第10話 シュガー

「固有の識別名称はありません」


 つまり、名前はないという事なのだろう。


 ようやく全裸ではなくなり、今更ながら名前を聞いたら、彼女は大真面目にそう答えたのだった。


 可哀想な奴隷少女である。そういう事もあるのだろう。胸を苦しくさせながら、クリスタは提案した。


「じゃあさ、二人で一緒に決めようよ」

「マスターには、私の名称を自由に設定する権限があります」

「でも、君の名前だし……」

「私の全所有権はマスターにあります。よって、マスターが名称を設定するのが妥当だと判断します」


 クリスタは酷く心がもやもやした。


「そういうのは一旦置いておいてさ。こういうのがいいとか、なにかない?」

「ありません。自我を確立するには、学習データが不足しています」


 断言されて、クリスタは諦めた。


「じゃあ、僕が決めちゃうよ?」

「はい。私もそれを望んでいます」


 ご主人様の言いなりになるように調教されていると分かっていても、そんな風に言われるのは悪い気分ではない。


「うん! 君にお似合いの素敵な名前を考えるから、もうちょっと時間をちょうだい!」

「マスターには、無限に私を待たせる権限があります」

「君にとってはそうなんだろうけどさ……まぁいいや。そのマスターって言うのも、やめにしようよ。君は奴隷じゃないし、僕だってご主人様じゃないんだからさ」

「マスターはマスターです」

「でも――」

「マスターが私の所有権を放棄した場合、私は秘密保持プログラムによって自壊する事になります」

「自壊って……自殺するって事?」

「そのような認識で間違いありません」


 クリスタは頭がカッとなってしまった。


「駄目だよそんなの! 絶対ダメ! そんな事、冗談だって言っちゃダメだよ!」

「冗談ではありません。私はそのように設定されています」


 悔しくて、悲しくて、クリスタはグッと拳を握った。さっきまで、クリスタは自分がこの世で一番不幸な人間だと思っていた。けれど、彼女の不幸に比べたら、自分なんか幸せな方だ。彼女は、不幸を不幸と思う事すら出来ないのだ。


 こんなのは、間違ってる。そう思うのだが、彼女は鉄のようにかたく思い込んでいて、簡単には悪い考えを改められないのだ。だからクリスタは、彼女のご主人様になる覚悟を決めた。勿論、今だけだ。ご主人様になって一緒に過ごして、悪い考えを頭から追い出して、自由にしてあげるんだ! 怪我を治して貰ったし、それくらいの恩はあると思う。


「わかったよ。僕は君のマスターだ。でも、呼び方や喋り方を変えるくらいはいいでしょ?」


 クリスタはご主人様という立場を逆に利用しようと思った。畏まった喋り方をしていたら、心だって卑屈になってしまう。いじめられっ子のクリスタだから、そういうのには敏感だった。


「僕の事は普通に、クリスタって呼んでよ。喋り方ももっと、砕けた感じでさ」


 ご主人様とそんな風に喋る奴隷はいない。だから彼女も、そんな接し方を続けていけば、その内クリスタをご主人様だと思い込むのをやめてくれるかもしれない。そんな期待があった。


「了解です、クリスタ。曖昧な指示を正確に実行するのは困難ですが、学習によって齟齬は解消されると思います」


 まだ固いが、いきなり変われと言われても大変だろう。素直に受け入れてくれただけで、クリスタとしては満足だった。


「ありがとう……シュガー」


 その名前は、自然と口から毀れた。


「どうかな? 今思いついたんだけど。君ってお砂糖みたいに真っ白だし、優しいし、甘い物ってみんな大好きでしょ? その……僕も、好きだし……」


 良い名前だと思ったのだが、口にした途端、自信がなくなった。お砂糖みたいに、みんなに愛されるような人生を送って欲しい。そう思って考えたのだが。


「シュガーですね。了解しました。今から私はシュガーです。ありがとう、クリスタ」


 彼女は別に、喜んだりはしなかった。ありがとうと言ったのも、お世辞だろう。ご主人様が与えた名なら、彼女はそれがどんな酷い言葉だって受け入れたに違いない。


 それでもクリスタは、ありがとうと言われて嬉しくなった。嫌われ者のクリスタである。そんな言葉は、もう長い事言われていなかった。リリィに言われたありがとうは、全部腐ってゴミになってしまった。シュガーから貰ったありがとうは、お砂糖みたいに心を甘くした。


「う、ひぐ、う、うぅ……」


 我慢したいのに、堪えきれずにクリスタは泣いてしまった。


「クリスタ。なぜ泣いているのですか」

「泣いてないよ」

「泣いています。私のせいでしょうか」

「泣いてないってば!」


 ぐしぐしと、顔を拭って誤魔化す。仮でも彼女のご主人様なのだ。男の子なんだし、あまりシュガーにかっこ悪い所を見せたくなかった。


 きゅるるるる~。


 脈絡なく、クリスタのお腹が鳴った。成人の日は昼頃に行われた。気付いた頃には日は暮れていて、それから結構立っている。お腹が空いても仕方ない。


「わかりました。クリスタは、お腹が空いて泣いていたんですね」

「違うったら!?」


 赤ちゃんじゃないんだからさ! 

 クリスタは真っ赤になって叫ぶのだった。


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