第15話
甘輝の率いる数十隻の漁船の船団は、南京からより上流に遡った江寧河の辺りに潜んでいた。
その場で、郎廷佐の派遣した船団をやりすごし、後からついてきたのである。後方の部隊には後続が続いていることに気が付いている者もいるが、それが鄭成功軍の偽装船団だとは気づかなかった。自分達が騙しているつもりのものは、往々にして騙されていることに気づかないものである。
七十近い船と三十の船である。郎廷佐の部隊も精鋭が多いが、それは甘輝の部隊も同じであった。そうなると数の差が単純にものを言うし、郎廷佐の部隊には自分達がしてやられたという動揺もある。
半刻ほどの戦いの後、郎廷佐の部隊は制圧された。
「よおし、船を乗っ取れ! 国姓爺に連絡だ!」
甘輝が満面の笑みで叫ぶ。
「このまま撫湖に向かい、郎廷佐を縛り上げてくれるぞ!」
南京の城壁に近い河の上には施琅の船団が待機していた。
甘輝の報告を受けて、施琅がニヤリと笑う。
「よし。我々も甘輝に続くぞ。あと、何隻かの船には騒がせておけ」
と、船団を上流の方に向かわせていった。
指示を受けて、部下の兵士達が偽装で騒ぎ出す。遠くから見ると、何らかの攻撃を受けているように見えなくもない。
南京城の城壁の兵士にもそう見えた。
「敵軍が攻撃を受けています」
という指示を守将ハハムに伝えに行く。
「真か?」
ハハムも主だった者を連れて城壁の上から見た。確かに長江に布陣している船団の方から大きな声が漏れる。小さな煙のようなものが上がっている船も一隻や二隻ではない。
「郎廷佐が救援に来たのであろうか?」
しばらく様子を見ているが、気になることは船団以外の部隊が何の反応も示していないことである。近くの陸地にいる部隊には騒動が聞こえていてもおかしくないはずなのに何も起きていないかのように眼前の城壁を眺めている。
(怪しい……)
ハハムにはそう思えた。
「今しばらく様子を見た方がいいであろう」
迂闊に出撃して城を乗っ取られでもしたら末代までの恥である。ハハムはここは動かずに待機することを決めた。
一方、撫湖の郎廷佐の下には、船団が帰還してきたという情報が入ってきた。
「完全にうまくは行かなかったものの、二、三隻を動揺させることはできたという話です」
先遣された伝令が伝えに来る。
「……動揺させただけか。できれば何隻か戦闘不能にするくらいはしたかったが、そうそううまくは行かんか」
それでも。これで鄭成功軍は上流からの奇襲に警戒することになるはずである。その分、南京への圧力は弱まるはずである。
(その間に援軍が派遣されてくれば、変わってくるのであるが)
とはいえ、下流にいる梁化鳳らは既に降っている。どこまで頼りになる援軍が送られているかははっきりしない。送られてきたとしても練度が全くない部隊であれば、いない方がマシということもありうる。
(おっと、ひとまず、襲撃隊を労ってやらないと)
仮定の話にいつまでも捉われも仕方がない。郎廷佐は奇襲を果たした部隊を労うべく庁舎を出て、河の方へと向かう。
「むっ……?」
向かう途中、道の先から怒声のようなものが聞こえてきた。
程なく、港の方から兵士が数人走りこんでくる。
「て、提督!」
一人が郎廷佐に気づいた。
「大変です! 甘輝率いる部隊がこの撫湖に雪崩れ込んできました!」
「何だと!?」
叫び、その瞬間、郎廷佐は考える。
(内通者がいたのか?)
撃退だけならまだしも、こちら側の襲撃に応じる形で相手が撫湖まで攻め込んでくるということは考えられない。それが実際に起きているということは、裏切者がいることである。郎廷佐はそう考えた。
しかし、そう考えたとしても内通者が誰であるか探しているような時間はない。
「撫湖を取られるわけにはいかん! 全力で守るのだ!」
庁舎に戻り、兵士を動員しようとするところに、また港の方から兵士が駆け込んでくる。
「提督! 大変です!」
「甘輝の部隊が暴れているのであろう! 知っておるわ!」
「甘輝も暴れておりますが、後続として……」
「……何だ?」
「後続として、施琅の船団が来ています! その数三十隻!」
「何だと!?」
その瞬間、郎廷佐は自分の作戦と戦略が全て崩れ去ったことを理解した。
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