第31話 ようこそ、ノーマンズランドへ

「…………本当に天使なの?」


 光ったり変形したり、どこでも倉庫から取り出した冷凍蝙蝠の死体を見せられて、呆気に取られてイブリスは言った。


「まぁ、大体そんな感じですね」


 誤魔化すようにシュガーが肩をすくめる。


「……どうして天使が人で無しの味方をするのよ」

「だーかーらー、そういうのは知らないって言ってるじゃないですか! あたしはマスターと一緒に、ハッピーなラブラブライフを送りたいだけなんです!」


 既に説明した話だったので、面倒くさそうにシュガーは言った。


 クリスタには、イブリスの気持ちが理解出来た。教会の教えは絶対だ。少なくとも、こんな風に人で無しになる前は、当然のように信じていた。神と悪魔は敵対しており、成り損ないや魔族は悪魔側の存在なのだ。実際に成り損ないになった今、疑問に思う事は多々あるが、染みついた価値観はそう簡単には変えられない。


「……えぇ、そうね……これだけの力があるなら、信じる他ないのだけど。ちょっと、頭を整理する時間を頂戴」


 粗末な椅子に腰かけて、イブリースが頭を抱える。

 クリスタとシュガーはベッドに座っていて、場所がないのでウルフは立ったままだ。


「あの、ちょっといいですか?」


 力を持っているのはシュガーの方なので、天使がどうだという話はシュガーが行っていた。その間クリスタは二人の話に耳を傾け、色々考えていたのだ。


「なにかしら」

「その、こんな風に考えるのは思い上がりかもしれないんですけど。シュガーは神様が、なんの意味もなく僕を選んだんだって言いましたけど、僕は違うんじゃないかと思うんです」

「どういう事ですかマスター?」


 キョトンとして、シュガーが尋ねる。


「……上手く言えないんだけど。神様は、誰でもいいけど、でも、誰かを選んだ事には意味があると思うんだ。誰かに力を与えて、それでどうなるのかは、その人に任せる事にしたって言うか。良い事をするのも、悪い事をするのも、その人次第、みたいな? わざわざそんな事をするってことは、神様だって本当は良い事をして欲しいと思ってるんじゃないかと思うんだ。僕が貰った、神様のご主人様の力と、そして天使様のシュガーの力を、正しい事に使って欲しいんじゃないかって。それで……そう! なんの力もない、弱虫で無力な僕が選ばれたんじゃないかな! 僕を成り損ないにしたのだって、こんな風に魔族や成り損ないが困ってるのは良くない事だと思ったからなんじゃないかって! ……思ったりなんかして……あ、あははは、考えすぎかな……」


 言葉にすればそんな気もしたが、言い終わってしまえば気恥ずかしいだけだった。


「ん~。マスターには悪いんですけど、私は違うんじゃないかと。私も創造主に会った事があるわけじゃないんですけど、なんとなくこう本能的に、物凄くどうしようもない自分勝手な変態野郎って気がするんですよね」

「えぇぇ……」


 天使なのにそんな事言っちゃっていいんだろうかと、クリスタは心配になった。


「……その二つは、案外矛盾しないんじゃないかしら?」


 考え込んでいたイブリスは呟いた。


「こんな風に世の中を作ったんだから、神って奴は性悪の変態なのよ。でも、だからといって人で無しの事を嫌っているわけでもない。ただ、変態が好き勝手やったらそうなったってだけなのかも。それで今度は、適当な奴に力を与えて、なにか面白い事が起きるんじゃないかって高みの見物をしてるのかもしれないわ」

「あー、それはなんか、納得ですねぇ」

「いや、納得すんなよ……」


 呆れたようにウルフが呻く。


「まぁ、その辺の事はどうでもいいわ、とまでは言わないけど、今は置いておきましょう。大事なのは、あんた達がとんでもない力を持っていて、クリスタにはあたし達に味方する意思があるって事よ」

「私は乗り気じゃないって事も忘れないで下さいね」 


 パタパタと足を振りながら、シュガーがぼやく。


「でも、クリスタの意思には絶対服従なんでしょう?」

「そうですけど、私にはマスターの健康と身の安全を守る義務がありますので。それが脅かされるような状況なら、マスターの命令を無視する事だって出来るんです」

「なるほどね。まぁ、言ってみただけよ。クリスタの性格は大体わかったから、あんたを不満にさせておくのはよくないみたいだし。そうでなくとも、ここの王として、あんたにも納得して領民になって貰いたいわ」

