29. 12年前

■ 12年前 フォルティス家 中庭


「……夫人、お聞きになりました? リリアナ様の事」

「どうしましたの?」

「あのクレヴァ礼節学校の入学試験、満点だったそうですわよ」

「まあ! 子供の試験と思えないほど難しいと聞きますわ」

「そうなんですの、大変ご優秀みたい」

「フォルティス侯爵閣下も鼻が高いですわね」

「それが……ほら、夫人があれでしょ」

「ああ、確かリリアナ様は前の夫人の……」

「そうそう、しかもリリアナ様の二歳下に妹が……」


フォルティス邸中庭で、小さな主役を待つ人々の口からは噂話が止まらない。


退屈だ。ぐるっと見渡しても、同世代の子供が見当たらない。

母は久々に会えた遠縁の親戚と、思い出話に花を咲かせている。

本当は今日来る気なんてなかったし、来たくなかった。

会ったこともない子、ましてや女の子の誕生会、楽しいことなんて何一つない。

あーあクロードと剣の稽古したかったな。


時間つぶしで中庭をぶらつく。

ふと、タイル張りの細道が、奥へと続いているのが見えた。

裏口にでも出るのかな?

気にせず道なりに進んでいくと、植え込みが増え、どんどん道が細くなり、気づくと小さな門の前に立っていた。


門の向こうには、本邸の芝生と植え込みだけの庭とは違い、いろいろな草木や花が植えられた庭園が広がっているのが見える。

辺りには何の花かはわからないが、良い香りが漂っていた。

自然あふれる庭には季節柄か、蝶や蜻蛉も飛んでいる。


「わー凄いや」


無意識に門を押して中に入る。

書物で見たことはあったが、本物の蜻蛉を見るのは初めてだった。

思っていたより大きく、自分ちの庭で見かける虫と違って全く違ってなんか格好良い。


もう少し、もう少し……


近くで見ようと叢の中に足を踏み入れたその時、正面から飛んできた蜻蛉が頭をかすめた。


バババババッ!


激しい羽音が頭上から聞こえる。

音に合わせて、髪が強く引っ張られているのがわかる。

恐る恐る頭上に手をやると、完全に髪の毛に蜻蛉が絡まっているようだ。


……え、どうすればいいんだ?

なぜか目をギュッと瞑り、手を頭の上でばたばたさせる。

たまに手にあたるガサっとした感覚と羽音が怖い。

よく考えれば虫を触ること自体が初めてだ、蝶だって捕まえたことがない。


「どうしよう……」


頭上で激しく動きつづけているであろう蜻蛉の羽音に、髪の毛の中で死んでしまうのではという恐怖が重なり、その場で座り込んでしまった。


このまま羽音がしなくなるまで我慢するか、それとも髪に手を突っ込むか。

大人がいる中庭までこの状態で戻ってもよいが、騒ぎになりそうで嫌だった。

女の子の誕生会に出席した公爵の息子が、頭に蜻蛉をつけて戻ってきただなんて、ずっと笑われるにきまってる。


一体どれくらいの時間が経っているのだろう……どれだけ考えても頭上の羽音は止まる様子がない。

突然心細く、悲しくなってきた。あ、なんだか泣きそう。


「君どうしたの?」


しゃがみ込んでいる後ろから、声が聞こえた。

声の方向に顔を上げると、同い年くらいの子供が、首をかしげて僕の頭上を見ている。

肌が白く、女の子のような顔をした少年だった。

何も言えずにいると、僕の顔を見てくすっと笑い、こちらに真っ白な手を伸ばしてきた。


「大丈夫だよ」


優しく僕の頭を押さえ、いとも簡単に蜻蛉を取り、「ほら、ふたりとも助かった」と言ってにこっと笑った。


「あ、ありがとう」


お礼を言って立ち上がると、少年の右手はまだ蜻蛉を掴んでいた。

そのまま手を少し上に掲げ、羽や手足をじっくりと観察している。

僕が見ていることに気づいた少年は、優しい顔で微笑んで説明をしてくれた。


「これはオニヤンマだよ、これだけ大きいからメスだね。羽を透かして見ると美しいでしょ、目の色も宝石みたいだよね。噛む力が強いから、下手に取ろうとして噛まれなくてよかったよ」

