第29話 ヴァンパイアハックシステム

「こいつが魔王ですか? な~んか、イメージと全然違いますねぇ」

「シュガー!?」


 慌てて窘めるが、内心ではクリスタも同じような事を思っていた。


 その部屋は、怪我人を休ませる為の物とは思えなかった。扉も壁も、他の場所よりもずっと頑丈な作りをしている。物置くらいの広さしかなく、そこにマットを敷いているだけだ。


 金属製の壁はとんでもない魔物でも暴れた後みたいにあちこち凹み、鋭い爪で引っ掻いたような傷があった。拭いきれない血の跡が、あちらこちらに残っている。入った事はないが、牢屋か拷問室みたいだとクリスタは思った。


 血で汚れたマットの上には、人間なら七歳か八歳くらいの背格好の人型の蜥蜴が仰向けにぐったりしている。それがピグーの兄のテユー少年である事はウルフから聞いていた。綺麗な包帯がないのだろう、彼の身体はあちこち、あり合わせの汚れた襤褸切れで無理やり止血してあった。左腕は肘から先がなくなって、きつく縛った襤褸布からぼたぼたと血が垂れている。


 他にいるのは一人だけなので、誰が魔王かは一目でわかった。


 十歳くらいの女の子が、テユーの隣で跪き、教会の聖印を握りしめて必死に祈りを捧げていた。今からでも将来美人になるのだろうと分かる、気の強そうな顔立ちの女の子だった。本当はとても鮮やかなのだろう金髪は、脂ぎってくすんでいた。薄汚れてあちこち破れたドレスも、本当は貴族の令嬢が着るような立派な物だったのだろう。彼女の足元には、クリスタの知らない道具が置いてあった。クリスタ以外の全員が、それがリボルバー銃である事を知っていた。

 なんにせよ、魔王様と呼ばれるような人間には見えなかった。


「なによあんた達!?」


 いきなり入って来たからだろう。魔王はギョッとして驚き、慌てて聖印を胸元に隠した。

 そして、一緒に入ってきたウルフを見つけて叫んだ。


「ウルフ!? 旅立ちの儀式の時は、勝手に入るなって言ってあるでしょ!?」


 そんな事は、クリスタは聞いていなかった。

 急いで駆けつけたので、そんな暇もなかった。


「罰なら後で幾らでも受けます! この女は、回復スキルを使えるんです! もしかしたら、テユーを助けられるかもしれません!」


 それを聞いて、魔王は目を見張った。数秒程、信じられないという風にシュガーを見つめ、頭を振る。


「この子が助かるならなんだっていい! お願いするわ!」

「私は、マスターにお願いされたからやるんです。あなた達の為にやるわけじゃないので、そこの所、勘違いしないように」


 人差し指を立てて釘を刺すと、シュガーはテユーの隣に膝を着き、身体に触れた。


「どれどれ。あー、これはかなり重症ですねぇ~」

「……ウルフ。こいつ、本当に頼りになるの?」

「ふざけた女ですが、俺もムータンティガーにハチの巣にされた所を救われました」

「……そう。あんたが信じて連れてきたのなら、信じるわ……聖印の事は、みんなには言わないで」


 懇願するように、魔王が付け足した。


「……分かってますよ」


 息苦しそうに、ウルフが答える。


 息苦しいのはクリスタの方だった。部屋は狭いし、可哀想な魔族の子供が死にかけてるし、ウルフと魔王はやたらとシリアスな雰囲気だし、シュガーはあまりにもマイペースである。そして自分は、何も出来ずに見ているだけだ。その事に歯痒さを感じながら、せめて彼の為に祈った。神に見捨てられたのか選ばれたのか良くわからないので、神に祈って良いものか悩みどころだが。


 程なくして、シュガーの身体が光り出した。それは、リリィの母親が回復スキルを使った時の光と似ていた。悪夢でも見るように苦しそうにしていた少年の表情が和らぎ、包帯から滴る血も止まった。


「はい。これで怪我は治りました。とりあえず、死にはしないでしょ」


 それを聞いて、クリスタは自分の事のように喜んだ。


「ありがとう、シュガー!」


 ウルフと魔王も顔を見合わせて、ほっと胸を撫でおろした。


「ありがとよ! 恩に着るぜ!」

「誰だか分からないけど、心から感謝するわ」

「いえ、怪我は治しましたけど、この子はもう駄目ですね」


 あっさりと、シュガーは言った。


「駄目って、どういう事?」


 驚いて、クリスタが尋ねる。


「えーと、なんて言ったらいいんでしょうかね。悪魔の呪いを受けすぎて、魔物になっちゃう的な?」


 言葉では理解出来たが、どういう事か、クリスタには今ひとつピンとこなかった。

 ウルフと魔王は理解出来たらしい。それを聞いて、絶句している。


 シュガーの言葉を裏付けるように、テユーの身体がビクン! と勢いよく跳ねた。ビクン、ビクンと弾むように痙攣する。少年の中で、なにか別の生命が育とうとしているように、身体のあちこちが不格好に肥大化する。


