第16話 力の片鱗

「うわああああああ!?」


 戦慄して、クリスタは叫んだ。大蝙蝠は、クリスタが両手を広げたくらいの大きさがある。時々村に迷い込んで、怪我人が出る事があった。魔物の中では最弱の部類だが、それでも戦士でない人間にとっては充分危険だ。スキルのないクリスタの実力では、一匹を相手にするのがやっとである。そんな魔物が、数え切れないほど現れて、シュガーの周りを飛び回っている。ざっと見積もっても、三十匹以上はいそうだった。


「シュガー! ダンジョンに逃げるんだ!」


 引き返そうとして伸ばしたクリスタの手を、シュガーはひょいっと避けて、手の届かない奥の方に進んでしまった。


「シュガー!?」

「逃げません。それじゃあマスターが無能の役立たずじゃないって証明出来ないじゃないですか?」


 危険な状況だと言うのに、シュガーはなんてことないように笑って言った。


「そんな事言ってる場合じゃ――」


 大蝙蝠がシュガーに飛び掛かり、発達した脚の鉤爪で彼女の身体を切り裂いた。


「きゃあ! ここままじゃ私、殺されてしまいます~!」


 ぺたんと倒れこみ、シュガーが頭を抱えた。


 それを見て、クリスタはキレてしまった。本当は、シュガーを置いて逃げ出したいくらい怖かった。どう頑張ったって、自分一人ではどうにもならない。助けに行ったところで、無駄死にである。そんな事を考えてしまう自分にキレて、大好きなシュガーを傷つけた大蝙蝠にキレた。そうでもしなければ、臆病な自分は戦えない。


 シュガーに助けて貰わなかったら、僕はとっくに死んでるはずだったんだ! 僕は、無能だ。無価値な、役立たずなんだ! シュガーは違う! 凄い子なんだ! こんな僕に優しくしたくれた。助けてくれて、信じてくれたんだ! だったら、彼女の為に命を張らないと、僕は本物の負け犬じゃないか!


「うわああああああああ!」


 シュガーに貰った長剣を引き抜くと、クリスタはありったけの勇気を掻き集めて駆けだした。


「シュガーから、離れろぉおおお!」


 夢中で剣を振り回す。すると、不思議な事が起きた。クリスタの振った剣は、不規則に飛び回る大蝙蝠をあっさり捉えて両断していた。そのつもりで振ったのだが、上手くいった事に驚いた。訓練では、イメージ通りに身体が動いた事などなかったのだ。


 イメージはあっても、身体はいつも遅れていた。振った剣も、ズレた所を叩いていた。けれど、今はそうではない。全然言う通りに動いてくれなかったクリスタの身体は、信じられないくらい従順になって、彼の希望を叶えてくれた。


 どうして? 理由なんかわからない。あるとすれば、それはシュガーのお陰だ。彼女が信じてくれたからだ。彼女が勇気をくれたからだ。なんだっていいじゃないか! とにかく、彼女を助けるんだ!


 その瞬間、クリスタは僅かながら自信を取り戻した。そんなものがあった事すら忘れていた。カールや村の子供達にイジメられて、完膚なきまでに破壊されたはずの自信。村の人達に見捨てられ、リリィにも裏切られて、根っこから取り除かれてしまったはずの自信が、今再び、力強く芽吹いていた。


 いける! シュガーを助ける為だったら、僕は戦えるんだ! 僕だって男の子なんだ! バトルマスターの父さんの子で、立派な戦士なんだ!


 それからは、あっと言う間だった。ただ訓練で習った事をその通りにやるだけでいい。相手の動きに気を付けて、避けて防いで、隙をついて攻撃する。なにも難しい事はない。言葉にするだけなら。そして、イメージ通りに身体が動いてくれるなら。


 いや、それ以上だ。なんだ、この力は? クリスタの身体は、彼のイメージを超えた力を発揮していた。思うよりも早く動き、思うよりも高く跳んだ。その一撃は思うよりも早く繰り出され、思った以上の威力で大蝙蝠を切り裂いていく。そして、普段ならすぐに息切れを起こしてしまうやわな心臓は、どれだけ激しく動いても、ほとんど苦しくならなかった。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 気がつけば、クリスタは血塗れだった。あんなに沢山いた大蝙蝠は、一匹残らず切り殺されて地面に転がっている。


 これを僕がやったの? クリスタには、信じられなかった。ずっとそうだが、やっぱり夢を見ているみたいだ。彼女と出会ってからは、良い夢ばかりだが。


「――っ! シュガー! 大丈夫!?」


 ハッとして、クリスタはシュガーに駆け寄った。彼女は大蝙蝠に襲われて、怪我をしているのだ。


「マスタ~!」


 クリスタが近づくと、座り込んでいたシュガーがパッと跳ねてクリスタの頭をおっぱいで挟み込むように抱きついた。


「ほらね! 言ったでしょう! マスターは凄いんです! まったく全然、無能の役立たずなんかじゃないんです! はぁん、かっこよかったです! シュガーから離れろぉおおお! って。ボイスログに残して永久保存版決定です!」


 ペットでも褒めるように、わしわしと頭を撫でて言ってくる。


「や、やめてよ! そんな事より、怪我が――」

「回復スキルでとっくに治しました。それよりも今はマスターのかっこよさに浸らせてください! はぁん、可愛いのにかっこいいとか最強です。マスターに命懸けで守って貰えるとか、奴隷冥利に尽きるってものですよ。幸せ感じちゃいました!」


 シュガーはぷりぷりとお尻を振りながら、クリスタを抱きしめて右に左に振り回した。


「わ、わかったから! 離してよ! 僕、血塗れだし、シュガーの身体が、汚れちゃうよ!」

「そんなの洗えばいいんです! 帰ったらまた一緒にお風呂に入りましょう。蝙蝠の血とか絶対良くない病気持ってますから、いつもより念入りに洗わないと!」


 たっぷり五分ほどかけて全身で喜びを表現すると、ようやくシュガーはクリスタを解放した。すっかり目が回ってしまったが、シュガーに沢山褒めて貰えて、クリスタの中にあった黒い感情はなくなっていた。


 彼女よりも凄いなんてとても言えないが、それでも、自分にも役に立てる事があると分かって安心した。内心で認めていた、自分は成り損ないなんだという思いが和らいだ気がした。

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