「え! 噛むの?」

「うん噛むよ、それでね痛いというか、うーんすごく痛いんだ!」


そう言ってふふふと笑い、少年は蜻蛉から手を放した。

オニヤンマは雲一つない青空へと飛んで行った。


「君は物知りだね凄いや、僕はレイナード。君も誕生会に来たのかい?」

「ああ、うん、まあね」

「やっぱり! 一緒に会場に戻ろうよ、僕、君ともっとお話がしたい」

「あ、うん、でももう行かなきゃ」

「え?」

「またね」


少年は手を振りながら、もう片方の手で僕の右手を掴んでブンブンと握手をしたかと思うと、小さな屋敷のほうへ駆けて行ってしまった。

あれ? あっちに行ったってことはこのお屋敷の子供だろうか。

華奢で女の子みたいな子だった、虫に詳しいなんて格好いいなあ。

同い年くらいに見えたけど、また後で会えるといいな。


そうだ、僕も早く戻らなきゃ。


開けた門を閉め、元来たタイル張りの道を歩き、中庭に戻る。

すぐに母親に見つかり、ウロウロしちゃ駄目だと窘められた。

少しの間飲み物を飲みながら、親戚の叔母さまたちに質問攻めにあっていると、本日の主役リリアナ嬢の登場だと声がかかった。


この国の公女は社交界デビューの15歳、成人となる16歳でお披露目を行うことが多い。

6歳で誕生会を行うのは長男である公子がほとんどだ。

公女の場合は行わないことが通常化していたので、今回のお披露目式はかなり珍しいと聞かされた。

フォルティス家長女であるリリアナ嬢は、国内でも一番格式高い女学校に飛びぬけた成績で入学することが決まり、そんな娘を自慢したいために侯爵閣下が開いたという話だった。


そんな話を聞かされても、へえーとしか思わない。

同じ年だと言われても女の子だ、特に話をすることもないだろうし全く興味がなかった。

とはいえ、ここまで来たからには挨拶はしなくてはいけない。


母親の後ろをついて会場に移動すると、小さなテーブルがいくつも並び、そこには美しい花が飾られていた。

一番奥にはひな壇があり、その中央には真っ白なドレスを着て、たくさんの花を頭に飾られて座る少女の姿があった。


きっとあれが今日の主役のリリアナ嬢だな。花まみれだ。


その左横では、長身で体格の良いフォルティス侯爵閣下が、笑顔で来客に挨拶をしている。

そして右横には、会場の中で誰よりも着飾った侯爵夫人と、同じく着飾った小さな女の子が座っていた。


「まあ……あれ」

「なんて派手な、誰が主役なんだか……」

「そういえば、古いしきたりで髪を切られたそうですわよ」

「まだ6歳あの女の子の髪を……おかしいわ」

「いまどき百年以上も前の……ねぇ」

「……おかわいそうに」


祝賀の列でも夫人達の噂話は尽きない。

理解できないことばかりだが、良い話ではないことは子供でもなんとなくわかった。

周りの余計な話を聞かせないようにするためか、母はやたらと話しかけてきた。


「ちゃんと挨拶できるわね」

「大丈夫だよ」

「あら、髪ぼさぼさじゃない」


母が僕の髪を直している間に、祝賀の列はどんどん短くなっていく。

今日の主役はもうどうでもいい、早く挨拶を済ませてお菓子を食べて、さっきの蜻蛉の子を探さなきゃいけないんだ。

そわそわしているうちに、やっと順番が巡ってきた。

母が一歩前に出て、膝を曲げてお辞儀をした。


「フォルティス侯爵閣下、お嬢様であるリリアナ様の6歳の誕生日をお祝い申し上げます」

「これはこれは、ローデリック公爵夫人、足をお運びいただき大変恐縮にございます。娘のリリアナです、以後、末永くお見知りおきくださると幸いです」


母に対して侯爵が深々をお辞儀をしたせいか、横にいた侯爵夫人がちらりとこちらを見た。

派手なドレスを着た小さな女の子は、座っていることに飽きているのか目の前の花を毟っていた。


なんだあれ、と思いながら母に続いて一歩前に進むと、頭にたくさんの花飾りをつけている少女が口を開いた。


「ありがとうございます、ローデリック公爵夫人」


母に向かって可愛くお辞儀をして、こちらを見てニッと笑った。


「あ! 君!」


思わず大きな声を出してしまった、母が慌てて僕の手を引っ張る。

少女はそんな僕を見てクスっと笑った。


さっき蜻蛉を取ってくれた女の子のような少年、それが今日の主役リリアナだった。


真っ白な大輪の花で髪を飾っているのは、短い髪を隠すためか。

飾り気のないドレスを着た少女の笑顔は、誰よりも眩しく僕の胸に入り込んだ。

口を開けたまま何も言えずにいると、再度母が僕の手を引っ張った。


「あ、あの、おめでとうございます」


ばつが悪くてもじもじする僕に、「また会えたでしょ」とリリアナは声を出さず囁くように言って、ふふふと笑った。


その笑顔を見て、完全に僕は恋に落ちた。


母はボーっとしたままの僕の手を取り、次の人の邪魔にならないよう会釈をして列から外れた。


「こら、レイ、挨拶できてないじゃない」


頭をグシャグシャっとされるが、そんなことどうでもよかった。

この挨拶に並ぶ人たちがいなくなったら、どうやってリリアナのところに行って話そうか、そればかりを考えていた。


ーードンッ!!


