第11話

「国姓爺に会いますか?」


 鄭芝龍に正雪が問いかける。


 鄭芝龍はしばらく考えて、首を左右に振った。


「止めておこう。面子云々の問題もあるが、敗けてしまった者が会いに行ったのでは、運が落ちると成功も思うであろう」


「……承知いたしました」


「清がうまく勝ち進んでくれれば、水軍を率いる唯一の存在になれたかもしれぬが、そんなに甘くはなかった。神も楽はさせてくれぬということであろう」


 鄭成功は商売上の都合もあるが、キリスト教に帰依しており、ニコラスという洗礼名も持っている。そこまでの事情は知らないが、鄭芝龍がキリスト名を持っていることは聞いていたので、正雪も動じるところはない。


「残念でございました」


 あまり感情をこめずに言うと、鄭芝龍は笑う。


「……まあ、そうは言っても所詮は清の水軍だ。そのうち台湾のオランダや、琉球に駆逐されていたかもしれぬ。そのくらい差があるからな」


「確かにそうでございますな」


「成功には会わないこととするが、これからどこに行けばいい?」


「ひとまずは厦門に行っていただきます。そのうえで折を見て琉球に行っていただければ」


「承知した。兵士達も含めて、後の処遇は任せるとしよう」


「ははっ」


 正雪は頭を下げ、状況報告と処理に関しての書状を鄭成功へと急いで送った。



 書状は翌日には鄭成功に届いた。既に主力艦船は長江下流域、上海城の近くにまで戻ってきており、いつでも崇明島を再攻撃できる状態である。


 正雪からの受け取った鄭成功は、一通り眺めると小さく溜息をついた。


「いかがなされましたか?」


 甘輝の質問に、うっすらと笑って答える。


「たいしたことではない。ただ、どうやら死んだ後のことを恐れる必要はなくなったらしい」


 鄭成功が正直に抱いた感情はそれであった。


 自分は国家への忠誠を、親子の孝に優先させ続けていた。そのことについて一切悔いはないし、これからもそうするつもりであった。しかし、孝の道への評価の高い中国である。死後どのような評価を受けるかは知れたものではなかった。もちろん自身は死んでいるのであるから、何も気にするところはないが、息子や孫がそれで苦労すると思うとやりきれない思いもある。


 その最悪の事態を免れることができたことは安心をもたらしていた。


「鄭芝龍が下ったとなれば、我々がこのまま長江を遡ることはない。一旦戻って、崇明島の攻撃を再開するとしよう」


「それは素晴らしいことでございますな。何せ相手は梁化鳳です。追撃の準備を何かしら進めているかもしれません」


 甘輝は満足そうに頷いた。



 この情報に一番右往左往させられたのは南京にいるハハムと、その上流で艦隊の準備をしていた郎廷佐の二人であった。


 進軍してくる前提で準備をしていたところ、急に鄭成功艦隊が引き返したというのであるから、完全に意表を突かれてしまった。


 当然、「それなら準備も終わったし、このまま追撃しよう」という話も出てくるが、それについては両者ともに否定的な態度になる。


「地の利がないから……」


 というのが主だった理由であるが、それだけではない。


(我々が使われて、梁化鳳にうまく使われてしまうのでは……)


 そういう思いもあった。慣れない場所まで移動した場合、自分達が都合よく使われて、梁化鳳の手柄となってしまう可能性が高い。どうせなら、梁化鳳に頑張ってもらって、鄭成功軍を少しでも疲労させた状態にしてもらった方が、都合が良い。


 結局、彼らは準備していた部隊を、一回解散させ、いつでも再準備できるように指示を出しておいた。そのうえで「部隊の準備が整わないので」という書類をそれぞれに崇明島に送る。


 梁化鳳もそうした報告を当然のように受け取った。特に大きな期待をしていたわけではないし、これで自分達が最後まで戦う必要がなくなったと周囲に漏らすようになる。崇明島にいる兵士は五千である。それで鄭成功軍と最後まで戦うというのは不可能で、時間稼ぎ以上のことはできないと判断したのである。


 長江下流域から中流に滞在している清軍は、鄭成功軍に打撃を与える機会を逸してしまった。

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