番外編 サフィロ子爵夫人とジュリア 

◆今回のお話は番外編です。

サフィロ子爵夫人がジュリアと過ごした、二カ月と少しの間の出来事です。

この話を飛ばして次の話を読んでもわかるようになっています。


◇◆◇


それは15年以上前、ひどい吹雪の日の事だった。


作物の様子を見るため果樹園へ行ったサフィロ子爵は、畑の隅で果実にかける藁にくるまった子供を見つけた。

この地方には見られない褐色の髪色、よく見ると全身傷だらけであきらかに痩せている。

最近ではあまり聞かなくなったが、流民を奴隷にする者がいるという話を子爵は思い出していた。

おびえる子供を待機小屋にあった毛布で包み、吹きすさぶ雪の中、屋敷へと連れ帰った。


屋敷に着くと執事が出迎えた、子爵はすぐに夫人を呼ぶようにと頼んだ。

夫を出迎えにきた夫人は、毛布に包まれた子供を見て驚き、どうすればよいかわからず立ちすくんでいた。

すると、今まで下を向いていた子供が顔を上げ、子爵と執事の間をすり抜けて夫人に縋るように駆け寄っていった。

思わず受け止めた夫人は、優しく子供を抱き寄せた。


「この少女はどうしたのです?」


夫人の言葉に、サフィロ子爵と執事は驚いた顔をした。


「少女? 女の子なのか?」

「はい、大変痩せていますが女の子です。身体が冷え切っているわ、誰かお風呂に入れてあげてちょうだい」


そうして、少女はサフィロ家に保護されることになった。


翌日、眠り続ける少女を見て、サフィロ子爵夫人は驚いた。

昨晩は体を丸めていてわからなかったが、手足が長く幼い子供ではないことが見て取れた。

手首や足首に目立つ傷があり、何か枷のようなものをつけられていたのだろうと推測できる。

侍女の話によると体中に青あざや火傷の痕もあったようだ。

そしてなにより少女は美しかった、肌艶は良くないが驚くほど端正な顔立ちをしている。


「はぁ」


夫人は大きなため息をついた、少女が今まで歩んできたであろう生活を考えたのである。

この国では、奴隷を持つことは重罪である、もう何年も前に法律で禁止されている。

もし奴隷を所持していた場合、爵位剥奪、財産没収となるため、この少女が逃げ出したと気づいたとしても追ってくることはないだろう。

さて、どうすればいいのか。


「あの、申し訳ございません!」


声の方向を見ると、少女が起きていた。

慌ててベッドから出ようとしているが、足元がふらついている。


「起きないでいいわ、そのまま動かないで」


夫人の声に少女は頷き、布団にくるまれた。

少女はジュリアと名乗った、ある屋敷で侍女として働いていたが、体罰に耐え切れず逃げ出したそうだ。あとは、ただただ走り続けてこの地にたどり着いたという。

少しなまりはあるが、ことば遣いも丁寧で聞き取りやすい。

夫人が話したくないことは話さなくていいと言うと、ジュリアは大粒の涙をポロポロとこぼした。

その顔も息を呑むほど美しかった。今思えばこの涙に騙されたのだ。


