第7話 奴隷少女

「マスターとの生体リンクを完了しました」


 あまりにも長く、濃厚なファーストキスを終えると、彼女は不意に立ち上がってそう言った。


「……ぇ?」


 クリスタ的にはなにがなにやらという感じである。唐突にわけのわからない事が起きすぎて、驚くタイミングすら失ってしまった。

 気まずい沈黙が流れる。


 いきなり大人のキスをしておいて、彼女はそんな事はなかったような顔をしている。裸のまま、何一つ隠そうともせずに棒立ちになり、眠たげな無表情でクリスタを眺めている。


 クリスタは座ったままで、彼女は目の前に立っていた。だから、目の前に大変なものがあった。茹で卵のように真っ白なそれは、母親を除けば、初めて見るそれだった。こんな風にまじまじと見るのは、完全に初めてと言っていい。


 自分の目がそこに釘付けになっている事に気付いて、クリスタは慌てて視線をそらした。


「ご、ごめんなさい!?」


 遅れて、一気に体温が上がった。ばくばくと、心臓が狂ったように鼓動を始める。


「なぜ謝るのですか」


 彼女が聞いた。聞くまでもない事なのに、彼女の顔も声も、まるで理解していないような様子だった。


「それは、だって……」


 恥ずかしくて、とても口には出来なかった。恥ずかしがる自分を見てからかっているのだろうか? リリィの本性を知ってしまった後では、クリスタには女の子がみんな悪魔のように思えてならない。


 彼女は黙って答えを待っていた。プレッシャーに負けて、クリスタはどうにか言葉を選んで説明した。


「き、君の裸を、見ちゃったから……」


 口にすると、クリスタは余計に恥ずかしくなった。恥ずかしすぎて死にそうだ。これは新手の拷問なのだろうか。


「マスターには、好きな時に好きなだけ私の身体を鑑賞する権限があります」


 笑えない冗談を、彼女はニコリともせず言ってきた。


「ないよそんなの!?」


 慌てて叫ぶ。本当に、なんなんだこの子は? 頭がおかしいんじゃないだろうか?


「マスターには、私に対してあらゆる行為を実行し、実行させる権限があります」


 即座に彼女は言い返した。困惑して、開いた口が塞がらない。

 それっきり、彼女は黙った。ぼんやりと、クリスタを見つめたまま。

 こちらから話しかけなければ、なに一つ喋る気はないような様子だった。


「……なんなの、君は……」


 たっぷりと時間をかけて、一握り程落ち着くと、クリスタは尋ねた。


「私はプロジェクトセラフィムのシークレットナンバー、学習型万能従属機ユニバーサルスレイブマンマシンインターフェイスです」

「……ぇ?」

「私はプロジェクトセラフィムのシークレットナンバー、学習型万能従属機です」


 彼女は即座に言い直した。時間が巻き戻ったように感じる程、先ほどと寸分違わぬ口調である。


「いや、聞こえなかったわけじゃないんだけど……その、言ってる意味が分からないというか……」

「申し訳ありません。データベースに不備があり、先ほどの言葉が持つ詳細な意味について説明する事が出来ません」

「……君も、自分がなんなのかよくわかってないって事?」


 なんて回りくどい喋り方をする子なんだろうと思いながら、クリスタは尋ねた。


「私はマスター専用の従属機スレイブです」

「……そ、そうなんだ」


 とりあえず、彼女はまともに会話が出来ないという事は理解出来た。きっと、頭がおかしいんだ。その証拠を、クリスタは偶然見つけた。彼女の右手には、人間の証である紋章がなかった。歳は近そうだが、自分よりは上のように見える。十五歳以上で紋章がないのなら、成り損ないだ。身体のどこかに欠陥があって、自分のように捨てられたのだろう。


 何かの間違いだと思いたいが、そうでないとしたら、クリスタは自分が、身体が弱っちいから成り損ないになったのだと思っていた。彼女の場合は、頭に問題があるのだろう。


 そう思うと、途端にクリスタは親近感が湧いてきた。彼女は仲間なのだ。別の村で自分のように捨てられて、同じようにムータンティガーに連れて来られたのだろう。なんで水槽の中に浮かんでいたのかは分からないが、それで大体の説明は出来そうな気がした。


