第8話 奴隷少女に出来る事

 なんでなんでなんでなんでなんでこんな事になっちゃってるの!?


 二度目のキスは、一度目程は取り乱さなかった。

 頭が真っ白にならず、混乱する余裕があるというだけだったが。


 真っ白になっている方がマシだったのかもしれない。

 なまじ意識があるせいで、クリスタは物凄く沢山のいけない事を意識してしまった。


 砂糖入りのミルクと花の香りを混ぜ合わせたような彼女の甘い体臭、柔らかくも温かい、心安らぐ肌の感触、その中でも特別な意味を持つ二つの膨らみが彼の胸に押し当てられていた。彼女の舌が、愛撫するように口の中を優しく撫でる。不思議な舌だった。触れれば吸い付くような感触があり、じんわりと甘い唾液が溢れ出す。自分とは、まるで違う。女の子ってそういうものなの!?


 苦しい事と辛い事があまりにも沢山あって、クリスタは身も心もボロボロだった。なのに、彼女に抱かれ、優しく背中を撫でられながら大人のキスをしていると、そんな事はなかったみたいに身も心も安らいだ。


 肌が裂け、骨はひび割れ、内蔵も血を流していたが、そこから生じる諸々の痛みは、彼女の温かさに押し戻されるようにして引いていく。


 裏切られた挫折と惨めさ、捨てられた孤独、自分に対する失望や無力感、まともに受け止めれば壊れてしまうような心の傷も、今この時だけは清らかな水に流されるように忘れられた。


 なんだっていいや……。


 とろんとして、クリスタは彼女に身を委ねた。母親に乳を与えられる赤ん坊のように、クリスタは身も心も安らいでいた。無意識に、クリスタは彼女の中に失った母親の存在を感じていた。


「精神安定物質の投与及び、損傷した肉体の修復を完了しました」


 長いキスを終えると、彼女は言った。

 ポカンとしながら、クリスタはその意味を考えた。


 まさかとは思った。が、確かに全身を苛む痛みは引いていた。かなりの大怪我で、リリィの母親に頼んだってすぐには完治出来ないような傷のはずだったのだが。


 動かしたり、揉んだり、見て確かめたりしても、何も問題はなかった。すっかり元気で健康な体になっている。


「……君が治してくれたの?」


 信じられず、クリスタは聞いた。


「私には、マスターの生命を守り、健康を維持する義務があります」


 そういう事を聞きたかったわけではないのだが。頭の弱い彼女である、こちらの聞き方が悪かったのだろう。


「回復スキルを持ってるんだね」


 それがクリスタの言いたい事だった。

 難しい事を言ったつもりはなかったのだが、彼女は考え込んだ。黙ったという事は、そういう事なのだろう。


「はい。私にはM粒子を用いた事象改変効果に対するエミュレーターが搭載されています」

「……そ、そうなんだ」


 意味が分からないが、多分彼女も分かっていないのだろう。現実として、怪我が治ったのだから回復スキルを持っている事は納得する他ない。


「……でも、なんでそんな凄いスキルが使えるのに、成り損ないになっちゃったの?」


 クリスタとしては、そちらの方が不思議だった。スキルの解放に成功しているなら、人間の証の紋章があるわけで、成り損ないになるはずはない。

 少し考えて、彼女は言った。


「申し訳ありません。データベースに不備があり、マスターの言葉の意味を理解出来ません。この問題は追加データの入力または自己学習により解消されます」

「君も分からないって事だね」


 少しずつだが、クリスタはこの少女の扱い方について慣れてきた。頭が弱く、わけのわからない事を酷く回りくどい言い回しで言ってくるが、物凄く優しくて素直な子だ。


「じゃなくて、逃げよう! 君は、奴隷商人に捕まってたんでしょ? その人達が戻ってくる前にどこか安全な場所に……」


 言ってから、クリスタは冷静になった。彼女の投与した精神安定物質のおかげで、先ほどよりは落ち着いていた。


 逃げるって、どこに? 洞窟は真っ暗で、一本道かもわからない。上手く出られても、外ではきっと、ムータンティガーが見張っている。そうでなくても、すぐに見つかって連れ戻される。なにかの偶然で逃げられたって、帰る場所なんかない。村の外にはムータンティガーの他にも、恐ろしい魔物に人攫いや盗賊みたいな悪い人達もいて、安全な場所なんかどこにもないのだ。


