38.決意

「まず、この念書にあるとおり、二人の間に子供はいない、残念ながら恵まれなかったそうだ」


クロードは、夫人の書いた用紙を読みながら小さく頷いている。


「続けてジュリア、ミレイアの母親だな、彼女の髪色が褐色だと書いてある」

「褐色……」

「うん、なんでも15年以上前の吹雪の日、サフィロ子爵が果樹園の中で全身傷だらけの子供を見つけて連れ帰ったそうだ。地元では少ない褐色の髪、きっとどこかから逃げ出した子だろうと夫婦で保護したらしい」

「ああ、15年前ならまだ隠れて奴隷を持っていた貴族がいた頃か」

「うん、夫妻もそう思ったようだな」


念書には、ジュリアの毛髪は褐色、当家滞在時に金色に染めた。証人は当家で働いている執事、仕事を辞めた侍女たちにも確認を取るならば連絡先を教える、と書かれている。

続いて、ジュリアがこの屋敷に滞在した期間は三カ月にも満たないとも。


サフィロ子爵夫人は、ジュリアのことを本当の娘のように可愛がっていたつもりだと話していた。

突然フォルティス侯爵が連れて行ってしまった後も、きっと話せば誤解が解ける、そしてジュリアは自分に会いたがっていると思っていたそうだ。

夫人の気持ちを思うと、話を聞いているだけで胸がつぶれる思いだ。


「あれ、でも侯爵夫人、えーっとジュリアさんはいまでも金髪なんだろ?」

「うん、数えるほどしか会ってないが金髪だ、ミレイアが生まれてからもずっと染め続けているのなら凄いな」

「そこまでして金髪にこだわるのはなぜなんだろう……」

「それだよ、おかしいと思わないか?」

「ん、なにが?」


クロードは額に手を当て、夫人が書いた用紙にもう一度目を落とした。


「サフィロ子爵も夫人も、スナッグ地方出身だから金髪なんだよ」

「ああ、その二人の娘だと偽ってるんだもんな、そりゃ褐色はおかしい」

「それだけじゃないだろ?」

「……」


クロードは少し考えた後、声にならない声を上げた。

目を丸くして、こちらを見つめている、そう、そうなんだよクロード!