夫人の計らいで、ジュリアには部屋と食事が与えられ、いつの間にか屋敷の手伝いをするようになっていた。

執事や侍女の話によると、仕事は大変手際が良くしかも気が利くため、皆の間でも自然に受け入れられているとのことだった。

初めてお給料を渡したときもジュリアは泣いて喜び、この屋敷にずっといたいと夫人に話した、夫人もずっといてほしいと思っていた。

ジュリアは素直で愛らしく、とても良い子だった。


給料後のジュリアの休日、ひとりで買い物に出かけ、なかなか帰宅しないことがあった。

まさか何かあったのではと、夫人が子爵に相談していたころ、髪を金色に染めたジュリアが屋敷に戻ってきた。


「まあ、どうしたの」


皆が驚く中ジュリアは、褐色の髪色だとこの街に受け入れられてない気がした、買い物に行っても目立つのが嫌だった、子爵夫人に憧れている、と恥ずかしそうに答えた。

確かに、褐色の髪色はこの街にいないわけではないが少し目立つ。やはり追っ手のことが不安なのだろう、そう思った夫人は、ジュリアをしっかりと抱きしめた。


サフィロ子爵も、ジュリアをとても可愛がっていた。

まるで子供のように思っている、養女にしてもよい、それが無理だとしてもこの家から嫁がせればいいとまで話していた。

二人の間には子供がいなかったので、そういう選択肢もあるかもしれないと夫人も考えていた。


ジュリアが屋敷に住み始めて一カ月、来た時のような痩せこけた身体ではなく、女らしい体つきになりはじめていた。

頬もふっくらと薔薇色になり、目立ちたくないと金髪にしたにもかかわらず、誰もが足を止めてしまうほどの美しさになっていた。

男の人には注意しなさいと、夫人はジュリアを心配していた。


それからまたひと月、ジュリアが来て二カ月が経った頃、夫人がサフィロ子爵にジュリアを養子にする話を持ちかけると、子爵はなぜか嫌な顔をした。

そして、養子はまだ早い、考えていないと、突然拒否をしたのだ。


いつでもジュリアを気にかけ、二人で買い物に行くこともあり、自分の娘のように可愛がっていると思っていたのに。

サフィロ子爵のことばに、夫人は納得できなかった。

しかし何度持ち掛けても、まだ考えてない、そればかり言うのだ、夫人はジュリアが可哀相で仕方なかった。

そんなある日、フォルティス侯爵が屋敷を訪れるとの連絡があった。


一年前、フォルティス侯爵は夫人を病で亡くし、長らく喪に服していたのだが、仕事はじめに最北の領地、そして親友であるサフィロ子爵がいるこの地からと決めたそうだ。

夫人は良い機会だと思った。フォルティス侯爵にジュリアを紹介し、養子に迎えようと思っていると話せば、きっと夫も考えてくれるのではないかと。

そして、フォルティス侯爵が来るときには、ジュリアも一緒に食卓につくように伝えたのだ。


一月後、フォルティス侯爵訪問の日がやってきた。

夫人はジュリアのために新しいドレスをと思ったが、この土地に来て3カ月、手首の傷跡は薄くなったもののまだ消えず、腕にもやけどのような跡が残っていたため、地味なワンピースを着せることになった。

