

「ご主人さまって、安倍晴明さまですか。あの方は折檻なんてしないでしょ」


「いやいや。ああ見えて晴明さま、実は変態的性癖の持ち主だと、わたしは睨んでいるんですけど」

 きっと、あのクールな表情のまま、わたしを注連縄しめなわでぐるぐる巻きにして、あんなことや、こんなことをして来るに違いないのだ。

「このブスでかわいい式神め、とか言いながら。ああ、もう晴明さまったら」

「それ、あくまでも、みさきさまの妄想ですよね」

 若紫ちゃんはため息をついた。


 実は、わたしが紛れ込んだことで、この世界は一度バランスを崩してしまったらしい。それを解消するために、安倍晴明さまは、わたしを自分の式神にしたのだ。わたしがこの世のことわりから外れた式神になることで、世界は崩壊の危機から免れたのである。


「で、何故わたしの所にみさきさまが居るんです。ここ、図書寮じゃありませんよ」

「そこなんです。若紫さま」

 わたしは勢い込んで若紫ちゃんの手をとる。


「わたし、図書寮から本を借りて来なきゃいけないんですけど」

「はい」

「図書寮の場所が分からなくてですね」

 案内を、お願い出来ないでしょうか。


 若紫ちゃんは、がっくりと肩を落とした。

「分かりました。ついて来てください。ちなみに何の本ですか」

「姓名判断の本らしいですよ。道長さまが彰子さまのお子様につける名前を考えるんですって。でも陰陽寮にはそんな資料が無いからと」


「あの爺バカ。まだ産まれてもいないのに」

 はあー、と若紫ちゃんはまた、ため息をついた。



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