第30話 神が彼らを見捨てたのなら、あたしは悪魔の王になって彼らを拾い上げるわ

「改めて、この国を治める王として、領民の命を救ってくれたことを感謝するわ。ありがとう。本当に……」


 あの後すぐ。

 魔王の私室に場所を移すと、少女は嬉し泣きを堪えるような顔で感謝を告げた。


 魔王の私室と言うには、あまりにも簡素な部屋だった。カールに奪われてしまったクリスタの実家の自室の方が余程大きくて立派だった。家具と言えば、壊れかけの机とベッドと本棚程度。あとは壁に大きな地図が貼ってあるくらいだ。


 シュガーと暮らしていたダンジョンは、規模こそずっと小さいが、一つ一つの部屋はどれも豪華で立派だったので、同じダンジョンでもこんなに違うのかとクリスタは不思議に思った。


「お礼なら私じゃなく、マスターに言って欲しいんですけど?」


 言われて、シュガーはこちらを指さした。

 驚いて、クリスタがぶんぶんと頭を横に振る。


「い、いいよ!? 僕は、なんにもしてないんだから!?」


 本当に何もしてない。シュガーには散々調子の良い事を言っておいて、困ったら都合よく泣きついただけだ。情けないと思われはしても、褒められような事はなに一つしていない。


「なに言ってるんですか! 私はマスターの万能奴隷なんですから! 私の手柄はマスターの手柄なんです! っていうか、マスターがやれって言わなかったら絶対助けませんでしたし!」


 胸を張ってシュガーは言う。

 クリスタとしては、自分以外にも優しくしてあげて欲しいと思うのだが、シュガーにはシュガーの考えがあるので、う~んと思うが、あえて指摘はしなかった。


「万能奴隷?」


 聞き咎めて、魔王が呟く。


「万能メイドって言ったんですよ」


 即座にシュガーが言い返す。


「いや、でも――」

「耳糞が詰まってて聞き違えたんじゃないですか? 小汚い恰好してますし」


 言われて魔王は真っ赤になった。


「シュガー! 失礼だよ!」

「おい。テユーを助けてくれた事には感謝してるが、魔王様を侮辱するのは許さねぇぞ。ここじゃ水は貴重なんだ! 魔王様は、俺達の為に我慢してんだよ!」

「見栄を張る余裕もないくらい困窮してるってだけでしょう? そんな事、胸を張って言われても困るんですけど」

「安全な居場所があるだけでもありがてぇんだ! 同じ人で無しなら、分かるだろうが!」

「私は天使ですし? それに、ワンちゃんだって知ってるでしょ? 私とマスターの愛の巣は、こんな死にかけたダンジョンよりもずっと立派で綺麗なんです。マスターの希望じゃなかったら、誰がこんなゴミ溜めに来るもんですか」

「――てめぇ、この!」

「いいわ、ウルフ」


 疲れたように、魔王が手を振って制止する。


「でも!」

「あたしがいいって言ってるのよ」


 十歳くらいの少女にしては、ウルフを睨んだ魔王の目には貫禄があった。思わず、はた目で見ていたクリスタが怖くなる程である。


「……すいません。俺は、ただ」

「分かってる。こんな所でも、あたし達にとっては掛け替えのない居場所よ。誰だろうと、侮辱する権利なんかない。とは言え、この女はあたし達に必要な物を色々持ってるようだし。それ以上の見返りがあるのなら、我慢して交渉する余地はあるでしょうよ」