「どうしましたか」


 泣きそうな顔で頭を抱えるクリスタを見て、彼女は尋ねた。


「……ごめん。逃げるって言ったけど、安全な場所なんか、どこにもないんだ……」


 恥ずかしさと無力感でクリスタは泣きそうだった。彼女に変な希望を与えてがっかりさせてしまったかもしれない。そんな罪悪感で胸が苦しい。


「質問です。現在、マスターは何者かに追われているのでしょうか」

「そうじゃないけど、でもここは……」

「マスターとの会話に齟齬を感知しました。現在、このシェルターの所有者はマスター以外に存在しません。マスターを追跡する存在がいないのであれば、当シェルターを発見、襲撃される危険性は極めて低いと考えられます」

「………………えっと、君以外には、誰もいないって事?」


 戸惑って尋ねる。


「マスターと私以外には何者も存在しません」

「でも、君は奴隷商人に捕まってるんじゃないの?」

「前所有者は死亡したと思われます。私はマスターに発見されるまで待機状態にありました」

「……君を捕まえてた奴隷商人は外で死んじゃって、君はずっとお留守番をしてたって事かな?」


 考えて、クリスタはそう推測した。奴隷商人というくらいだから、商品となる人間を狩りに行ったり、売りに行ったりするのだろう。で、出て行ったきり全然戻ってこない。彼女は素直なので、命令通りずっと待っていたというわけだ。


「マスターの意図を推測した結果、その認識で問題ないと思われます」

「そっか……よかったぁ……」


 安心して、クリスタは泣きそうになった。ここにいられるなら、とりあえずは安全だろう。なんとか命が繋がった気分である。


「移動はしないという事でよろしいでしょうか」

「うん。そうだね。他に居場所もないし、僕も疲れちゃったし。君の事も、もっと知りたいし」

「了解しました。私はマスターの失禁を確認しています。不衛生なので、洗濯を行います。衣服を脱いでください」

「ふぇ!?」


 唐突に言われて、クリスタは股間を確認した。ズボンには、くっきりとお漏らしのシミが残っている。


「い、いや、その、これは、違うくて、途中で水溜まりがあって、転んじゃった的な……」


 恥ずかしさで涙目になりながら必死に言い訳をする。


「私には成分分析機能が搭載されています。マスターの衣服にしみ込んだ液体は、百パーセントマスターの尿だと断定します」

「ああああ! 言わないでよ! 色々あって、漏らしちゃったの!」


 耳を塞いで叫びながら、半泣きになってクリスタは言った。出会ったばかりの女の子にこんな情けない姿を見られて、死にたい気分である。


「私には介護機能も搭載されています。マスターが若年性の失禁症を患っていたとしても問題ありません」

「患ってないよ!? たまたまだよ! この一回だけ!」

「学習不足により、マスターの言葉の真偽を判断できません。マスターが若年性の失禁症を患っていたとしても、マスターが有する私に対する権限が損なわれる事はない事を補足します」

「ありがとね!? でも本当に違うんだからね!?」

「了解しました。それでは、洗濯を行うので衣服を脱いでください」

「い、いいよ! 水場があるなら自分で洗うから! それに、着替えだってないでしょ?」

「優先順位は構築済みです。衣服の洗濯、マスターの身体の洗浄、替えの衣服の問題についてはその後、マスターの判断を仰ぐ予定です。マスターの疲労度を加味し、これ以上の趣向的労働は許容できません。五秒以内に衣服を脱いでいただけない場合、強制執行モードに入ります。カウント開始、5、4、3、2、1。強制執行を行います」

「ちょ、待って!? 待ってよ! やだ、ぬ、脱がさないで! 恥ずかしいから! やだ、やだってばぁ!?」


 抵抗も空しく、クリスタはあっという間に丸裸に剥かれてしまった。

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