 頭が弱いのなら、こちらから歩み寄る必要がある。クリスタは頑張って、彼女の意味不明な言葉を解読しようと試みた。


「……つまり、君は、奴隷って事?」


 今回は、すぐには答えなかった。聞こえなかったように、なんの反応もしない。

 クリスタは、ヤバいと思った。もし違ったなら、物凄く失礼な事を言ってしまった。でも、仕方ないのだ。世の中には、悪い人攫いがいて、攫った人間を奴隷にして売捌いていると聞いた事がある。成り損ないは人間ではないので、奴隷にされるのはよくある事だった。

 とりあえず謝ろうと思った矢先に彼女は言った。


「はい。その認識で間違いありません。私はマスターの奴隷です」


 どうやら、自分が奴隷かどうか考えていたらしい。

 真面目な顔でそんな事を言うので、クリスタは驚いて咳込んだ。


「間違いまくりだよ!? そんなの、おかしいでしょ!?」


 今まで深く考えた事はなかったが、自分が成り損ないになった今、奴隷というのはとてもよくない事のような気がしている。


「マスターには、私に対してあらゆる行為を実行し、実行させる権限があります。これは奴隷と同義であると定義できます」

「そうかもしれないけどさ!?」


 それでふと、クリスタは思った。頭の弱い彼女は、そういう風に調教されたのだろう。そう思うと、物凄く可哀想で、彼女の事が哀れに思えた。が、それはそれとして、謎は残る。


「……なんで僕がご主人様だって思うの?」


 彼女とは赤の他人だ。ここに来たのだって偶然だ。それでいきなりご主人様だなんて、意味が分からない。


「それは、マスターがマスター権限を持つマスターだからです」


 やっぱり意味が分からない。太陽は太陽だから太陽ですと言われているような物である。仕方ない、彼女は頭が弱いのだ。なぜそんな風に思ってしまっているのか、クリスタは理由を考えてみた。


「……それってつまり、君のご主人様にそうするように言われてるって事?」


 また、彼女は黙った。多分、また考え込んでいるのだろう。


「はい。私は前所有者に、マスターに従属するよう設定されています」

「……そうなんだ」


 話が見えてきて、クリスタは胸が苦しくなった。多分彼女は、奴隷商人かなにかに攫われて、ご主人様の言う事をなんでも聞く奴隷に調教されたのだ。それで、クリスタの事をご主人様だと誤解してしまったのだろう。


「……勘違いさせちゃって悪いけど、僕は君の言うご主人様じゃないと思うんだ」


 同時にクリスタは不安になった。自分の推理が当たっていれば、ここは奴隷商人のアジトである。そう考えると全てが繋がる。ムータンティガーは奴隷商人に手懐けられていて、成人の日に狩人の森に捨てられた成り損ないを回収する役目を負っているのだ。


「マスターは間違いなく私のただ一人のマスターです」


 表情がないのは、心を壊されてしまったからだろう。そう思うと、クリスタは心から彼女に同情した。男の子に裸を見られても、恥ずかしいとすら思えないような調教をされてしまったのだ。成り損ないは人間じゃないって? そんなわけないじゃないか! 僕達にだって心はあるんだ! スキルの解放に失敗しただけで、こんな酷い扱いを受ける謂れはないじゃないか! メラメラと、怒りまで湧いてくる。


 そして理解した。彼女の薄弱な頭脳では、クリスタがマスターではないと納得させる事は無理なのだろう。奴隷商人からすれば、折角調教した奴隷を台無しにされた事になる。彼女に奴隷としての価値はもうないし、それがバレたら自分もきっと酷い目に合う。


「分かったよ! もう僕がマスターでいいから! 誰か来る前に逃げよう!」


 どこに? そんな事は分からない。けれど、そうしなければいけないと思った。自分と同じ成り損ないの少女を放ってはおけない。


 力強く立ち上がり、クリスタは少女の手を握ろうとした。そのつもりではあったのだ。


「いだだだだ!?」


 全身を駆け巡る激痛に負けて、クリスタはその場に跪いた。

 色々あって忘れていたが、クリスタの身体は立って歩くのも難しいくらいボロボロなのだった。


「主命を受諾しました。実行の為の障害を確認し、問題の排除を行います」


 呟くと、少女はクリスタの前に膝を着いて、裸のまま優しく抱きついてきた。

 そしてまた、大人の口づけを行うのだった。

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