第39話 QOL

 合成肉のハンバーグが振る舞われた後、早速イブリスは二人を私室に招いて今後の方針を相談していた。


 クリスタとしては、そういう難しい事はよくわからないので、言われた事はなんだってやるつもりだったのだが、それじゃ駄目だとシュガーに言われた。


「こうなってしまったからには、これからマスターは色んな人と関わる事になるんですから。今のままじゃ人が良すぎて、良いように使い潰されちゃいますよ! そうならない為にも、イブリスとの会議に加わって、社会経験を積んで下さい! マスターを立派な社会人にする為に、これからは私も心を鬼にして、ビシバシ厳しくしますからね!」


 救世主としてノーマンズランドに迎い入れられた事で、シュガーの方でもなにか心境の変化があったらしい。最初はあんなに渋っていたのに、やるとなったら、クリスタよりもやる気を燃やしていた。


 クリスタとしては、シュガーが前向きになってくれるのは望む所だった。彼女の言い分も、もっともだと思った。クリスタは戦士の家系なので、訓練ばかりして育った。いじめられっ子で友達もいなかったので、世の中の事にも疎かった。別に言われた事をやるだけでもいいんだけどなぁ、とは思いつつ、神様から貰った大いなる力を正しく使う為には、もっと色々な事を学んだ方がいいのだろうと思ったのだ。


 それで色々話し合って、まずはノーマンズランドの地盤を固めようという事になった。


「夢を見るのはいいですけど、ここは私とマスターの愛の巣でもあるんですから! まずはそれに相応しい生活水準を確保してからです!」


 シュガーは盛んにQOLクオリティーオブライフの向上を訴えていた。確かにクリスタも、以前の居心地のいいダンジョン暮らしに慣れてしまっていたので、臭くて汚いノーマンズランドでの生活はちょっとキツイなと思っていた。魔王もそのつもりだったらしく、異論はなかった。


 で、手始めに、不足している水問題を解決する事になり、翌日ウルフと共に、普段水源にしている谷間の川へとやってきたのだった。


「すみません。なんか、乗り物みたいに使っちゃって」


 ウルフの背中から降りると、気まずそうにクリスタは言った。


「馬鹿言うなよ! お前の働きを考えりゃ、乗り物になるくらい安いもんだぜ!」


 親し気に笑うと、ウルフは背後を流れる川を振り向いた。


「遺跡の周りにも水場はあるんだが、悪魔の呪いが怖いからよ。毎日何時間もかけてこの川に汲みに来てるんだ」


 ウルフの足でも一時間程かかる場所だった。彼は足が速い方なので、他の魔族では何倍もかかるらしい。


「二百人分をここからですか? それは大変ですね……」

「商人どもから奪ったインベンターって神具を使ってるんだ。奇跡の力で、しまいたい物を見えない倉庫に送り込んで出し入れ出来るんだ」


 そう言って、ウルフが左腕嵌めた銀色の腕輪を掲げた。それがインベンターらしい。


「天使様のどこでも倉庫みたいな感じですか?」

「多分な。珍しい物だし、便利な神具だから他の仕事でも使ってる。入る量には限度があるから、こいつを使っても水は全然足りないんだ」


 喉を潤すだけで、膨大な量になるだろう。水浴びや掃除に使える余裕などあるはずもない。


「天使様はお前を連れて行けば全部解決だって言ってたが、いけそうか?」

 色々あったが、ハンバーグをご馳走されて、ウルフもシュガーの事を天使様と呼ぶ事にしたらしい。ウルフはクリスタの事も救世主様と呼ぼうとしていたのだが、それは恐れ多いので断った。そんな風に誰かに言われる度、みんなと同じように接して欲しいとお願いしている。


「シュガーが言うなら、そうなんじゃないかと。僕も、どこでも倉庫にどれくらい入るのか試した事ないので分からないですけど」


 クリスタはシュガーのスキルを借りてるだけなので、どれくらいの事が出来るのかはよく分からないのだった。


『シュガー、聞こえる? 川に着いたけど』

『はーい。適当にどこでも倉庫に入れて貰えれば、あとはこっちでどうにかしますので~』

『うん。分かった』


 言われて、クリスタは水面に手をかざした。あまり遠くなければ、直接触れなくてもどこでも倉庫に送れるのである。手の近くの水が、見えない口に飲み込まれるように消えていく。


