第48話 いくつかの変化

「はぁ、はぁ、はぁ……す、すんません。こ、この辺で、勘弁してくだせぇ……」


 息も絶え絶えに言うと、オルグの大きな尻が運動場の床にどしんと落ちた。

 それを見て、他の二人の魔族もへたりと座り込む。


「僕の方こそすみません。非番なのに訓練に付き合って貰っちゃって。お陰で助かりました」


 変身で作った訓練用の剣を収納すると、クリスタはぺこりと頭を下げた。

 悪夢のような人肉工場の探索から、一週間ほど経っていた。


 嫌な事件だったので、クリスタは結構参っていたが、以前のように心を病む事はなかった。今の自分には優しい天使様がついている。それに、神に選ばれた救世主としての責任もある。辛い事があっても、立ち止まっているわけにはいかない。


 それに、今の自分は役立たずの無能でも、いじめられっ子でもない。アジトに戻れば、ノーマンズランドのみんながちやほやしてくれる。だから、辛い事があっても平気なのだった。


 それで、戻ったクリスタはイブリスに、訓練をする時間が欲しいとお願いした。イブリスには、呆れた顔で好きにしなさいよと言われた。あんた達に助けられてる身なんだから、あれこれ命令する権利なんか私にはないのよと、そう言うのである。


 それに、イブリスはクリスタとシュガーの力を使って国を広げる為の計画を練るのに忙しく、それがある程度固まるまでは、やって欲しい事も特にないし、むしろ大人しくしていて欲しいと言われてしまった。


 そういうわけで、クリスタは訓練をする事にした。でも、何をしたらいいのか分からない。村にいた頃は、言われた通りのメニューをこなすだけだった。それに、ここには身体を鍛える為の道具もない。


 クリスタは困ってしまったが、これからはもっと頭を使っていかないとダメなんだろうなと思って、あれこれ考えて、変身や生産を使って、身体を鍛えるのに使えそうな重たい道具や、頑丈な案山子を作ってみた。


 トレーニングをしている間は頭を空っぽに出来るので、人肉工場の事も忘れられた。でも、筋トレや素振りだけでは物足りないし、訓練とは言えない気がした。


 それでオルグにお願いして、相手をしてくれる魔族を募って組手のような事をしている。獲物を選ぶ必要がなくなって、魔族の狩りはかなり楽になっていた。それでイブリスは、魔族の待遇を改善する為に、非番の日を設けたのだった。


 逆に、これまで暇を持て余していた成り損ない達には沢山仕事を割り振っていた。掃除や洗濯もそうだし、人肉工場を探索した事で、冷蔵庫は復旧し、食料合成機や調理場も増設されていた。シュガーは食事係を卒業し、それらは全て成り損ない達の仕事になっていた。とは言え、それらの使い方を教える必要があるので、まだまだシュガーは忙しい様子だったが。


 そんな事があったので、食事のメニューにもバリエーションが増えた。このアジトには色々な場所から成り損ないが集められていたので、調理係によって出てくる料理や味が違う。野菜や調味料はまだ不足しているので、物足りない部分はあったが、それでも食に彩が増えて、みんな喜んでいた。


 成り損ないはスキルの解放に失敗しているので、特別な力も、技能もない。だからイブリスは、とりあえず当番制で色んなことをやらせてから、適性ややる気を見て持ち場を決めるつもりらしい。そういうルールをせっせと作っている所を見ると、ちゃんと王様なんだなとクリスタは感心した。


 シュガーはなんでも出来るが、クリスタにしか興味がないので、率先して人助けに動く事はあまりなかった。クリスタも、戦う事しか能がないので、出来そうもない。


 だから、イブリスは魔王の威厳がなくなる事を心配していたが、そんな事はないんじゃないかとクリスタは思うのだった。


「とんでもねぇ! 俺ぁ、毎日腹いっぱい飯が食えるってだけで幸せなんでさぁ! その上、自由な時間まで貰っちまって。全部クリスタ様と天使様のお陰なんでさぁ! なのに俺ぁ、とんだ失礼をしちまって! だから俺ぁ、クリスタ様と天使様の為だったらなんだってするって決めたんでさぁ!」


