第36話 わぁっ!

「えぇぇぇ!」


 驚いて、クリスタは悲鳴をあげた。スキルって凄いんだなと、改めて感心する。


『質量や分子間力に干渉して、無意識に自己の身体的同一性を補強、保持してるんでしょう。あとは、M効果による運動エネルギーの偏向と拡散ですね。M粒子に適応した人間の中では、ソルジャータイプによく見られる現象ですけど、豚ちゃんのそれは特に強力みたいです』

『なに言ってるのか全然わかんないよ!?』


 怒り狂ったオルグから逃げ回りながら、心の中でクリスタは叫んだ。


 真っ赤になって暴れるオルグは、先程よりも厄介な相手になっていた。力任せに手足を振り回すだけなのは同じだが、力が物凄く強くなっており、剣で叩き落とそうとしても、逆に弾き返されてしまう。剣で叩いた感触も、鉄のように硬くて手がジンジンする。


『豚ちゃんの身体は物凄く硬くて元の形を保とうとする性質がある上に衝撃を逃がす力があるって事です。なので、ちょっとやそっとの物理的攻撃は全然効き目がないですね』

『そんなぁ! それじゃあ勝ち目がないよ!』

『そんな事ないですよ。豚ちゃんの頑丈スキルを上回る威力を持った攻撃を加えればいいだけですから』

『そんな事、出来るの?』

『勿論。今のマスターの力だとリミッターを一つ解除しないといけないですけど。思いきりひっぱたいて、ぐちゃっと潰して、ジ、エンドです』

『ぐちゃって……それ、オルグさん死んじゃわない?』

『んー、どうでしょう。リミッターを解除したマスターが力を制御出来るとは思えないので……まぁ、運が良ければ死なない事もなくはないかと』

『駄目だよ! 絶対駄目! そんな事したら、他の人達も怖がって仲間に入れてくれなくなっちゃうよ!』


 オルグは乱暴者だが、ノーマンズランドの国民なのだ。そんな、グチャ! なんてしたら、大事である。


『もっと優しく倒す方法ないかな? 例えば、オルグさんが自分から降参してくれるような奴』

『んー、そうですねぇ。ヴァンパイアハック眷属スキルを応用して、豚ちゃんの脳ミソに干渉するとか? 失敗すると、廃人になりますけど』

『全然優しくないよ!?』

「――うわぁ!?」


 心の中で作戦会議をしていると、不意にクリスタは足を滑らせて尻餅を着いた。床に着いた手が、臭い汁で濡れていた。どうやらオルグの撒き散らした汗らしい。豚の魔物は、全身から滝のように汗を流してこちらに突進している。


 やられる!

 ゾッとして、クリスタは剣を横に構えた。そんな事をしても無駄なのは分かっていたが。


「もらったぁあああああ!」


 直後、オルグの振りかぶった渾身の蹴りが顔面に突き刺さった。

 あ、死んだ。そう思いながら、クリスタは凄まじい勢いで背後に吹き飛んだ。


 あれ? 死んでない? っていうか、痛くない?

 不思議に思いながら、クリスタは空中で一回転して綺麗に着地した。


 多分だが、オルグの蹴りは当たっていなかった。その直前に、凄まじい突風に吹き飛ばされたような、そんな感覚である。


『M効果による運動エネルギーの偏向拡散現象を応用した疑似エアバッグですね。えーと、マスターに分かるように言うなら、見えざる天使の盾といった所でしょうか。マスターの意思とは関係なしに自動展開するので、豚ちゃんの頑丈スキルなんか目じゃないくらい安全ですよ』

『……なんか僕、ものすごいズルをしてる気分になってきたんだけど』


 申し訳なくなって、クリスタは言った。こんなの全然フェアじゃない。力を示す為の戦いなのだから仕方ないのかもしれないが、複雑な気分のクリスタだった。


『神様に選ばれるってそういう事なんじゃないですか? それに、ズルいくらい強くないと、豚ちゃんもマスターの事救世主だって認めてくれないでしょうし』

『それもそっか』


 なんだか、クリスタは怖がっているのが馬鹿みたいに思えてきた。クリスタは臆病者だが、流石にこれだけあれこれズルい力で助けて貰って怖がれる程ビビりではない。むしろ、これだけ凄い力を貰ったんだから、ちゃんと役目を果たさないと駄目だと思った。


「ちぃ。てめぇも頑丈持ちか」


 平気な顔をしているクリスタを見て、忌々しそうにオルグは言った。


「……そうですよ。だって僕は、救世主ですから」


 違うのだが、そういう事にしておいた。

 半ば自分に言い聞かせるように、クリスタが呟く。

 そして、自分を護ってくれる頼れる守護天使に尋ねた。


『ねぇシュガー。前に見せてくれた音を操るスキル、あれって、今の僕でも使えるかな?』

『使えるの度合いによりますね。全く練習してない状態ですけど、私の方でサポートすれば、聴き慣れた声や音を再現するくらは出来るかなと』

『そんなに難しい事をしたいわけじゃないんだ。えっとね――』


 クリスタの意図を知って、シュガーは感心した。


『流石マスター! それならきっと、怪我をさせずに豚ちゃんを倒せますよ!』

『周りのみんなが大丈夫なように出来る?』

『はい! 逆波形で相殺して、効果が限定的になるように調整しますので!』


 よくわからないが、出来るという事なのだろう。

 それを知って、クリスタはオルグに向かって剣を向けた。


「次の一撃です。それで、オルグさんを倒して見せます」

「はぁ? 逃げ回ってるだけの臆病者が、デカイ口叩くじゃねぇか! ならその一撃、何もしないで受けてやるよ! それで俺を倒せなきゃ、てめぇの負けだ! いいな!」

「はい。それじゃあ、行きますよ!」


 クリスタは駆けだした。オルグはグッと身体に力を込めて、腕組みをして待っている。頑丈スキルの効果が上がったのだろう。真っ赤になった身体は色を濃くし、乾いた血のように赤黒くなっている。


「来いや! 成り損ない! どんな攻撃だろうが、俺の頑丈には効きやしねぇぞ!」


 凄むオルグの目の前で、クリスタは変身で作った剣を収納した。

 自由になった両手でぎゅっと耳を塞ぐ。


「わぁっ!」


 そして叫んだ。


 ただの大声は、音響機能によって増幅され、衝撃波のような破壊音となってオルグの全身を揺さぶった。

 そんな事をしても、頑丈スキルで強化されたオルグの身体には傷一つつかなかった。鼓膜も頑丈になっているので、破れたりはしない。

 だからオルグは、雷の直撃を上回るような大音をもろに聞いてしまった。

 オルグの頑丈は神経や脳にも作用していたが、頑丈なだけで機能は一般的なそれと大差ない。

 なので、想定外の強烈な信号を受けて、脳は一時的に機能を停止してしまった。


 白目を剥いて気絶したのである。

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