第34話 小さな一歩


 全部イブリスの予想通りだった。


 魔族の大半は境遇に不満を抱えていて、爆発寸前だった。加えて魔族は、成り損ないよりも神に恨みを持つ者が多かった。特にオルグは醜い豚の姿に激しいコンプレックスを持っていて、その事で神を恨んでいた。だから、今更救世主だなんて言ったって納得しないだろうとイブリスは読んでいた。


 他にも、大なり小なり不満や疑問を持つ者はいるだろうから、この機会に一掃しようという事になっていた。方法は二段構えで、その一つが武力だった。


 魔族は強いが数が少ない。勇者隊に太刀打ちできる程の力を持つ者はさらに少ない。遺跡やアジトの外のダンジョンには、魔族でも危険な魔物や、彼らが神の使いと呼ぶムータンティガーのような怪物がうようよいるのだ。


 だから、救世主を名乗るのに、強さを見せつけるのは分かりやすい手だった。


 最初はシュガーがその役をやると言い出したのだが、そんな事はさせられないとクリスタが止めていた。それに、二段構えのもう一方はシュガーの役目なので、それではクリスタのやる事がなくなってしまう。


 イブリス的にも、天使がなんでもかんでもやってしまうより、成り損ないのクリスタが力を示した方が効果は大きいと踏んでいた。勿論、クリスタにそれが出来るだけの力があるのなら、という前提でだが。


 クリスタを含め、シュガー以外の全員が懐疑的だったが、シュガーは断言した。


「あんな豚ちゃんに私のマスターは負けませんよ。余裕のよっちゃん、楽勝です」


 信じられないが、だからと言ってシュガーを矢面に立たせるわけにはいかないし、そうしなければオルグのような不満を持っている魔族を抑えられないので、クリスタは引き受ける事にした。


 救世主というのはイブリスがでっち上げた方便だが、クリスタの使命感を言葉にすれば、同じような事だった。ならば、オルグに勝つ力もあるのかもしれない。そんな風に思うのは、驕りだろうか? クリスタは不安だったが、同時に少しずつ自分の力を認め、信じつつあった。とはいえ、それは吹けば消し飛ぶような自信で、不安や恐怖の方が圧倒的に勝っていた。


 そういうわけで、集会場兼運動場は、即席の決闘場に早変わりしていた。と言っても、ギャラリーが壁側に退いただけだ。


 真ん中では、クリスタとオルグが向き合っていた。オルグは睨みつけていたが、クリスタは怖くて視線をそらしていた。身長は頭二つ以上、体重だって数倍は違っている。クリスタはすっかり怖気づいて、足が震えていた。僕、殺されちゃうんじゃ……本気で不安になり、涙が滲んだ。


「なさけねぇ! このガキ、ビビって泣いてやがるぜ! これのどこが救世主だ! 馬鹿馬鹿しい! 魔王様はどうかしてるぜ!」


 その通りだとクリスタは思った。怖くて顔もまともに見れない。こんな怪物に勝てるなんて少しでも思った自分はどうかしている。


『マスター。マスター。聞こえますか? 私は今、マスターの心の中に直接語りかけています』

「ぇ!?」


 突然頭の中にシュガーの声が響いて、クリスタは驚いた。振り返ると、シュガーがニコニコしながら手を振っている。変身で作ったのか、両手には人の頭くらいある綺麗な黄色いふさふさを持っていた。雰囲気的に、応援に使う道具なのだろう。


「はっ! 天使様が恋しいか? 赤ん坊みたいにべったりしやがって! それでもお前男かよ!」


 オルグが煽って来るが、それどころではない。


『びっくりしました? えーと、遠話スキルとでも言っておきましょうか。私の一部はマスターと同化してるので、こうやって離れてても心の中で会話出来るんですよ。マスターも、心の中で喋ってくれれば聞こえるので』

『そ、そうなんだ。びっくりしちゃった』

『えへへへ。マスターと直接お喋りしたかったので今まで使わなかったんですけど、こういう事態なので、機能解除アンロックしちゃいました。緊張してるみたいなので、応援しますね! フレーフレーマスター! 頑張れー! 頑張れー! マスター! どうです? 元気出ました?』


 黄色いふさふさを振り回しながら、心の声でシュガーが応援した。


『うん、ありがとう……』


 緊張は和らいだが、怖いのか変わらなかった。


『大丈夫ですよ。マスターの実力なら余裕ですから。私を信じてください。この戦いは、マスターが自分の力を知る良い機会です。豚ちゃんには精々当て馬になって貰いましょう』


「おいクリスタ! どうした? 始めるぞ!」


 審判役のウルフに言われてハッとした。


「ぁ、はい……」


 シュガーとのやり取りに気を取られて聞き逃していたらしい。


「あくまでも力試しだ。多少の怪我は仕方ないが、大怪我させるような真似はするんじゃないぞ」


 無意識だろうが、その言葉はほとんどオルグに向けられていた。内心では、ウルフも不安に思っているのだろう。当然だ。本人ですら勝てるとは思っていないのだから。


「手加減しろってか? 馬鹿くせぇ! そっちの白い女は回復スキルを使えるんだろ? なら、怪我させたって問題ねぇじゃねぇか!」

「それは――」

「大丈夫ですウルフさん。本気でやらないと、意味がないと思うので……」


 そんな言葉が口から出て、クリスタは自分で驚いた。相変わらず怖いが、シュガーと話したおかげで気持ちはだいぶ落ち着いてきた。もう、後戻りは出来ないのだ。勝たなければ、色んな人に迷惑がかかる。イブリスは信用を失い、魔王の座を追われるかもしれない。成り損ないの人達は追い出されるし、今後は追放された成り損ないが救われる事もない。そうなったら多分、ノーマンズランドは意味を失い、崩壊するだろう。イブリスが希望を与えたから、なんとか持っているような状態なのだ。そう思うと、クリスタは物凄い責任を感じた。逃げ出したい。でも、頑張らないと!


 それは不思議な感覚だった。恐ろしくて怖くて重荷なのに、同時に心地よくもあった。無価値で無能な自分に、こんなにも大きな意味が与えられている。つまりもう、自分は無価値ではないという事だ。期待に答えたい。押し付けられた誰かの意思ではなく、自分の意思で。心の底から、クリスタはそう思った。


『大丈夫ですよ。マスターなら出来ます』


 心の声を読んでシュガーは言った。


『……うん。見ててシュガー。僕は、絶対に勝ってみせるから!』


 自信はない。

 けれど、そんな事は関係ない。

 男の子には、怖くたって戦わなくちゃいけない時があるんだ!


 ――そしてウルフが、戦闘の開始を告げた。

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