「ちくしょう! なんでこんな事に!」


 吐き捨てると、ウルフが壁を殴った。


「……今日はピグーの誕生日だったのよ。一人でここを抜け出して、プレゼントになる物を探そうとしてたんでしょう。アシュカンが見つけた時にはボロボロだったわ。妹の誕生日に死ぬなんて、最低の誕生日プレゼントじゃない……」


 皮肉るように呟くと、魔王は足元の銃を掴んだ。


「魔王様!?」

「止めないで。決心が鈍る」

「殺すなら、俺がやりますよ!」

「その必要がある相手ならお願いするわ。でも、この子はそうじゃない。あたしでも殺せるのなら、自分でやるわ。それが、あなた達の王を名乗る者のせめてもの務めよ」

「待ってください!?」


 聞き咎めて、クリスタは止めに入った。魔王の構えている物がなんなのか分からないが、彼女がそれでテユーを殺そうとしている事は理解出来た。


「シュガー!? 本当に、この子はどうにもならないの!?」


 情けないと思いながら、クリスタは彼女を頼った。天使ならば、悪魔の呪いもどうにか出来るかもしれない。


「むぅ~。そりゃ、私は頼れる可愛い万能メイドなので~? どうにもならない事はないですけど~」


 気乗りしないのだろう。もったいぶるようにシュガーは言った。


「どうにかなるなら助けてあげてよ!?」


 こんな時に焦らさないでよ! そう思いながら、クリスタは叫んだ。


「頼むよ天使様! 出来るだけの礼をはする! 俺の命が必要なら、持ってってもいい!」

「いりませんよそんなもの!」

「天使様って、どういう事よ!?」


 聞き咎めて魔王が叫んだ。そうしている間にも、少年の身体は徐々に人の形を失っている。


完全変異魔物化を止める事は出来なくもないんですけど、ちょっと色々問題があるというか」

「この子が助かるならなんでもいいよ!」


 クリスタは言うが。


「そういうわけにはいきません。こういうのは、先にちゃんと説明しておかないと。えーとですね、この子を助けるには、同化スキルみたいなのを使わないといけないんですよ。私の一部を送り込んで、それで直接M因子の暴走悪魔の呪いを抑え込むんです。ただですねぇ……あぁ、丁度いい言葉がありました。つまり、眷属スキルなんですよ。私の一部を送り込む事で、この子はマスターの眷属になっちゃうんです。マスターには歯向かえませんし、命令には絶対服従です。無意識の中にも、マスターに対する好意とか忠誠心が生まれます。あと、私の一部を送り込むので、その分消耗します。マスターはそういうの、嫌かな~って思ったんですけど、どうしますか?」


 夕飯のメニューを尋ねるような気軽さでシュガーは聞いた。


 難しい話だが、ようはシュガーのように奴隷になってしまうという事なのだろう。

 勿論クリスタは嫌だった。そんな理由でもなければ彼女が自分に好意を寄せる事はあり得ないと分かってはいるし、いけない考えだと思いつつ、その事に感謝している自分もいる。同じくらい、彼女の心を縛っている事に後ろめたさを感じてもいた。


 だから、こんな見ず知らずの男の子を奴隷にするなんて、絶対に許されない事だと思った。だが、迷っている場合ではない。なんにしたって、死ぬよりはマシだし、こんな所で必死に生きている小さな妹を一人ぼっちにさせるわけにはいかないのだ。

 だから、悩ましい問題は全部後回しにして、クリスタは決断した。


「それでもいい! 責任は全部僕が負うから! お願いシュガー! この子を助けてあげて!」


 言われて、シュガーは不服そうに頬を膨らませた。そして、諦めた様に溜息をつくと、誇らしげに微笑んだ。


「マスターなら、絶対にそう言うってわかってましたけどね」


 そう言って、シュガーはテユーの前に屈みこんだ。初めて出会った時のように大人のキスをするのだと思って、クリスタは胸がもやもやした。こんな時に、しかも子供相手に嫉妬するなんてどうかしてる! でも、湧き上がる気持ちというのはどうにもならないのだ。

 幸い、クリスタの心配は杞憂に終わった。


変身ターン


 シュガーの左手が滑らかな布のように広がって、暴れるテユーの全身をぴったりと抑えつけた。右手の人差し指が長く鋭い針に変化し、シュガーはそれを少年の心臓の辺りに突き刺した。


 テユーの暴れる勢いが徐々に大人しくなり、内側で蠢く邪ななにかも小さくなっていく。程なくしてテユーは静かになり、安らかな寝息を立てはじめた。


「これで状態は安定しました。あ、言い忘れましたけど、識別コード眷属としての名前を設定するまでは機能制限がかかって目覚めないので、なにか適当なのを決めといて下さいね」

「ありがとうシュガー!」

 

 難しい話は今はいい。

 感謝の気持ちで、クリスタはシュガーに抱きついた。

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