第15話 私のマスターは、無能の役立たずなんかじゃない

「こっちですね」


 分かれ道を前にして、迷いもせずにシュガーは言い切った。


「わかるの?」


 彼女はダンジョンの外に出た事がないし、道も知らないと言っていたのだが。多分またスキルなんだろうなと思いつつ、クリスタは尋ねた。


反響定位エコーロケーションと気流センサーで大体の地形は把握しました」

「それもスキル、なんだよね」

「ですね。音を操るスキルと、風を感じるスキルです」


 能力スキルを二つも! 加えてシュガーは戦闘スキルと回復スキルと変身スキルと光るスキルと上位生産スキルを持っていて、多分きっと、他にも色々持っているのだろう。驚きを通り越して、クリスタは嫉妬してしまった。


 神様は不公平だ。僕にはなにもないのに、どうして彼女にばかりこんなに沢山のスキルを与えたの? そんな風に思ってしまう自分をクリスタは恥じた。そして、理解した。こんな風に凄いスキルを沢山持っているから、シュガーは奴隷商人に攫われてしまったのだろう。スキルがあるのになぜ人間の印がないのかは分からないが、多分奴隷商人は、奴隷を売りやすいように、人間の紋章がつかない壊れた聖櫃でも持っているのだろう。


 なんにしろ、こんな風にシュガーに嫉妬するのは筋違いなのだ。彼女はこんなにも献身的で、無償の愛を注いでくれている。憎むなんて、あってはならない事だ。それなのに、彼女を見ていると、クリスタはどうしようもなく惨めになり、嫉妬してしまうのだった。


 そんな醜く卑しい心を知られたくなくて、クリスタは唇を噛んで俯いた。だから、シュガーに怪しまれてしまった。


「どうしたんですかマスター?」

「……なんでもない」


 心の病気がぶり返したのだろう。堪えきれず、ぼたぼたと涙が溢れた。


「大丈夫ですよ。怖い事はありません。私はいつだってマスターの味方です」


 それ以上は聞かず、シュガーはいつも通り、クリスタを優しく抱きしめようとした。


「やめてよ!」


 半ば突き飛ばすように、クリスタはシュガーから離れた。


「マスター……」


 悲しそうなシュガーの顔に胸が痛んだ。最低だ。僕は、どうしようもないクズなんだ。


「ごめん……シュガー……でも、僕は、君にそんな風に優しくして貰う資格なんかないんだ……君はこんなにも僕に良くしてくれているのに、僕は君に嫉妬してるんだ。僕には何もないのに、君ばっかり凄いスキルを沢山持っててずるいって……こんなの、ただの僻みで八つ当たりなのに……わかってるのに、そう思うのをやめられないんだ!」


 恥ずかしくて、情けなくて、自分自身が憎くなって、クリスタは悪い心の宿った胸を掻きむしり、自らの手で殴りつけた。こんな心いらない! こんなに醜い心だったら、壊れてなくなっちゃえばいいんだ!


「それでも私は、マスターの味方です」


 両手を広げて、シュガーが迫った。


「来ないで! 来ないでったら!」


 パニックになって振り回した手が、シュガーの頬を叩いた。

 瞬間、クリスタは全身の血が凍り付いた。


「ご、ごめん、シュガー……ごめんなさい! ごめん、ごめんよ! そんなつもりじゃ! 僕は、なんて事を……」


 過呼吸になるクリスタを、シュガーは構わず抱きしめた。クリスタは暴れたが、彼女の怪力に抑えつけられて、身動きが取れない。


「いいんです。大丈夫ですから。怖くないですよ。どんな時だって、私はマスターの味方です。それに、マスターは人間ですから。嫉妬するなんて、当たり前じゃないですか」


 柔らかな頬をクリスタの頬にぐりぐりと押し付けながら、あやすようにシュガーは言った。抱きしめながら、優しく頭を撫でて、背中をさする。


 この一ヵ月で条件付けされたルーティーンによって、クリスタの心は徐々に穏やかさを取り戻す。正気に戻ってしまえば、待っているのは深い後悔と罪悪感だった。


「ごめんシュガー、ごめんなさい、ごめんなさい!」


 シュガーに抱きついて、赤子のように泣きながらクリスタは謝った。


「いいんです。マスターは心の病気なんです。悪いのは、そんな風にマスターの心を壊してしまった人達なんです。マスターは悪くない。私はちゃんと分かってますから」

「う、うぅ、ぐす、でも、僕、嫌なんだ。シュガーの事、大好きになっちゃったんだ。君を助けたい、格好つけて、恥ずかしい所なんか見せたくないんだ。でも僕、何も出来なくて……」

「そんな事はありません。マスターは気付いてないだけで、本当は凄い力があるんです。私に出来るような事は全部出来て、私には絶対出来ないようなすごい事が出来ちゃう力があるんです。だから、嫉妬する事なんかないんです。だってマスターは、私の立派なマスターなんですから」

「……やめてよ……リリィみたいな事言わないで。スキルはない、戦士としての実力だって普通以下なんだ。僕は無能の役立たずだ。そんな事は、僕が一番わかってるんだ……」

「違いますよ。マスターの事を一番分かっているのはこの私です。嘘だと思うなら、今すぐ証明して見せましょう」


 クリスタを解放すると、シュガーは目の前の暗闇に向かって叫ぶように口を開いた。そうしただけで、なんの声も出さなかったが。それなのに、クリスタは奇妙な感覚を味わった。何かが響くような、無音の音を聞いているような、なにか、耳の奥がむず痒くなるような違和感を覚えていた。


 不穏な予感に神経を集中させていると、やがて現実の音が聞こえてきた。

 キィキィという甲高い鳴き声と、バサバサという無数の羽ばたきが、猛スピードでこちらに接近している。


「シュガー? 君は、なにをしたの?」


 茫然として、クリスタは聞いた。


「証明するんですよ」


 ニッコリと笑って、シュガーは両手を広げた。


「私のマスターは、無能の役立たずなんかじゃないって」


 直後、二手に分かれた洞窟の片方から、巨大化したコウモリの魔物が群れを成して飛び出してきた。

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