 シュガーが配布した粗い手拭いで額を拭いながら、オルグは言った。他の二人の魔族は彼の子分らしく、同じように頷いている。


 ハンバーグの一件で、オルグはすっかりクリスタとシュガーを崇める気になってしまったらしい。あの時は、腹が減って気が立っていたという事もあるのだろうが、別人のように丸くなっていた。

 クリスタとして、恐縮するばかりである。


「そんな事ないですよ。イブリスさんや魔族の皆さんが力を合わせて頑張ってたから、神様も僕達をここに導いてくれたんだと思います。僕なんか、たまたま神様に選ばれただけで、ただの成り損ないのノーマンですから。クリスタ様なんて呼ばれたら、恐れ多いです」

「そう言われても、俺だって救世主様を呼び捨てにするのは恐れ多いですぜ。本当は、名前を呼ぶのだって申し訳ねぇくらいですよ」


 二人の子分もしきりに頷いている。


 クリスタは困ってしまった。本当に自分は、シュガーの力を借りているだけの、臆病で泣き虫な無能者なのだ。ただ、たまたま力を授かってしまったから、その力を正しく使おうとしているだけなのである。偉い所など何もないし、威張りたくもない。普通に接して欲しかった。


 そして、クリスタは少し不安になった。イブリスの言う心配とは、こういう事なのかもしれない。クリスタの強さやシュガーの万能さは、はっきりと目に見えて分かりやすい。一方で、イブリスの仕事は地味で分かりにくい。とても大事な事だと思うのだが、評価されにくい事なのかもしれない。


 そんな風に人が思う気持ちは仕方のない事かもしれないが、クリスタは王様なんか絶対無理だし、なりたくもなかった。イブリスは心からノーマン達の未来を案じて頑張っている。そんな人の邪魔はしたくなかった。


「じゃあ、それはいいですけど……イブリスさんだって物凄く頑張ってるので、その事は忘れないであげて欲しいです……」


 手柄を盗んだような気持ちになって、クリスタは言った。


「それは勿論! 魔王様あっての俺達でさぁ! 拾って貰った恩は、一生忘れやしませんよ! なぁ、お前ら!」


 うす! と子分たちが頷く。それを見て、余計な心配だったかなと、クリスタは安心した。


「しかし、クリスタ様は本当に強えぇですね。三人がかりでも、手も足も出ませんぜ」

「天使様の力をお陰ですよ。それに、技術とか咄嗟の判断なんかは全然ダメなので。相手をして貰って、助かりました」


 本音を言えば、それ程訓練にはならなかった。実戦を経験すると、組手なんかお遊びに感じてしまう。それでも一人で案山子相手に剣を振っているよりはマシだし、わざわざ非番の日に手伝って貰ったので、余計な事は言わなかった。それに、みんなを守る力が欲しいので、多数を相手に訓練が出来るのは、ありがたいのだった。


「クリスタ様の力になれたんなら本望でさぁ!」

「ところで、ウルフさんはまだダメな感じですか?」


 これ以上持ち上げられたくないので、クリスタは話題を変えた。


「えぇ。あの野郎、まだ寝込んでますぜ。もう俺は肉は食えねぇとか抜かしやがって。折角腹いっぱい食えるようになったのに、罰当たりな野郎ですよ」


 人肉工場の件が余程ショックらしく、あれ以来ウルフは寝込んでしまっていた。


「心配だなぁ……」


 クリスタは密かに、ウルフの事をお兄ちゃんみたいに思っていたので、胸が痛かった。


「平気ですよ! なんだかんだ言ってあの野郎、腹が減ったらこっそり調理場に忍び込んで食ってんですから! なにを見たのか知りやせんが、意地張ったって腹ペコには敵わねぇんですよ!」


 ぶひぶひと、豚っ鼻を鳴らしてオルグは笑った。まぁ、食べれているのなら大丈夫だろう。あまりひどいようなら、シュガーに相談して、クリスタもお世話になった不安のなくなる薬を分けて貰う手もある。












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