第20話 初めての魔族
「そろそろ出口ですね」
不意に言われて、クリスタはギクリとした。
「もし近くにムータンティガーがいたら、全力で逃げるんだからね?」
確認するように、シュガーに告げる。
シュガーの同化スキルのおかげで、彼女の持っているスキルが使えるようになり、その影響で戦士として戦えるようになったクリスタである。
大蝙蝠みたいなその辺の動物が巨大化しただけの魔物なら楽勝だが、ムータンティガーと戦える程とは思っていなかった。鋼鉄の、巨大なバケモノ蜘蛛である。村の大人達だって怖がって近づかないのだから、いくら戦士の力に目覚めたからって、クリスタが戦ってどうにかなる相手ではない。
なので、もしいたら、絶対にすぐに逃げるようにシュガーに言っていた。
「今のマスターなら大丈夫ですよ。もし駄目でも、私がどうにかしますから♪」
この通り、シュガーは呑気なものである。
「ダメだったら! シュガーはムータンティガーを知らないからそんな事が言えるんだよ! あれは、恐ろしい魔物なんだ! 人間を襲う、人食いのバケモノだよ!」
思い出すと、クリスタは今でも恐ろしくなり、おしっこをちびりそうになるのだった。
「はーい。ちぇ、私だって、本気をだしたら凄いんですからねっ」
不貞腐れたように返事をすると、シュガーはぶつぶついってぷっくりと頬を膨らませた。拗ねてしまったらしい。でも、これもシュガーの安全の為なのだ。そんな気持ちで、クリスタも譲らなかった。
程なくして、明りが見えてきた。ダンジョン暮らしですっかり昼夜の感覚がなくなってしまったが、どうやら外は明るい時間らしい。
「僕が様子を見るから、シュガーは後ろに隠れててね」
「キュンキュン。頼りにしてますね、マスター♪」
もう機嫌が直ったのか、背中に寄り添うようにしてシュガーが言った。
緊張で、クリスタはそれどころではなかった。ドキドキしながら、そっと洞窟の入口から外の様子を伺う。
不思議な事に、洞窟の入口は中が空洞になった大きな倒木と繋がっていた。
横倒しになった朽木の端っこから顔を出して、辺りを見回す。
「とりあえず、見える範囲にはムータンティガーはいないみたい」
「これが森ですか。データでは知ってましたけど、綺麗な場所ですね」
気楽に言いながら、シュガーは大きな胸でぐいぐいとクリスタを押し出した。
「わぁ! 押さないでよ!」
つんのめって倒木から身体を出す。
「マスター、忘れてませんか? 私はずっとあのダンジョンの中にいたんですよ?」
ぷくっと頬を膨らませて、シュガーは言った。
「ぁ……」
思い出して、クリスタは申し訳なくなった。
「……そう、だよね。シュガーは、外の世界が見たかったよね……」
当たり前だ。そんな事にも気付かないなんて、僕はなんて馬鹿なんだろう。
しょんぼりするクリスタを、シュガーはいつものように抱きしめた。
「冗談ですよ。データ収集をしたい気持ちはありますけど、マスターが一緒なら、私は別に、一生あのダンジョンの中にいたっていいんです」
「そんなわけないでしょ……」
「そんなわけ、あるんです。マスターの幸せが、私の幸せなんですから」
「……それは、シュガーが他の世界を知らないからだよ。僕以外の人を知らなくて、他の色んな素敵な事を知らないから、そんな事が言えるんだ」
「違いますよ。もしそうだとしても、それなら、その他なんか要りません。私には、マスターだけで十分です」
「……嬉しいけど、僕はいやだな。シュガーの事が好きだから、君にはもっと、色んな物を見せてあげたい。僕も、そんなには知らないけど。聞いた事はあるから。そういうの、君に見せてあげたい。一緒に見れたら、いいなって……」
捨てられたクリスタは、今日を生き延びるだけで精一杯だった。未来とか、やりたい事とか、考える余裕なんかなかった。考えたって無駄になるなら、悲しいから、考えたくなんかなかった。
でも、シュガーと出会って変わった。彼女には、凄い力がある。それを分けて貰って、クリスタにも、そこそこの力がある。だから、とりあえず生き延びる事は出来そうだ。そうなると、人間だから欲が湧く。つい、夢を見てしまう。やりたい事が出来るのだ。シュガーに恩返しがしたい。ダンジョン以外を知らないと言うのなら、知らない事をなんだって教えてあげたい。クリスタも、あまり多くは知らないから、二人で一緒に、色んな知らない物を見て、体験したい。それがクリスタのやりたい事だった。
「マスター……」
ウットリとして、シュガーが胸を押さえた。幸せそうな顔だった。そんな顔の彼女を見るのは、クリスタにとっても幸せだった。
ロマンチックな時間が流れていた。
不意にシュガーは目を閉じて、求めるような気配を出した。童貞のクリスタは、すっかりドギマギしてしまった。シュガーには今まで何度かキスをされているが、それは全部向こうからで、無理やりだった。クリスタからキスをした事なんか、一度だってないのだった。
これって、そういう事なのかな? それとも、僕の勘違い? ど、どうしよう……。
焦っていると、シュガーの形の良い眉が、急かすように斜めになった。細い顎と共に、蕾のような唇が突き出される。
あぅあぅあぅ、クリスタは日和った。あのビッチのリリィと十五年も恋人ごっこをして、手すら繋げなかった純粋無垢な奥手君なのである。キスするにしても、どうしたらいいのか分からない。今更チュッ、で終わるのもおかしな気がするが、だからと言って、シュガーがやるような大人のキスなんか恥ずかしくって出来なかった。
そうしている内に、シュガーのアピールはどんどん露骨になった。両手を広げ、んー! んー! と唸りながら、終いには向こうから迫って来る。
あぅ、あぅあぅあぅ……でも、シュガーが迫って来るなら……。奥手なクリスタは、ドキドキしながら目を閉じた。
「おらぁああああマセガキ共! こんな所でいちゃついてんじゃねぇぞ!?」
「うわぁあああ!?」
荒っぽい男の声が二人の横を通り過ぎた。
驚いて目をやると、服を着た人っぽい黒狼がこちらを睨みながら明後日の方角に疾走していた。
「……今のって、あの狼が喋ったの?」
茫然として、クリスタは呟いた。
「
ぎりぎりと歯軋りをしながらシュガーが言った。
「変異体?」
「あ。えーっと、今のは言い間違いで。魔族って言いたかったんです」
にへら、と誤魔化すように笑ってシュガーは言った。
「魔族!? あれが!?」
噂には聞いた事がある。遠い昔から、神様と悪魔は戦っている。大昔の人間が滅ぼされたのも、悪魔の誘惑によって堕落したからだと言われている。悪魔は今も、人間を破滅させようと、色々良くない事をしようとしていて、そのよくない事の一つが魔族であり魔物なのだった。
魔族は、簡単にいえば喋る魔物だ。
魔物は、悪魔の力で普通じゃなくなったバケモノである。巨大化した蝙蝠とか、鋼鉄の鎧を着た大蜘蛛であるムータンティガーとか。とにかく、見て魔物だと思うような奴は大体みんな魔物なのだ。クリスタの認識では、そんな感じである。
服を着た人っぽい黒狼なんか明らかに魔物である。で、それが喋るんだから、魔族に決まっていた。
「でも、なんでこんな所に魔族が……」
そんな風に思った矢先。
ガション、ガション、ガション、ガション!
狼の魔族を追っていたのだろう。
猛スピードで走っていたムータンティガーが、二人の前でぴたりと足を止めた。
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