『もっとじゃんじゃん送っちゃって大丈夫ですよぉ』

『はーい』


 もっと広い範囲をイメージして、収納! とクリスタは念じた。

 途端に、数メートルの範囲で川が干上がった。


「天使様の力ってのはとんでもねぇな……」

「僕も驚いてます」


 苦笑いでクリスタも答えた。最近は、かなり慣れてきたが。


『腐った浄化槽を洗ったら汚水をそっちに戻すので、しばらく暇を潰しててもらっていいですかぁ?』


 心の声で頷いて、クリスタは言った。


「しばらく待機だそうです」

「そうか。なら、釣り竿でも持ってくるんだったな」

「いいですね。僕、釣りってやった事ないので、いつかやってみたいです」

「そういや、お前の変身スキルってので作れないか?」

「どうでしょうか。練習中だし、僕、釣り竿ってどんな物かよく知らないので」

「棒切れに鉤針のついた糸がくっついてるだけなんだが、言うほど簡単じゃないか」


 ウルフが苦笑する。

 とりあえずクリスタは試してみる事にした。シュガーからも、変身スキルは使い勝手がいいから、慣れておいた方がいいと言われている。


「……変身」

「おぉ! ……なんか違うな。惜しいんだが」


 出来たのは、剣の握りみたいな硬い棒に太い縄と大きなフックがついた不格好な代物だった。釣り竿というよりも、奇妙な武器という感じがする。


「すいません……」


 しょんぼりするクリスタの肩を、励ますようにウルフが叩いた。


「いちいち謝んなよ! お前は十分すげぇんだからよ! 救世主様なんだ。もっと自信を持てって!」

「うぅ、頑張ります……」


 イブリスにも、人々を導く立場になるのだから、もうちょっと格好をつけろと言われていた。そういうのとは対極の人生を送って来たクリスタなので、中々の難問である。


 と、不意にウルフは川上に視線を向けた。


「ワニだ。あぶねぇから、岸から離れといた方がいいな」


 視線を追うと、四、五メートルはありそうな巨大なワニが水面の近くを泳いでいた。口は身体の三分の一程もあり、ごつごつした表皮は鎧のように硬そうである。

 それを見て、クリスタはふと思った。


「待ってるだけじゃなんなので、あのワニ、狩っちゃいませんか?」

「はぁ!?」

「昨日のハンバーグで持ってきた食料全部使っちゃったので。今日のご飯が寂しかったら、みんながっかりしちゃうかなって……」


 昨日の夕食の際、泣きながらハンバーグを頬張るノーマン達の顔は、クリスタの心に強く焼き付いてた。嫌われてしまったと思っていたオルグでさえ、ありがとうと泣きながら抱きしめてくれた。作ったのはシュガーだが、一応、クリスタの狩った魔物の肉を使った料理である。自分の頑張りで誰かが救われ、笑顔になってくれた。それはなんだか、とても嬉しくて、気持ちの良い事だった。だからクリスタは、またみんなを喜ばせたいと思っていた。またお腹いっぱい食べて貰って、二度とひもじい思いをさせたくないなと思うのだった。


「まぁ、お前の倉庫があれば持って帰れるし、狩れるんならその方がいいんだろうが。この川、結構深いし流れが速いぜ?」

「はい。なので、釣りましょう」


 思いついて、クリスタは変身でオリジナルの釣り具を作った。それは、返しのついた鋭い槍に、太い鎖が繋がった道具である。


「これを思いきり投げて突き刺して、力づくで引っ張るんです」


 それを聞いて、ウルフは腹を抱えて笑った。


「うははははは! そんなの、釣りとは言わねぇよ!」

「そ、そうですか?」


 釣りというものを良くわかってなかったので、クリスタは恥ずかしさで赤くなった。


「でも、いい考えだ! 流石は救世主様だな!」


 わしわしと、ウルフに頭を撫でられて、クリスタはいい気分になった。

 もし父親が生きていたら、こんな感じなのかもしれない。

 そんな風に思ったのだ。


 †


「はーい! 水は幾らでもありますからね! 遠慮なく使って、ガンガン洗って下さいよー! 天使の私がやって来たからには、不潔も悪臭もさようならです! 浄化槽を洗ったらろ過システムを稼働できるので、水洗トイレもシャワーも洗濯機も使えますからね! ついでに自分の身体も洗っといてください! ちょっとそこ! なに泣いてんですか! そんな暇ありませんよ! マスターが戻ってくるまでに、ここをピッカピカにしてびっくりさせるんですから! 成り損ないの皆さんのニートタイムはもう終わりです! 今日からは私の手足となって、きりきり働いてもらいますからね! え? バケツとモップが足りない? 生産スキルで作るので、使わないガラクタ適当に持ってきてください!」

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