第28話 人で無しのアジト
「ウルフか。よく戻ったな。そっちは新入りか?」
ダンジョンの扉が開くと、向こう側には粗末な服を着た二、三十代くらいの男達が三人待っていた。歯車型の巨大な扉を手動で開くのは重労働だったのだろう、額に汗を浮かべて、息も少し上がっている。
その中の一人の、片目の潰れた男が言った。
「そんな所だ」
魔王に会うまでは詳しい事を話すつもりはないのだろう。短い言葉で誤魔化すと、自己紹介を促すようにこちらに視線を向ける。
「く、クリスタです。その、ウルフさんには、危ない所を助けて貰って……」
元々臆病で人見知りなクリスタは、緊張しながらそう名乗った。天使の鎧を着ていると話がややこしくなりそうなので、変身を解いて普通の格好に戻っている。
「マスターに仕える万能メイドのシュガーです」
シュガーは平然としていた。メイド役を演じているつもりか、クールぶってスカートの端など摘まんでいる。
「メイドだぁ? この小僧、貴族かなにかなのか?」
それを聞いて、あちこち歯の抜けた男が敵対的な視線をクリスタに向けた。
「ぇ、いや、そういうわけじゃないんですけど……」
「この娘はちょっとここがアレなんだ。二人とも、普通の田舎村の平民だよ」
クリスタが困っていると、こめかみを指で叩いてウルフが割って入った。
「んが!? だぁ~れの頭がアレですか!?」
「シュガー! ここは抑えて、ね!?」
聞き捨てならないと怒るシュガーを宥める。
「その女、妙な見た目をしてるが。魔族なのか?」
白髪と白い肌、金色の目の事を言っているのだろう。
聞いたのは、三人目の男だった。人型の緑の豚みたいな魔族で、大柄なウルフと比べて屈強な身体つきをしている。
「……どうだろうな。魔族じゃないが、スキルは使えるらしい」
「あぁ? どういう事だよ。成り損ないならスキルは使えねぇはずだろ」
「しらねぇよ。記憶がねぇんだと。それをこの小僧が助けて、懐いてるらしい」
「怪しいな。まさか、勇者隊のスパイじゃねぇだろうな」
豚の魔族がシュガーを睨む。彼の言葉を聞いて、他の二人も表情を険しくした。
「違います! シュガーは、そんなんじゃないです!」
「役立たずの成り損ないは黙ってろ!」
「うわ!?」
豚の魔族が無造作に振った腕を、クリスタはあっさりと避けた。以前ならまともに受けていだろうが、シュガーの同化スキルのお陰で別人のように身軽に動けるのだった。
「ちょっと豚ちゃん! なにマスターに手ぇあげてんですか!?」
「――ッ!? てめぇ今、俺の事をなんて言った!?」
禁句だったのだろう、豚の魔族が牙を剥いて怒鳴った。横の二人が、あちゃ~という顔で距離取る。
「オルグ、その辺にしとけ」
「うるせぇよ! 俺を豚扱いする奴ぁ、誰だって許しちゃおかねぇんだ!」
オルグと呼ばれた豚の魔族が、クリスタの頭程もある拳をボキボキと鳴らして威嚇する。
「シュガーに乱暴しないで下さい!」
クリスタが彼女を背に庇う。
「成り損ないが、魔族様に勝てると思ってんのか!」
「いい加減にしろって言ってんだろ!」
ウルフが吠えた。凄まじい声量に、思わず全員が耳を塞ぐ。
「こいつらは俺が頭下げてここまで来て貰ったんだ。文句があるなら、俺が相手になる」
二人の魔族が睨み合い、静かに火花を散らした。
息を飲んで見ていると、やがてオルグは忌々しそうに舌打ちを慣らす。
「……ウルフに免じて勘弁してやる。次に言ったらただじゃおかねぇからな」
「はぁ~? ぶ――」
「わぁあああ!」
言い返そうとするシュガーの口を、クリスタは慌てて塞いだ。
「お願いだから我慢して!」
シュガーは物凄く不満そうに頬を膨らませ、クリスタの手を払いのけた。
「なら私も。マスターに免じて、今回だけは見逃してあげます!」
張り合うように言って、フンと鼻を鳴らす。
「なんなんだよ、この女は……」
呆気に取られて、オルグは言った。
†
「聞いてた話と随分違うようですけど」
三人から離れると、いかにも不満そうにシュガーは言った。
扉の先は曲がりくねった長い廊下で、途中には幾つか扉があったが、全部開けたままになっていた。シュガーのいたダンジョンの扉は全部自動で開閉したが、ここはそうではないらしい。