二人で目を見つめあって、うんうんと頷きあう。

クロードは周りをきょろきょろと見渡し、部屋の鍵がかかっていることを確認した。


「おいおい、ミレイア嬢は透き通るほど美しい金髪じゃないか……」

「そうなんだ」

「じゃあ、いったい誰のこど……」


流石にそこまで言いかけてクロードは口ごもった、屋敷内とはいえ危険な話だ。

貴族の娘の父親が違うかもしれないなんて、誰かに聞かれたらとんでもないことになる。

もう一度、二人で黙ったまま目を見合わせ頷きあった。

そしてカップに入ったお茶を飲み干し、小さく咳払いをした。


「サフィロ家に行くときはまさかこんなことになるとは思ってなかったよ、でも行ってよかったと思ってる」

「うん」

「このことは、リリアナと俺の未来にきっと役に立つはずだ」

「そうだな、あまりの衝撃でちょっと気持ちが落ち着かないけどな」


クロードはサフィロ子爵夫人が書いた念書を、そうっと封筒に入れ、「鍵付きの金庫に保管しなければ」と呟いた。


帰宅するなりクロードを驚かせてしまったが。実は、まだ話していないことがある。

いや、正確には話せない事か。

それは、サフィロ家を去るとき、「思い過ごしかもしれない、ただの独り言と思って聞いてください」と夫人が話しはじめた内容だ。


ジュリアが来て二カ月くらい経った頃、今思い返せば主人の様子がおかしかった気がすると。

サフィロ子爵とジュリアの二人は、一緒に買い物に出かけたり、夜遅くまでスナッグ地方の歴史や、育てている果実など、仕事の話をするようになっていた。

三人で食卓を囲むことも増え、夫人は本当の親子みたいに仲が良いと思っていた。


ところが、ジュリアを養子にするという案を話すと、突然子爵が嫌な顔をするようになった。

フォルティス侯爵が訪問する際も、会わせたくないといっていた、今思えばジュリアを独占したかったのかしらね、と夫人は続ける。

ずっとただの考えすぎだと思っていた、でもローデリック公爵からジュリアの娘が金髪だと聞いて、長年思っていたことが、やはりそうだったのではないかと思ったの。

あ、ごめんなさいね、結婚のご挨拶に来てくれたのに、こんな田舎の子爵夫人の妄想話をお聞かせして、聞き流してくださいませね……。

その話をし終えた後、夫人は一粒の涙をこぼして微笑んだ。


その時の表情と弱弱しい声を思い出すと、胸が締め付けられる。

ああもう、ミレイアといいその母親といい、なんでこうも自分勝手なんだ。

でも、このことは誰にも言えない、夫人もそれは望んでいないだろう。


「……レイ……レイナード!」

「あ、ああ、ごめん」

「それで、これからどうするつもりだ?」


クロードが片手に手帳を持ち、さっき馬車の中で見た夢のページを指さしていた。


あー思い出した、リリアナが娼館と賭博だと……くっそムカついてきた。

結婚式までもう一カ月を切っている、ステラの手紙からすると、きっともう計画は始まっているはずだ。

既にジュリアが手引きをして、ローリン地区にリリアナの偽者が出入りしているにちがいない。


「ローリン地区に行こうと思ってる」

「えっ、今なんて言った?」

「ローリン地区に行く、もちろん一人でだ」


クロードが口を開けたままこちらを見ている。


「今日の夢読んだだろ、あいつ! いや俺だけども、本当に最低だ。証拠を押さえて早く婚約破棄したがってた、二言目にはミレイアのことばかり! 本当に気持ち悪い男だよ、俺だけど……」

「一人は危ないよ」


俺は大きく首を横に振った。


「男二人で行くほうが目立つよ、それにクロードは男前すぎて更に目立つ」

「いや、でも、じゃあ俺が行くよ」


心配そうなクロードに、もう一度首を横に振る。


「大丈夫だ無茶はしない、それにこれは俺が確かめたいんだ。夢の中ではクロードに頼んでたけどな、あー本当に俺ひどい、申し訳ないよ」

「いまさら何言ってんだよ、レイぼっちゃま」

「ぼっちゃま言うな」


クロードはいたずらっぽく笑い、手帳を机の上に置いた。

そして、ティーポットから新しいお茶をカップに注ぎ小さくため息をついた。


「わかったよ、お前の決意が固いのは伝わった、明日にでも着ていく衣装を用意しておくよ。でも、本当に何か手伝うことはないのか?」

「実はひとつだけ……」

「お、何だ」


クロードが嬉しそうに身を乗り出した。本当に良い奴だ。


「これは、調べてもらったとしても、誰にも言わないままの可能性が高いんだ……」

「うん」

「ジュリアが髪を染めているという証拠を探したい」

「あー、この国に来てずっと金髪ということは、どこかのハーブ店から染料を買っているはずか」

「うん、別に大事にしたいわけじゃないから、見つからなくてもいいんだけど……」

「わかったわかった、任せとけぼっちゃま」

「あ、また!」


肩をあげてクロードが嬉しそうに笑う。


ジュリアの髪、これは調べていいことなのかはわからない。

俺はリリアナと無事に結婚ができればいいんだ、ミレイアとジュリアの企みを阻止できればいい。

もちろん、ジュリアがどうやってフォルティス侯爵夫人になったか、そしてミレイアは本当に侯爵の娘なのか、それが気にならないと言えば嘘になる。

ただ、現時点では必要がない。

リリアナを決して悲しませないこと、幸せにすること、これが俺にとって一番大切なことだ。


もう時間がない、行ってやろうじゃないか、ローリン地区へ。


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