 溜息をつくと、魔王クリスタを振り返った。


「で、マスターさん? あなたの名前は?」

「く、クリスタです」

「そう。テユーを助けてくれた事、感謝するわ。あたしは、この人で無しの国ノーマンズランドを統べる魔王、名はイブリスと名乗っているわ」

悪魔の王イブリスって。それ、偽名ですよね? ここじゃみんな、変な名前を名乗るのが流行ってるんですか?」

砂糖シュガーに言われたくねぇよ」


 ぼそりとウルフが呟く。


「がぁ!? これは、マスターがつけてくれた大切な名前なんです! 馬鹿にしたらぶっ飛ばしますよ!?」

「同じ事だよ! 俺達は、親や兄弟にも見捨てられた人で無しなんだ! だから、人間の名前を捨てて、自分で決めた名前を名乗ってんだよ!」

「あんた達、一々喧嘩しないと気が済まないの?」


 呆れるようにイブリスが肩をすくめる。


「なんでもいいけど、クリスタは彼女のご主人様で、彼女はあなたの命令に絶対服従って事でいいのよね?」


 汚れた髪を重そうにかき上げると、イブリスは言った。


「そういう事はしたくないんですけど、色々あって、そんな感じです」


 自分の立場を測りかねて、困り顔でクリスタは言った。


「そう。なら、そっちのクソ女のご機嫌を伺う必要はなさそうね」


 ニヤリとして、イブリスが言った。


「んが!? くくく、クソ女!?」

「そう聞こえたのなら、耳が悪いんじゃない? あたしは慈悲深いご立派な天使様って言ったのよ」


 仕返しのつもりだろう、挑発的な笑みを浮かべてイブリスは言った。


「ムキー! 聞きましたマスター! これがこの女の本性ですよ! ちびっ子の癖に、ブラックホールもびっくりの腹黒です!」

「あははは……」


 先に意地悪を言ったのはシュガーなので、クリスタは笑って流しておいた。


「それでクリスタ。ウルフと一緒に来たという事は、あたしの国の民になるという事だけど、大丈夫かしら? 聞いた感じだと、あなたには他に、もっとマシな住処があるようだけど」


 言われて、クリスタは少しだけ迷ってしまった。


 人で無しの国と聞いて、クリスタはもっと素敵で楽しい場所をイメージしていた。魔族も成り損ないも、みんな仲良く、平和に暮らしているような場所だ。


 実際は、全然違った。ここには、本当に最低限の物しかない。あるいは、それすらもないのかもしれない。危険で、不衛生で、食べる物にだって困っているのだろう。怖い人もいて、仲間内でもいがみ合っている。


 考えるまでもなく、シュガーと二人きりで居た頃よりも大変で辛い目に合うのは明らかだった。

 けれど、そんな風に迷う事は、いけない事だとクリスタは思った。


「はい。シュガーと二人で一生閉じ籠ってるわけにもいかないので。その、シュガーは天使様で、僕もその、神様に選ばれちゃったみたいで。だからこの力は、独り占めしちゃいけないんじゃないかって……」

「それで、人間以下の暮らしをしてる人で無しのあたし達に同情して、助けてくれるってわけね」

「……そういう事なんだと思います。その、シュガーが嫌じゃなかったら、ですけど」


 気になって、クリスタはシュガーの顔色を伺った。

 案の定、シュガーは不満そうに物凄く大きく頬を膨らませている。


「私は嫌ですよ! こんな場所、どう考えたってマスターの健康に良くないですし、どーせその女、マスターのお人よしにつけ込んで私達の事めちゃくちゃ扱き使うに決まってますもん!」

「うぅぅ……」


 そう言われると、困ってしまうクリスタだった。

 そんなクリスタを見て、イブリスはニヤリと笑った。


「その女の言う通りよ。あたし達はその日のご飯にも困るくらい困窮している。だから、使える物はなんでも使う。と言っても、ここで使える物なんて、人手くらいしかないわけだけど。あなた達にどれ程の力があるのか分からないけど、回復スキルと魔物化を止められるってだけでも十分価値があるわ。だから、あたしはあなた達をなんとしても領民に引き入れたい。だからそうね、焦らないで、ゆっくり交渉しましょう。まずはあなた達が何者で、なにが出来るか。もう少し詳しく教えてくれないかしら?」

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