第32話 救世主
あの後、シュガーは二つ質問をした。
一つは、なんでこんなちびっ子が魔王なんて名乗っているのかという事だ。
イブリスが言うには、彼女は未知の病気で、十歳で成長が止まってしまったのだそうだ。
シュガーは心当たりがあるらしく、悪魔の呪いの仲間みたいなものだと言っていた。
「じゃあ、本当は幾つなんですか?」
「レディーに年を聞くもんじゃないわ」
悪気なくクリスタが尋ねたら、イブリスは得意げにそう答えた。見た目が見た目だから、背伸びしている子供にしか見えなかった。
後でウルフが教えてくれたが、そんな見た目なので、イブリスは子供扱いされるのを嫌っているらしく、大人ぶった事を好むのだそうだ。
もう一つの質問は、自分達の立場はどうするのかという事だった。イブリスやウルフは話が分かるので、クリスタやシュガーが神に選ばれたとか天使だとか聞かされても、目くじらを立てたりはしない。
だが、イブリスは人で無し達を統制するのに、神や教会を敵に仕立て上げているので、そのまま話したら問題が起こるのは明らかだった。
「それについては対策を考えてあるわ」
得意気に笑うと、イブリスはその対策とやらを口にした。
いい考えなのかもしれないが、それを聞いたクリスタは恐れ多くて青ざめてしまった。
†
何もない殺風景な大部屋は、運動場と集会場を兼ねているらしい。
シュガーの見立てでは、元々は物資を保管する為の倉庫なのだそうだ。
そんな場所に、ノーマンズランドのほぼ全ての住民が集められていた。
いないのは、仕事で遠出をしている一部の魔族だけである。
ざっと見積もって、二百人くらいだろうか。大半は成り損ないで、成人したての若者が多かった。極端に若かったり、年をとっている者はあまりいない。成人の日に捨てられた者が大半だと思えば、納得はいった。
魔族は二十人くらいだが、外出組を加えればもう少し多いのだろう。
成り損ないと魔族はなんとなく分かれて集まっていた。
魔族達はまぁまぁ気楽にしているが、成り損ない達はどこか居心地悪そうにしている。
そんな光景を見てクリスタは、村のイケてるグループと冴えないグループみたいだと思った。
冴えないグループは、いつだってイケてるグループの目を気にして、怯えて縮こまっている。自分がそうだったから、そういう雰囲気には敏感だった。
イブリスは金属製の四角い箱の上で腕組みをして、これからなにか凄い発表があるぞ! とでも言いたげに、目の前の国民達に意味深な微笑を振りまいている。
クリスタはその横で、緊張して吐きそうになっていた。顔を上げると沢山の奇異の目が視界に入るので、はふはふと浅い呼吸を繰り返しながら、じっとつま先を見つめている。
「大丈夫ですかマスター? 嫌だったら、いつでも帰っちゃっていいんですからね?」
シュガーはすぐ隣に立っていた。優しく励まして、クリスタの手を握っている。その温かさに、クリスタは自分の手が物凄く冷たくなっている事に気付いた。みんなの前でこんな風に手を繋ぐのは恥ずかしいが、それ以上に恐怖と心細さが勝っていた。いじめられっ子のクリスタは、目立つ事が大の苦手だった。大勢に注目されると、馬鹿にされたり、笑われているような気分になるのだ。
実際、そんなクリスタの姿を見て、笑ったり馬鹿にするような声は聞こえていた。聞き覚えのある声は、豚の魔族のオルグのものだろう。
「……ううん。平気だよ。シュガーがいるから」
天使様の手をギュッと握り返して、クリスタは呟いた。本当は、今すぐ逃げ出して安全な二人だけのダンジョンに帰りたかった。けれど、あそこにはもう戻らないと決めていた。自分には、大事な使命がある。それを果たさないと。生きた屍のような成り損ない達の顔を見ると、全てを投げ出して自分だけ良い思いをしようだなんて、とてもではないが思えないし、したくもなかった。
「マスター……か、かかか、カワユスぅ~!」
そんなクリスタを見て、はぁはぁとシュガーは息を荒げた。
「集まったわね。今日はみんなに、最高の知らせがあるわ!」
バッ! っと芝居がかった仕草で手を振ると、イブリスが言った。
「ノーマンのあたし達は、居場所をなくして、誇りと尊厳も失って、この薄汚いダンジョンに閉じ籠って長い間苦しい生活を強いられてきた。でもそれは今日で終わりよ! あたしはみんなに約束したわよね? 力を蓄え、少しずつ準備をして、きっとこの場所を居心地のいいものにするって! みんなが安心して、何不自由なく暮らせる素敵な王国にするって! 長く待たせてしまったけど、その時がついに来たのよ! 今この時から、あたし達は自由と幸福に向けて歩き出す事が出来る! ここにいる二人の新しい仲間の協力によってね!」
小さな体のどこにそんな元気があるのか、イブリスの声は広い集会場の隅々までよく届いた。華やかな声には希望の色があり、それを信じさせる力強い説得力の響きがある。
困惑して、ノーマン達は騒めいた。
