第5話 ムータンティガーの巣

 ぼんやりと赤く光る大きな一つ目が、揺れるようにして近づいていた。


「ひぃっ!?」


 ボロボロのクリスタは、立ち上がる事も出来なかった。

 激痛に歯を食いしばりながら、それでも必死に逃げようと地面を這う。


 ガション、ガション、ガション、ガション。


 この世の物とは思えない、重厚な金属質の足音が、地面を揺らしなが迫って来る。

 ムータンティガーがどんな魔物か、クリスタは知らないし、見た事もなかった。

 出会ったら最後、みんな死んでしまうと言われている。

 人間を狩り殺す、恐ろしい森の狩人。だから、狩人の森と呼ばれていた。


 追いついて、ムータンティガーは足を止めた。

 ギクリとして、クリスタが振り返る。

 赤く光る大きな一つ目に照らされて、異形のバケモノの姿がぼんやりと闇に浮かんでいた。

 それは、クリスタの想像を絶する怪物だった。


 ムータンティガーは鎧を着た巨大な蜘蛛に似ていた。

 六本足に、二本の腕がついている。足は一本、半ばから千切れて太い繊維のような物が何本も飛び出している。背中には大きな頭がくっついていて、真っ直ぐ伸びた筒のような角が何本も突き出していた。


「ザーーー、ビビガ、ビー、ザーーーー」


 口はなく、そんな風に鳴く生き物がいるなんて思えなかったが、どうやらそれはムータンティガーの鳴き声のようだった。


「だ、誰かぁ!? た、助けて、し、死にたくない! こんな、あんまりじゃないか!?」


 パニックになって、クリスタは叫んだ。

 力を振り絞って、必死になって這い進む。


「ガ、ガガ――命―――ザ、ザザー、解、ザーーーー」


 奇妙な鳴き声を発すると、鎧に包まれたムータンティガーの手がクリスタを捕まえた。

 恐怖のあまり、クリスタは気絶した。


 †


 クリスタは夢を見ていた。


 赤ん坊になって、母親の腕の中で揺られている夢だ。

 そばには父親もいて、彼の存在を慈しみ、誇るような優しい視線を向けている。


 なんだ、全部夢だったんだ。

 そう思ってクリスタは安心した。

 でも、どこから?

 勿論全部だ。

 僕はまだ生まれたばかりで、これまでの惨めな人生は全部悪い夢だったんだ。


「ザザザザーー着、ガガガーーービー、しまーーーザザーー」


 耳元で響いた声に、クリスタは甘い夢から起こされた。

 どうやらそこは、ムータンティガーの腕の中のようだった。

 鎧を着たバケモノ蜘蛛は、彼を殺さずに、抱きかかえてどこかに連れ去ったらしい。


 巣に連れ帰って、子供の餌にされるんだ!?

 クリスタが気絶したから、死んだと思ってトドメを刺さなかったのだろう。そう思って、クリスタは死んだふりをしながら、あたりの様子を伺った。


 真っ暗で、ほとんど何も見えなかった。明かりと言えば、ムータンティガーの大きな光る一つ目だけだ。

 それにしたって暗すぎた。星や月の明りも感じられない。

 どうやらそこは、洞窟の中らしい。ムータンティガーが二匹並べるくらいの広さで、目の前は行き止まりだった。


 いや、違う。

 目の前の壁は、ただの岩肌ではなかった。

 金属製で、壁にはクリスタの背丈よりも大きな歯車が埋まっていた。

 それが何を意味しているのか、クリスタには理解出来なかった。


「ガガガーーー、ザー、ビビビビビーーーーー」


 ムータンティガーが鳴き声を上げると、大きな一つ目がチカチカと瞬きをした。

 すると、突然壁がゴゴゴゴォォォ! と唸りだし、巨大な歯車が前に飛び出して、回転しながら横に移動した。後には、ぽっかりと丸い入口が開いていた。

 呆気に取られていると、クリスタを抱いていたムータンティガーの腕が、そっと彼を地面に降ろした。


「ガッガッガガ入ーーー、ザザ、ビーーーー、ません」


 奇妙な鳴き声の狭間に、クリスタは一瞬、人の言葉を聞いた気がした。

 勿論、ただの聞き間違いだろうが。

 茫然としていると、ムータンティガーは反転して、クリスタを置いて立ち去った。


「……助けて、くれたのかな」


 そんな事はあり得ないのだが、そんな風に思いたくなる状況だった。

 痛む身体で立ち尽くして、クリスタはどうするべきか考えた。

 ムータンティガーにここまで連れて来られて、謎の扉が開いたのだ。ここに入れという事なのだろう。そこがムータンティガーの巣で、入った途端小さな蜘蛛のバケモノに群がれて死ぬかもしれない。それは十分あり得る事だった。


 同じくらい、引き返したら、外で待ち構えているムータンティガーの機嫌を損ねて殺される事もあり得そうだった。

 どちらも同じくらい危険なら、クリスタは扉の中に入ってみる事にした。

 どのみち、洞窟は真っ暗で、歩いて脱出する自信はない。扉の先は、かすかだが明りがあった。


「……ダンジョン、なのかな……」


 そういうものがある事はクリスタも知っていた。大昔に栄えていた邪悪な人間達は、みんな神様の裁きアポカリプスで死んでしまった。今生きているのは、一握りの善良だった人間達の末裔だ。


 ダンジョンとは、そんな時代の悪い人間達が神様の裁きを逃れる為に造った建物だと言われている。だから、辺鄙な場所や、地下にある事が多いのだ。


 邪悪な人間達が作った物なので、中には魔物や魔族なんかがいたりして、神様から盗んだ神具を隠してあると聞いた事もある。


 だから国は、勇者隊や冒険者を護衛につけて、調査を行っているらしい。神様の力の宿った神具は、物凄い力を持っているからだ。


 それでふと、クリスタは思った。ダンジョンの中を探して、なにか役に立つ神具を見つけられれば、絶体絶命のこの状況をどうにか出来るかもしれない。


 そういうのを村に持って帰れば、もう一度成人の日の儀式を受けさせて貰えるかも! カールもリリィも村長も、村の人間なんかもうみんな大嫌いで死んでしまえばいいとクリスタは思っていたが、スキルもなく、人並みの力だって持っていないクリスタには、あのクソッタレな村以外に生きていける場所などどこにもないのだった。

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