第33話 証明

 イブリスの演説に、ノーマン達は騒然としていた。


 彼らの信じていた現実が破壊され、新たな別の現実が突きつけられている。あまりにも荒唐無稽で、今まで信じていたものと相反するそれを飲み込むには、誰もが時間を必要としていた。


 だから、イブリスはただ待った。


 やったわねみんな! あたし達はみんな救われるのよ! そんな風に見える微笑を湛えて、得意気に腕を組んでノーマン達を睥睨している。


 クリスタはまだ緊張していた。イブリスの予想では、この後にもうひと騒動あるはずだった。そしてそれは、クリスタの身に降りかかってくるはずなのである。


「救世主? あいつが?」

「天使って、マジかよ……」

「でも、テユーは救われたんでしょ?」

「俺達、助かるのか? もう一度、真っ当な、人間みたいな暮らしが出来るのか?」


 薙いだ水面にぽつぽつと泡が浮き上がるように、静寂の中に心細い呟きが飛び交った。


「救世主だ! 俺達は、神に見捨てられたわけじゃなかったんだ!」


 イブリスの目配せを受けて、ウルフが叫んだ。今度は先ほどよりも、少しはマシな演技だった。シュガーは退屈そうに、欠伸をしていた。

 黒狼の叫びが呼び水になって、陰鬱な集会場に歓喜の声が溢れ出した。


「やった! やった!」

「天使様がついてるんだ! これからは、なにもかもが良くなるに違いない!」

「信じていいのね? あたし達も、幸せになれるって。明日を夢見ていいのよね!?」

「ちょっと待ったぁ!」


 野太い怒声が柔らかな空気を破壊した。

 言ったのは、予想通りオルグだった。


「こんな情けぇ面の成り損ないが救世主だぁ? そんな話、俺は信じねぇぞ!」

「どうしてそう思うのかしら?」


 イブリスは慌てずに、落ち着いた声音で尋ねた。


 背丈では三倍も違う巨大な豚の魔族を相手にして、少しも怯えた様子はない。凄いなとクリスタは思った。直接向き合っているわけでもないのに、クリスタは怖くてチビってしまいそうだった。


「どうもこうもねぇですよ! 今更神だ天使だ言われたって、信じられるわけねぇんです! 魔王様は悪魔の力を持ってるけど、魔族じゃない。成り損ないだ! それで、最初っから成り損ないを贔屓してる! 魔族ばかり働かせて、役立たずの成り損ないを養わせてるじゃねぇですか! それで、俺達魔族が不満なのを知ってるから、スキル持ちの珍しい成り損ないを捕まえて来て、救世主だなんだってでっち上げてんでしょう! そうすりゃ、成り損ないも役立たずじゃないって風に見せられるもんなぁ! あんたは、魔族じゃなくて成り損ないの味方なんだ!」


 ぶるぶると怒りに震えながら、オルグが叫んだ。長年溜め込んでいた不満がついに爆発した。そんな感じである。


「おいオルグ! てめぇ、誰にもの言ってんだ!」


 聞き咎めて、ウルフが詰め寄った。


「うるせぇ! てめぇもグルだろうが! 見え透いた芝居しやがって! あいつらを連れてきたのはてめぇだろ! 魔王様にすり寄って、一人だけ美味しい思いしようとしてんだろ!」

「馬鹿言ってんじゃねぇぞ! 魔王様は、大食いのお前の為に自分の飯だって切り詰めてんだぞ!」

「こっちはそれ以上に働いてるんだ! もっと貰ったっていいくらいだ! 大体、魔王様が考えなしに役立たずの成り損ないを増やすのが悪いんだろ!」

「仕方ねぇだろ! 野良の魔族なんかそうそういやしねぇんだ! 成り損ないには魔族みたいな力はねぇ! 助けてやらなきゃ、野たれ死んじまうじゃねぇか!」

「その為に俺達が食い物にされるのは納得いかねぇって言ってんだよ! こんなひもじい思いをするんなら、野盗にでもなった方が幸せだぜ!」

「オルグ! てめぇは!」

「よしなさいウルフ」


 拳を振り上げたウルフをイブリスが止めた。


「けど魔王様!」

「いいのよ。オルグの言い分はもっともだわ。あたしは成り損ないに仕事を用意できずにいるし、その分の皺寄せを魔族に頼ってるのも事実だわ。贔屓だと言われても仕方がない。むしろ、今まで耐えてついて来てくれた事に感謝したいくらいよ」

「魔王様……」


 気勢を失って、ウルフは振り上げた拳を下ろした。

 イブリスはオルグに視線を向け、他のノーマン達を見回した。


「嘘みたいな話だって事はあたしもよくわかってる。オルグのような疑問や、あたしが騙されてるんじゃないかって疑ってる者もいるでしょう。あなた達の王として、あたしには領民の不安を解消する義務があるわ」


 そこまで言って、イブリスはオルグに視線を戻した。


「で、オルグ? あなたの不満は、クリスタが本物の救世主だと証明できれば解消されるのよね? 贔屓じゃなく、彼に本当に、あたし達全員を救うだけの凄い力があるのなら、文句はない。そうでしょう?」

「それは……そうですけど。そんなの、どうやって証明するってんですかい」


 余裕の態度を見せるイブリスに気圧されながら、居心地悪そうにオルグは言った。


「方法は幾らでもあるけれど。そうね、ここはあなたに合わせましょう。役立たずの成り損ないは、どう頑張っても魔族には勝てない。あなたはそう思っているのよね?」

「スキル持ちの戦士にだって俺は負けませんぜ! それこそ、勇者隊の連中が相手だってね!」


 鼻息を荒げてオルグは言った。


「そうねオルグ。あなたはとても強い魔族だわ。この国を守る、優秀な戦士よ。クリスタがあなたに勝てたら、救世主だって認めてくれるかしら?」


 ノーマン達がざわついた。クリスタは、誰の目にも明らかな程頼りなく、弱っちかった。オルグはおろか、その辺の成り損ないにだって勝てそうにない。戦う前に泣きながら降参しそうな臆病者にしか見えなかった。


 オルグは馬鹿にするように鼻を鳴らした。


「どうせ、成り損ないの振りしてなにかスキルを持ってるんでしょう? 魔王様は、俺の事を侮り過ぎだ! こんな小便くせぇガキなんかにこの俺が負けるはずがねぇ! 勝負するなら、約束して貰いますぜ! 俺が勝ったら、もうこれ以上使えねぇ役立たずの成り損ないを助けるのは止めにしてくれ!」

「それだけじゃ足りないでしょう? 彼が負けたら、成り損ないを全員追い出してもいいわ」


 イブリスの言葉に、成り損ない達が悲鳴をあげた。


「安心なさい。そんな事には絶対にならないから。そうでなかったら、こんな約束をするはずがないでしょう? 彼は、間違いなくあたし達を救ってくれる救世主よ。全く全然、なに一つ疑う余地なくね。だから、心配する事なんかなにもないのよ」


 結果を見て来たような顔でイブリスは言った。

 それでも不安なのだろう、成り損ない達の視線が一斉にクリスタに向けられる。


「ぁ、ぅぁ、ぅ……が、頑張り、ます……」


 半泣きになって答えるクリスタに、説得力など微塵もなかった。

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