それでもジュリアは美しかった。

夫人は、自分のことを慕ってくれるジュリアを、本当の娘のように大切に思っていた。


晩餐は大いに盛り上がった。

フォルティス侯爵は少しやつれたものの、可愛い一人娘の為、自分がしっかりしなければいけないと、意欲を高めていた。

サフィロ子爵は最初にジュリアを紹介した後、思い出話や領地の話に花を咲かせ、夫人が話す隙を与えなかった。

結局、養子のことは言い出せずに宴は終わった。

夫人は部屋に戻るジュリアに、声をかけた。


「なんだか気を遣わせてしまっただけで、ごめんなさいねジュリア」

「とんでもございません、フォルティス侯爵とお食事できたこととても楽しかったです、ありがとうございます」


ジュリアは唇の両端をキュッと上げ、会釈をして部屋に戻っていった。


未明、夫人は、激しい怒号で目が覚めた。

慌てて起き上がると、サフィロ子爵の寝室の方向、廊下から声が聞こえてくるようだ。

子爵と夫人は寝室を別にしているが、部屋の中から行き来できるようになっている。

夫人は子爵の部屋に続く扉を開けた。


部屋を見渡すと、扉を開けた子爵が、廊下に向かって必死で何かを訴えかけている。

その声の相手は、フォルティス侯爵だった。

夫人は慌ててサフィロ子爵に駆け寄った。

フォルティス侯爵は、見損なった、醜い、最低な男など、聞くに堪えない罵声を浴びせ続けている。


その時、廊下にいる侯爵の後ろに誰かがいるのが見えた。

よく見ると、ジュリアがそこに立っていた。

こんな時間に驚いたのだろう、寝間着のままで立ち尽くしている。寝間着の袖や裾が短いため、傷跡が丸見えだ。

なんて可哀想なジュリア、夫人は慌てて自分の部屋に戻り、ガウンを持って廊下に飛び出した。


突然廊下に飛び出してきた夫人に、ジュリアは全身で驚きを現した。

ガウンを掛けようと近づくと、ジュリアは自分の部屋の方向へ走り出した。

そしてあっという間に部屋に入ってしまった。


「ジュリア大丈夫? こわくないわ、あけてちょうだい」


扉をノックし続ける夫人の声に全く反応がない。

その頃、騒ぎを聞きつけた執事が、慌てたように廊下の向こうから来るのが見えた。

と同時に、バタン!と扉を大きく閉める音が後ろから聞こえた。

振り返ると、頬を紅潮させ怒りに震えるフォルティス侯爵が、子爵の部屋の扉を叩きつけるように閉めこちらへ向かって歩いてくるところだった。


「あの、侯爵……」


声をかける夫人に、フォルティス侯爵は立ち止まる。


「サフィロ子爵夫人、私はもう失礼するよ、後のことは君の主人から聞いてくれ」


侯爵はそう告げると、廊下向こうの客室へ戻っていった。

駆け付けた執事と顔を見合わせ、二人でサフィロ子爵の部屋へ向かう。

扉を開けると、すぐ横に子爵が座り込んでいた。


「あなた?」

「旦那様?」


二人で声をかけるが、一人でブツブツ言うだけでまったく返事がない。


「言いがかりだ、そんなことやってな……いや、なんだ、そうかあの女、くそ」


子爵は頭を掻きむしっている。


「あなた、何があったの?」

「やってない……いや、そんなことはやっていない……だが、ああくそ、どうすれば……」


子爵は床に向かって文句を言い続けている、夫人の言葉に全く耳を貸そうとしない。


「もう駄目だ、どうやっても駄目か……ああやられた、あの女……」

「さあ旦那様、こちらへ」


このままでは埒が明かないと思った執事は、サフィロ子爵を後ろから抱きかかえ、ベッドに運ぼうとした。

その時、部屋の扉を誰かが慌てたようにノックした。


「旦那様! 奥様! フォルティス侯爵が御立ちになるそうです!!」

「なんですって」


夫人は部屋を飛び出した、そこには寝間着にガウンを羽織った侍女が泣きそうな顔で立っていた。


「侯爵はいまどこに?」

「既に門の外に馬車をつけていらっしゃいます、まだ玄関にいるかと思います、ジュリアも!」


階段を駆け下りながら侍女の言葉を聞いた夫人は耳を疑った。


ジュリアも? ジュリアもですって?


一階の玄関ホールを抜けると、既に誰もいなかった。

夫人は裸足のまま外に飛び出す。

外はまだ薄暗く、日が昇り始める前だった、風が身を切るように冷たい。

目の前に、馬車に向かって進んでいくフォルティス侯爵がいた。


「フォルティス侯爵閣下!」


声が掠れる、侯爵は振り返らずそのまま馬車に乗り込んだ。

そうだ、ジュリアは?

馬車に近づくと、侯爵の奥に隠れるようにジュリアが座っていた。


「ジュリア!!」


侯爵がちらりとこちらを見て、馬車窓のカーテンを閉めた。


「ジュリア!!!」


もう一度大声で叫んだ。カーテンから細い指が見え、ほんの少し隙間が開いた。

夫人がすがるように覗き込むと、見たことがないほど満足そうな笑顔でこちらを見るジュリアの顔がそこにあった。


それは、今まで見た中で一番美しい笑顔だった。






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