第4話

 新年。


 その幕の内が開ける頃、老中松平信綱は、幕閣の前で現在進行させている出来事について詳らかに述べた。


 当然、反対も少なくない。


「浪人達を海外に送るなど、幕府の精神に反するものである」


「彼らが素直に中国に行く保証がどこにあるのか」


 などといったものである。


 信綱はそうした反論に冷静に答える。


「幕府の精神というが、機会を失った者をひたすら負け犬同然に押し込めることにいかなる価値があるのか」


「素直に行かないのであれば、それはそれで逆に一網打尽に出来る好機である。彼らの一番厄介なところは密かに、個々に不穏なことを考えることである」


 そのうえで、こうも付け加える。


「上様におかれては体調も思わしくなく、万一のことも考えなければならない事態である。仮に浪人が幕府に対する不満を有していたのであれば、これこそが最大の好機であろう。そうなる前に、解決を図ることのどこに問題があるのか」


 こう言われてしまえば、全員黙るしかない。元々、家光の治世において幕閣は独断でものを決めづらい空気を有していた。従って、何か個人の意見が要求される状況となると、全員が奥歯にものの挟まったような言い方になるのであった。




 幕閣の同意を得ると、信綱は自分の控室に入った。


 そこに南町奉行神尾元勝がやってくる。


「様子はどうだ?」


 信綱は正雪達の様子について尋ねた。


「はっ。加藤明成が参加したことにより、由井正雪のみならず丸橋忠弥も信用するに至ったようです。ただ、丸橋が二、三人の者に勝手に話をしてしまい、かなりの者に広がっているという問題があります」


 元勝の言葉に、信綱は満足そうに笑う。


「ご老中?」


「いや、丸橋の性格はわしも聞いておるからのう。むしろそうなることを期待していた」


「期待ですと?」


「浪人の間にそうした話が広まるとなると、期待が膨らむだろう。ここで期待を裏切れば大変なことになるが、期待を守るのであれば、広がる分には悪くない」


「左様でございますか」


「あと、もう一人の男についてですが、本日中に連れて参るよう取り計らっております」


「おう、そうか。午後は二、三の公務があるゆえ、夕方に連れてくるがよい」


「承知いたしました」


 元勝は平伏して、すぐに退室した。




 夕方、言葉通りに神尾元勝と与力達が男を連れてきた。大柄で横柄そうな雰囲気をもつ男であった。


(ふむ…、正雪と比べると随分と粗暴そうな男だ)


 信綱は男をそう評したが、もちろん、口にはしない。


「忙しいところを済まぬ。わしは松平信綱と申す」


 自己紹介をすると、目を丸くするのは正雪の時と同じである。


「ご、ご老中の?」


「うむ。幸いにして、松平信綱という人物は江戸の中でわしを除いて一人もおらぬ。お主は戸次庄左衛門へつぎ しょうざえもんで間違いないか?」


「は、はい…」


 庄左衛門は圧倒されたような様子である。このあたりも信綱には面白くない。


(正雪は、切腹させるものなら、させてみろという空気があったがのう)


「そなた、自分が雷神と称された戸次鑑連の子孫と称し、浪人共に色々と教えているそうだな?」


 信綱が確認するように尋ねると、庄左衛門はその場に深々と平伏する。


「お、お許しください! そのような名乗りは、全て門弟を得たいがための出まかせでございまして」


「…何も文句を言っているわけではない」


 信綱は絶句した。相手のあまりの情けなさに呆れて物も言えなくなりそうである。


「浪人の問題については、我ら幕府の者も理解している。従って、そなたの考えのありようによっては良きように取り計らうつもりである。時に、そなたは唐土のことについて何か知っておるか?」


「もろこし? とうもろこしのことでございましょうか?」


「…何故に幕閣の頂点にいるわしが、食べ物のことをそなたに問うのじゃ」


 信綱は苦笑するしかなかった。


 戸次庄左衛門は、由井正雪と同じほど、いや、人によっては正雪より上だとも評価している軍学者である。戸次鑑連へつぎ あきつら、つまり柳河藩・立花家の祖先・立花道雪たちばな どうせつと同じ血筋を引くという自称もそうした評価に拍車をかけていた。


 そのため、松平信綱は、浪人軍の指揮を正雪と庄左衛門に任せようと考えていたのであるが、その目論見は短い話の中で間違っていると分かった。


 それでも、門弟の多い男と聞いているので、ひとまず説明をする。さすがに最低限の知識はあるようで、色々話をしているうちに相手も理解してきたようではあるが…




「元勝。さすがじゃ」


 面会が終わった後、信綱が呟いた。


「お主の人を見る目は確かじゃったのう。あの男では、浪人の指揮などとれそうにないわ。軍学を教えているというが、正雪は頭で教えているのだろうが、あの男は腕っぷしで教えているのだろう」


 そして、実際に腕っぷしの方が分かりやすいという事実があるのもまた事実である。


「とんでもございません。ご老中の意思をより理解できるのは由井正雪だろうということは少しでも監視していればすぐに分かることでございます」


 信綱は当初二人を呼ぶように指示していたが、程なく、まずは由井正雪から呼ぶべきであると元勝が進言したため、それを聞き入れたのである。当初は不思議に思っていた信綱だが、今日庄左衛門と会って、その人物がたいしたことないと理解して元勝の意図が正しいことを悟ったのである。


「ただ、当人は正雪と互角と思っているでしょうから、下手をすると指揮権をめぐって争う可能性も…」


「そこは心配せずともよい。そのために加藤明成がおるのだから」


「左様でございました」


 元勝はなるほどと頷いた。元大名の明成が、「指揮は正雪に任せる」と命じれば、浪人が逆らうことはないであろう。浪人の中においても、かつての権威の大小というのは大きな位置を占めるのである。

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