「無理だと思いますけど。私には、マスターの意思以外にここに移住するメリットがありませんし」

「今はね。でも、あんた達が力を貸してくれれば、ここは見違える程居心地のいい場所に変わるはずだわ。いいえ、変えてみせる。居心地を良くして、住める場所を増やして、住人を増やして、本当の意味で国と呼べるような場所にしていくのよ!」


 ギラついた野望を目に宿しながら、イブリスは言った。


「それって、あなたのやりたい事ですよね?」


 さして興味もなさそうにシュガーは言う。


「そうよ。でも、王の望みは領民の望みなの。領民の望みを叶えるのが王の役目とも言えるわね。この国が大きくなれば、あんただって良い思いが出来るわよ? ご主人様とイチャイチャしたいんでしょう? 国が大きくなれば、それだけイチャイチャできる場所も増えるわよ? 可愛い服に、美味しい食べ物、ロマンチックな場所で、誰に邪魔される事なくしっぽりと」

「…………でへへへへ」


 なにを想像しているのか、シュガーの口元があり得ない程緩んで、だらだらと涎が垂れた。


「ハッ!? だ、騙されませんよ! そんな見え透いた罠! 大体そんな夢物語、叶うはずないじゃないですか!」


 涎を拭って、シュガーは言った。


「どうしてよ? あんたは天使で、万能の奴隷なんでしょ?」

「そ、それはそうですけど……そんな、なんでも願いを叶えてくれるランプの精みたいに思われても困ると言うか……」


 胸の前で指をイジイジしながらシュガーは言った。


「あたしだって、そこまで都合の良い事は考えてないわ。でも、あたしは最初からそのつもりで魔王を名乗ってる。その為の計画も、ずっと考えてた。足りないのは、力だけよ。それが今、目の前にある。なら、あとは実行するだけ。時間はかかるでしょうけど、あんた達が手を貸してくれれば、足踏みを止めて走り出す事が出来るのよ! 勿論、相応の待遇は用意するわ。今は無理でも、将来的には必ずね。なんなら、今からその為のポストを用意してもいい。あたしは本気よ。国を作るって事は、人で無しの存在を世界に認めさせるって事なのよ。そうすれば、あたし達は人間と肩を並べられる。いいえ、人で無しを人間だと認めさせる事だって出来るかもしれない。誰に恥じることなく、迫害される事もなく、自由気ままに太陽の下をあるけるようになるの。そうなればあんたはクリスタと世界中どこでだってイチャイチャ出来るし、クリスタには、それが人で無しにとってどれだけの意味を持つ事か、理解出来るでしょう?」


 生憎、大それた考えすぎて、クリスタにははっきりと理解する事は出来なかった。あまりにも壮大で途方もない考えに、ただただ圧倒されるだけである。


 理解出来たのは、それはとても素敵で良い考えだという事だけだ。

 そして思うのだった。僕はきっと、シュガーと一緒に彼女を助ける為にこの力を授かったのだと。まさしく、神に選ばれた人間に相応しい大仕事だと感じた。ただ一つ、選ばれたのが自分だという事だけは、物凄く不相応で不安に思えたが。


「……物凄く、いい考えだと思います。そうなったらいいなって。僕も、手伝えたらいいなって思います……」


 感動と興奮でぼんやりしながら、クリスタはそう答えるのが精一杯だった。


「口だけは達者なちびっ子なんですから。マスターは単純なんですから、あんまり唆すような事言わないで下さい!」

「えぇぇ……」


 僕って単純なの? ショックを受けてクリスタが呻いた。


「でも、クリスタは完全にその気よ? あんただって、悪い条件じゃないでしょう? というか、あたしにはあんた達の力が必要なんだから、出来る限りの条件を飲むつもりよ。不満があるならいつでも聞くわ。それで、出来る限りどうにかする。後はもう、裸になって土下座するくらいしか手はないわね」


 お手上げという風に、イブリスは言った。


「シュガー……」


 よくない事だと思いつつ、クリスタも懇願するような視線をシュガーに向ける。


「そんな目で見ないで下さい! どっちみち、私はマスターの意思には従いますし。本気でやりたい事が出来たのなら、それを支えるのは私にとっても喜びですから。ただ、な~んかこう、ハードモードな世の中っぽいので、お人好しのマスターが悲しい思いをしないか、色々警戒してるだけなんですから」

「じゃあ、納得してくれたって事!?」


 嬉しくなってクリスタは聞いた。


「まぁ、そういう事にしておきます。足元を見られたくないので、あくまでもとりあえずですけど」

「それでいいわ。不満があれば、その時にまた話し合いましょう」


 そう言って、イブリスは右手を差し出した。


「ようこそ、人で無しの国ノーマンズランドへ」

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