第3話

 長屋に戻った正雪は、直ちに近くに住んでいる丸橋忠弥まるはし ちゅうやを訪ねた。


 丸橋忠弥は年が明けると四〇歳で正雪より六つ若い。大坂の陣で戦死した長宗我部盛親ちょうそかべ もりちかの落胤であるという名乗りについては正雪も真偽の程を知らないが、槍術の名人であり、並の武士なら十人や二十人でも相手にならないことは確かであった。


「今朝、老中松平信綱に呼ばれた」


 正雪の切り出しに、忠弥は目を丸くした。


「何だ? 老中直々に取り調べを受けたのか?」


 老中に呼び出されたと聞いて、真っ先に自分達が調べられていると思うあたり、忠弥の倒幕志向の相当なものである。


「浪人を率いて、中国に行けと言われた」


「…一体どういうことなのだ?」


 混乱する忠弥に、正雪は信綱との話をかみ砕いて説明した。


「なるほど。日ノ本はもう浪人を必要としない。だから、中国に行けということか」


「幕府は国外への渡航も認めていなかったが、今回に限り例外として扱うつもりなのだろう」


「それで、お主は従うつもりなのか?」


「そのつもりだ。お主は嫌なのか?」


「嫌というわけではないが…」


 忠弥の表情は浮かない。恐らく、話には魅力を感じているが、幕府が本当に支援してくれるのか不安を抱いているのであろう。


「このまま江戸にいたとしても状況は変わらぬぞ。倒幕の話も、俺は老中と話して難しいと思った。我々が知っていること以上のことを、知っている」


「…そうか」


「行きたくないというのなら、仕方ない。半兵衛を連れていく」


「ま、待て、待て」


 突き放したような物言いに、忠弥は慌てた。


「いや、某も話は興味深いと思うのだ。しかし、わしは直接老中から聞いたわけではないゆえに」


「ならば、しばらく考えていればいい。俺は俺で動いているゆえに」


「わ、分かった…」


 気圧されたような忠弥を見て、しばらく時間がかかりそうだと正雪は思った。




(奴の父は、大坂の陣の後に徳川家に処刑されたというから、俺と違って筋金入りの幕府嫌いであるのは確かだ。少し時間がかかるかもしれんのう)


 正雪は腕組みをしながら通りを歩き、長屋へと戻ろうとしていた。


(あ、しまった。奴に口止めをするのを忘れていた)


 正雪はハッとなった。信綱から「内密に」とは言われていないが、幕府としておおっぴらにしていい話ではないであろう。忠弥が周りに広めてしまえば、余計なことが起きかねない。


 そうして戻ろうとしたが、既に足は自分の長屋の前まで戻ってきていた。


 更に、長屋の前に見知らぬ男が待っている。歳の頃は五〇を過ぎたあたりか、服装を見る限り並々ならぬ男であることが見て取れる。


「失礼ですが、某に用向きでも?」


 正雪の直感は忠弥の口封じよりも、この男を待たせておくのが失礼であるという方に傾いた。年齢も格式も自分より上でありそうであったので、丁寧に話しかける。


 相手が振り返った。どこかしら達観した僧のような表情が垣間見える。


「おお、そなたが由井殿か?」


「いかにも某が由井正雪でございます」


「とある筋から由井殿を紹介されて、訪ねて参った次第であるが、日を改めた方が良いであろうか?」


「とんでもございません。どうぞ中へ」


 正雪は、老武士を中へと招いた。




「粗末なものでございますが、どうぞ」


 正雪は茶をたてて、相手に勧めた。


「これはすまぬのう」


「ご訪問の件でございますが、やはり江戸の幕閣から?」


「うむ。筆頭老中殿からな、頼まれた」


 やはり、と。正雪は得心した。


 しかし、この目の前の男は、自分よりも更に風采が優れている。自分よりもこの男の方が浪人を率いるのに適しているのではないだろうかとも思った。


「申し遅れたが、わしは加藤明成かとう あきなりと申す」


「加藤殿…?」


「うむ。数年前までは会津を治めていたが、統治に失敗してのう。今は何もない隠居者だ」


「あっ!」


 正雪は思わず叫んだ。どこかで聞いた名前であると思ったが、六年前に改易された会津・加藤家の当主であった。


 加藤明成は、賤ケ岳七本槍と称された豊臣秀吉の腹心加藤嘉明かとう よしあきの息子であった。父嘉明は秀吉の死後は徳川家康に従い、関ケ原、大坂の陣と順調に功績を重ねて、会津四〇万石を治める大大名となった。


 その跡を継いだ明成は会津の街の改築に乗り出すなどしたが、領内の統治に失敗、遂には重臣の堀主水ほり もんどと深刻な対立を起こし、主水が出奔するという事態を引き起こした。これに立腹した明成は主水を高野山まで追いかけ、最終的には捕らえたうえで処刑した。


 この事件で幕府から直接お咎めがあったわけではないが、契機とはなり、明成は自ら領土返上を幕府に申し出ることとなった。幸い、父嘉明の功績などから加藤家は石見の小国としての存続は許され、息子がその領主となっている。明成もそこに付き従っていると聞いていたのであるが。


(まさか、これほどの者が出てくるとは…)


 正雪は冷や汗が流れるのを感じた。


 口だけではない。幕府は本気である。本気で、幕府のために敗者となった者達を中国でやり直させようとしている。


「わしは領主としては失敗であったからのう。すなわち人生に失敗したということだ。そういう中での今回の件、最後の最後に、武将としてはどうなのかと試してみたくなったのだ。この歳になって、と思うところもあるが」


 明成は自嘲気味に笑う。


「左様でございましたか…」


 正雪は分かると思った。


 徳川家の天下統一過程で生まれた人物は、武士の本分、戦いで活躍した父や祖父の話を聞いて育ってきた。しかし、自分が長じた時には戦場はなく、統治術が評価される時代と変わっていってしまった。こうした時代の変化について行けずにいた者は決して少なくないだろう。


(人生、意気に感じるという言葉もあるが)


 高齢に差し掛かっている者も含めて、武士の中でまともな戦場を経験したことのない者は多い。今回の措置を意気に感じる者は決して少なくないだろう。


(自分はこの国の歴史の中でも、もっとも精強な者を率いる者になるのかもしれない)


 正雪は自分達と共に行動する者の強さを感じ取っていた。

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