「どういう事ですか魔王様? そいつらは、何者なんですか?」
手筈通り、サクラ役のウルフが大きな声で尋ねた。酷い演技だったが、気にする者はいなかった。
イブリスは、すぐには答えなかった。意味深な薄笑いでウルフを見返し、ノーマン達が静まるのを待った。
「二人とも、自己紹介をしてちょうだい」
言われて、クリスタはドキリとした。頭の中で繰り返していた台詞が、一瞬で零れ落ちる。顔を上げるのが怖かった。緊張で、息も出来ない。
不審がって、ノーマン達がざわついた。それで余計に、クリスタは緊張してしまった。早く何か言わないと! そう思うのだが、足や胸がぶるぶる震えて、声が出せなかった。
「どーもー。ノーマンの皆さんこんにちは~。えー、私はこちらのマスターに忠誠を誓う、天使のシュガーでーす」
順序が逆だったが、先にシュガーが言った。さしてやる気もなさそうに、適当に言って小さく手など振っている。
それで、クリスタも勇気が出た。
無理やり深呼吸をして、顔を上げる。
天使と聞いて、ノーマン達はざわついていた。
怯えるような、恐れるような、恨むような、怒るような、そんな顔だ。なけなしの勇気は一瞬で折れかけたが、そんな時にウルフの顔が視界に入った。
狼の魔族は、力強く励ますように真っすぐこちらを見つめ、頑張れとでも言うように頷いてきた。
勇気を貰って、クリスタも頷き返す。
そして言った。
「僕は、クリスタです。その、神様に選ばれて、ここにいる天使様、シュガーのご主人様になりました。だからその、僕達には特別な力があって、それで、皆さんのお手伝いが出来たらいいなと……」
ノーマン達のざわめきが大きくなり、クリスタの声はかき消された。
「どういう事だ?」
「神は、俺達を見捨てたんじゃなかったのか?」
「天使って、神の裁きで堕落した人間を滅ぼしたんでしょ? あたし達の事も、滅ぼすつもりなんじゃ……」
「静まりなさい!」
イブリスの一喝で、ノーマン達は口を閉じた。間を置けば、すぐに不安で開きそうだった。そうなる前に、イブリスは続けた。
「みんなが困惑する気持ちはよくわかるわ。あたしはずっと、神はあたし達を嫌い、見捨てたんだとみんなに教えてきた。二人と出会うまで、あたしもそう思ってたのよ。だけど、それは違ったみたい。神は、あたし達を見捨てたわけじゃなかったの!」
そう言って、イブリスはノーマンの視線を誘導するように、クリスタに目を向けた。
打ち合わせ通りに、クリスタは右手の甲を掲げた。
それを見て、ノーマン達がまた騒めいた。
「人間の証がない? 成り損ないなのか?」
「神に選ばれたのに?」
そんな声があちこちから聞こえる。
「見ての通り、僕は成り損ないです。成人の日に、スキルの解放に失敗して、村の人達に魔物の住む森に捨てられました。でも、そこで奇跡が起きて、僕は生き延びました。色々あって、天使様と出会って、彼女は僕の事をご主人様と呼んで、奇跡の力で僕を助けてくれました。その後、物凄い偶然でウルフさんと出会って、この場所の事を知りました。僕は……運命を感じました。神様は、ノーマンを助ける為に僕を選び、天使様を預けてくれたんだって。だから、ここに来たんです」
声を震わせながら、なんとか用意しておいた台詞を言った。
イブリスが、よくやったと言いたげに微笑んで頷く。
ノーマン達は、納得してない様子だった。
ならどうして、俺達はこんな目に合ってるんだ! そんな叫びが聞こえてくる。
「みんなの疑問は理解出来る。あたしも最初は信じられなかった。でも、彼らの力を実際に見て考えを改めたわ。今日、一人でアジトを抜け出したテユーが大怪我をしたのはみんなも知ってるわね? 重症で、本当ならただ死を待つだけだったわ。それをシュガーは、あっと言う間に治してしまった――えぇ。それだけなら、強力な回復スキルでどうにかなる。珍しい事だけど、天使と呼べる程ではないわ。でもね、テユーは悪魔の呪いを受けて魔物になりかけていたの。彼女は、それすらも治してしまったのよ。そんな事は、天使でもなければ出来やしないわ!」
ノーマン達が騒ぎ出す。テユーの事は噂になっていたが、回復したばかりなのでこの場にはいなかった。代わりに、妹のピグーが天使のお姉ちゃんが助けてくれたのだと周りに説明した。
「それで、あたしは考えたわ。神はあたし達を見捨ててはいない。けれど、その力は悪魔の妨害によって邪魔されている。だから、神はクリスタに力と天使を与えたの。それだけじゃないわ! 間違った教えが広まっているのは、全て教会のせいなのよ。奴らが神の教えを捻じ曲げて、ノーマンを差別するように仕向けているの。そうでしょう? 神はそんな事を望んではおられないから、クリスタを使って間違いを正そうとしているの。つまり彼は、神に選ばれた救世主なのよ!」
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