第12話 甘い生活

「見てくださいマスター。立派な耳糞が取れましたよ」

「あー、ぶー」


 ぼんやりと、夢見心地でクリスタは答えた。

 昼食を食べ終えた後だった。大きなソファーに寝転んで、ふっくらすべすべのシュガーの太ももを枕に、耳掃除をして貰っている所である。


「キレイキレイしたら、お昼寝の時間ですよ。マスタ~、良い子だねんねしな~」


 優しく歌うと、シュガーは一方の手でクリスタの頭を撫で、もう一方の手で背中をさすった。


 この一ヵ月で、食後のお昼寝はすっかりクリスタの日課になっていた。お腹いっぱいで既にお眠だったクリスタは、シュガーに優しくあやされて、半ば条件反射的に眠りの世界へと落ちていく――


「――って、ちょっと待ってよ!?」


 ハッとして、クリスタは飛び起きた。


「どうしたんですかマスター? あ、おしっこですね? お漏らしする前に気付けてえらいですね~」


 にっこりと、シュガーは母親のような笑みを浮かべてクリスタの頭をよしよしした。

 クリスタは、真っ赤になってその手を払いのける。


「赤ちゃん扱いしないでよ!?」

「でもマスター、おねしょするじゃないですか」

「うっ……それは、なんか色々あって身体がおかしくなっちゃったからで……シュガーと出会う前はそんな事なかったし……それに、最近はしてないでしょ!?」


 涙目になってクリスタは訴えた。


 クリスタは十五歳の成人の日を迎えた大人である。おねしょなんか、とっくに治っている。だが、成人の日の儀式に失敗したあの日から、なぜかクリスタは再びおねしょをするようになってしまっていた。あの日の悪夢にうなされて、気がつくと布団を濡らしているのである。でも、ここ数日はしていない。だからきっと治ったのだ!


 だが、そんな事をシュガーに指摘されるのは、泣きそうになるくらい恥ずかしい。

 そんなクリスタを、シュガーは大きな胸でギュッと抱きしめた。


「恥ずかしがる事なんかないんですよ。私と出会った運命のあの日、マスターはあまりに沢山の辛い事を経験して、心が壊れてしまったんです。心的外傷PTSDという奴です。だから、おねしょをしちゃう事もあるんです。心が大怪我をして、身体が涙を流してるんです。それを癒す為に、ゆっくりお休みしてたんじゃないですか」


 頭を撫で、背中をとんとんしながらシュガーは言った。


 シュガーと出会ったあの夜、彼女はダンジョンに備蓄してある食料でものすごく美味しいご飯を作ってくれた。見た事もない料理で、食べた事のないような味だった。ものすごくお腹が空いていたから、クリスタはあっという間に平らげた。そして、直後に全部戻してしまった。それ以来、何を食べてもすぐに吐くようになってしまっていた。


 それだけじゃない。夜は眠れず、眠れても悪夢ですぐ起きる。で、おねしょをしている。他にも、急に理由もなく不安になって泣いたり怒ってしまったり、突然成人の日に起きた色々な嫌な事を鮮明に思い出し、パニックになってしまうのだった。


 そんな自分が情けなく、恐ろしく、不安になって、余計に悪い症状が出てしまった。そんなクリスタを、シュガーは嫌な顔一つせず介護し、優しく励まし、支えてくれていたのだった。


 で、気付いたらそんな生活が当たり前のようになり、一ヵ月も経ってしまった。ただただシュガーの優しさに甘えて、食っちゃ寝ごろごろの毎日である。村にいた頃だったら、働かざる者食うべからずとかいって叩き出されても文句は言えないような怠惰な生活である。


 なのにシュガーは、私はマスターの味方です、全部任せて、何も気にしなくていいんです、マスターは生きてるだけでえらいんです、息が出来てえらい、おねしょ出来てえらい、今日のおねしょは芸術的ですね、とかわけのわからない事を言って褒めちぎるのである。


 で、このお薬を飲んで辛い事はナイナイしましょうね~とか言って妙な薬を飲ませるのである。それを飲むと、確かに辛い事は忘れられた。その代わり、なにもかもが夢のようにぼんやりして、身体がだるくなり、あっと言う間に時間が過ぎるのである。


 さっきまでもそんな感じだったのだが、薬が切れたのか、ふとクリスタはそんな生活を送っている事に違和感を覚えたのだった。


「……でも、このままじゃ駄目だよ! 僕がシュガーを助けるつもりだったのに! ていうか、いつの間にかマスターに呼び方が戻ってるし!」


 さらに言えば、この一ヵ月でシュガーの性格は別人のように変わっていた。最初は自我を壊された人形みたいだったのに、今ではまるでお母さんだ。いや、本物の母親だってここまで優しくはないだろう。


「私は出来る奴隷なので。一ヵ月もあればマスターのプロファイリングは大体オッケーです。マスターは母性を求めているようでしたので、それに合わせて自我の方向性を決定しました。で、私的にはやっぱりマスター呼びの方がしっくりくるなと」


 ペロッと舌を出し、茶目っ気たっぷりにウィンクなどしつつ、親指を立ててシュガーは言った。本当に、出会った頃の面影などまるでないような変貌ぶりである。猫を被っていたのか、そういう風に調教されたのか、とにかくやたらと謎の多いシュガーだった。


「でも、僕はシュガーの事、奴隷みたいに扱いたくないし……」

「私はマスターに奴隷みたいに扱われたいんです。マスターのお世話をするのが私の幸せで、マスターの幸せが私の幸せなんです。それじゃだめですか?」


 きゅるるんと、大きな瞳をわざとらしく輝かせながら、シュガーはそんな事を言うのだった。クリスタは平凡な普通の男の子である。こんな世界一と言ってもいいような美少女にそんな事を言われたら、だめだなんて言えるわけがないのだった。


「シュガーがいいなら僕はいいけど……」


 でも、罪悪感はあるのだった。こんな可愛くて優しくてなんでも出来て凄いスキルまで持っている子が僕の奴隷だなんて、もったいないというか、申し訳ないというか、許されない事のように思えてならない。


「ていうか、マスターだって別に私の事奴隷みたいに扱ってないですし、別によくないですか?」


 クリスタの悩み解きほぐすように、明るい笑みでシュガーは言った。

 確かに、その通りではある。彼女がなんと言おうが、クリスタは奴隷みたいな扱いは絶対にしないと心に決めていた。


「じゃあ、それはいいよ。でもさ、僕も元気になってきたし、そろそろこれからの事とか考えたほうがいいと思うんだ」

「そ~ですね~。最近は心的外傷の症状も治まってきましたし、そういう風に前向きに考えられるという事は、抗不安剤も必要ないくらい回復したという事でしょう。とりあえず、マスターの心の健康は取り戻せたという事で。パンパカパーン! 復活おめでとうございます! それで、マスターはこれからどうしたいんですか?」

「どうしたいっていうか、どうすればいいんだろうって感じだけど。例えば、今はダンジョンの備蓄で食べていけてるけど、それだっていつまで持つか分からないし。余裕がある内に、なにか他に食べ物を手に入れる方法を見つけた方がいいと思うんだ」


 それを聞いて思い出したのだろう。ポンと手を叩いてシュガーは言った。


「あ、そういえば、さっき食べたお昼ご飯でダンジョンにあった食料なくなっちゃいました」

「えええええええええええ!?」

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