「悪かったよ。ここも色々複雑なんだ。成り損ないはろくに表に出れねぇし、出来る仕事も多くない。食料やらなにやら、ほとんど魔族が養ってるようなもんだ。だからまぁ、オルグみたいに成り損ないを見下す奴も出ちまうのさ」
「それ、全然言い訳になってないって分かってます?」
「魔王様はどうにかしようと頑張ってるんだ。魔族も成り損ないも、神に嫌われた同じ
「……立派な人なんですね」
感動して、クリスタは言った。自分の村の人間なんか、クリスタを狩人の森に捨てて、財産を全部横取りするような悪人だ。他人の事なんか屁とも思っていないからそんな事が出来るのだろう。魔王という人はそうではない。他人を想い、みんなで幸せになる事を考えている。それだけで、クリスタは信用できる気がした。
それを聞いて、ウルフは嬉しそうに意気込んだ。
「そうさ! 立派な人なんだ! あの人は人で無しに必要な物がなんなのか良くわかってる。信頼できる仲間、安心できる居場所、今日のひもじさに耐える為の希望と、心まで悪魔にならない為の人で無しとしての誇りと尊厳! だから俺は、あの人の為に尽くそうと決めたんだ」
ウルフの気持ちが、クリスタには分かる気がした。成り損ないとして処分されそうになった時は、この世の全てから見捨てられ、不必要な邪魔者だと断じられたような気がした。恥ずかしく、惨めで、生きている事すら嫌になるよな、そんな感覚だ。絶望と孤独、この世界の全てと自分に対する不信感。この世界に生きていたいと思える理由を根こそぎ奪われたような気持ちである。
クリスタの場合は、シュガーがそれを癒してくれた。
ここではそれを、魔王という人が行っているのだろう。
「言ってる事は立派ですけど、現実が伴っているとは思えないですね。労働に対して正当な報酬を得られてないから豚ちゃんも文句たらたらなんでしょうし。それにここ、悪魔の呪いこそ安全値ですけど、かなり不衛生ですよ。臭くて不愉快です」
途中から、シュガーはわざとらしく鼻をつまんだ。
扉が開いた瞬間から、その事はクリスタも気づいてはいた。人で無しの隠れ家であるこのダンジョンは、物凄く臭かった。じっとりと湿っぽく、もんわりとした臭気が立ち込めている。それも、一つの臭いではない。かなり長い事水浴びをしていない人間特有の煙いようなすえた体臭、様々な食べ物や糞便や、精液などが腐ったような酷い悪臭がしていた。
シュガーとの生活で、クリスタは毎日風呂に入る事に慣れてしまい、以前よりも臭いや不衛生さに敏感になっていた。けれどそれは、普通なら貴族のような人間でなければ許されないような贅沢である事も分かっていた。あのダンジョンでの生活が身に余る幸福で、本当はこのくらいが身の丈なのだろうと思ったから、クリスタは文句を言うつもりはなかった。
やがて廊下が終わり、吹き抜けになった広い場所に出た。階段が上下に伸びて、上にも下にも、かなりの高さと深さがある。空洞を囲むように四角く通路が伸びていて、壁には沢山の扉が並んでいる。
「ウルフお兄ちゃん!」
甲高い声は一つ上の階から響いてきた。
五歳くらいの女の子が、ばたばたと転がるように階段を降りてくる。
「ピグー! 今戻ったぞ! 元気にしてたか!」
優しいお兄さんといった感じでウルフが呼び掛ける。
ピグーと呼ばれた女の子は、ウルフの足に抱きつくと、突然わーわーと声をあげて泣き出した。
「どうした、ピグー?」
慰めるように頭を撫でるウルフに、ピグーは答えた。
「テユーお兄ちゃんが魔物に襲われて、大怪我しちゃったの! 魔王様が看てくれてるけど、助からないかもって!」
それを聞いて、クリスタはシュガーを振り返った。
「お願い、シュガー! この子のお兄ちゃんを――」
クリスタの唇を、シュガーが人差し指で押さえた。
「結果がどうなるかは分かりませんからね。でも、マスターのお願いですから。やるだけはやってみますよ」
やれやれと苦笑いを浮かべて、シュガーは肩をすくめた。
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