その時、後ろから大きな音が聞こえた。

会場が一瞬静まり返り、皆がリリアナの居るひな壇に注目する。

振り返ると、フォルティス侯爵夫人の横にいた小さな女の子が、グラスを机に叩きつけテーブルの上が水浸しになっていた。

幸いグラスは割れていなかったが、先程毟り取っていた花びらも飛び散り、祝いのテーブルがひどい有様になっていた。


「うーんやだぁーミレイアまんなかぁーまんなかがいいのぉー」


幼い子だ、座っているだけなのが我慢できなかったんだろう。

今にも泣きだしそうな顔で拳を振り上げ、凄い音を立てながら机をたたき続けている。

横の夫人は全く動こうともしない。なんでだ?

リリアナの方を見ると、いつの間にか席を立って後ろに下がっていた。


「あんな小さい子連れてくるから……」

「普通なら同じ席に並ばせませんわ……いつ生まれ……」

「知らない間に……侯爵夫人に……」


また夫人たちが口々に話し始める。

新しい侯爵夫人はあまり評判がよくないようだ。


使用人たちが机の上を片付ける中、リリアナが父親であるフォルティス侯爵に耳打ちしているのが見えた。

侯爵は頷きながらそれを聞き、リリアナの頭をやさしく撫でて頬にキスをした。

そしてそのまま机をたたき続けている小さな女の子に近づき、後ろから優しく抱き上げた。


「わーん、パパぁパパぁー」


侯爵はグズっている小さな女の子を抱いたまま、いままでリリアナが座っていた中央の席に女の子を座らせた。

さっきまで泣きそうだった小さな女の子は、辺りを見渡して目をキラキラとさせている。

リリアナはそれを見届けると、自分のために待っていてくれた来客の列に向かい、先頭にいる夫人に6歳とは思えない美しい所作で頭を下げた。


「リリアナちゃんは賢いわね、レイとは大違いだわ」


リリアナの行動を見ていた母が、感心するように呟いた。

続けて、さっき挨拶が上手く出来なかったことをブツブツ言われてるが、そんなことどうでもよかった。

僕は、決めた! うん、決めたぞ!

「お母様、僕リリアナと結婚する!」



*  



いやー何度思い出しても恥ずかしい、あの時の母上の驚いた顔ったらなかった。

数時間前まで、「知らない女の子の誕生会なんて行きたくない!」と、馬車の中で駄々をこねてたくせに、いきなり結婚宣言だもんなあ。

しかしよくぞ無理やり連れて行ってくれた、今となっては母上には感謝しかない。


こうやって思い返してみると、ミレイアのわがままもそうだが、侯爵夫人の対応が酷いもんだ。

誰よりも派手に着飾っていたのに一言も発さなかった、というより、何で居たんだ?ってくらい何もしていなかった。

結局あの後どうしてたのかさえ記憶にない。


数カ月前に行われた食事会でも、夫人は最初の挨拶以降、一度も口を開かなかった。

フォルティス侯爵はよく話す明るい人だが、夫人のあの態度は気にならないのだろうか?

自分とは全く関係がない娘が婚姻するかのような、恐ろしく興味がない感じ。

そういえばミレイアも全然話さなかったな、いまとは別人みたいだ。


夫人もミレイアも病弱で食が細く疲れやすいという話だったが、巷では、侯爵不在の時に花会(賭博場)で夫人の姿を毎日のように見かけるという噂がある。

真偽は不明であっても、こんな噂が出てしまうこと自体フォルティス家には良くない事だ。

リリアナが家を出た後、フォルティス家の印象は下がっていくのでは……。


あ、そういえばミレイアは王太子妃候補だった、しかも本命だと言われている。

パーティで常に中心にいるような女だ、喜んで国からの申し出を受けるだろう。

あれ、もしかして俺に干渉してくるのは、王太子妃候補になるまでの暇つぶし?

それにしては異常なほど執着するのは……


くっそ……俺、何考えてんだ


せっかく可憐で愛らしいリリアナとの出会いを思い出していたのに、いつの間にかミレイアのことを考えていた。

あーもう、名前を思い出すだけでも嫌になってきたなあ。

嫌悪というよりは、何を考えているかわからない恐ろしさが一番だ。

できることなら二度と会わないまま結婚式を迎えたいが、そういうわけにはいかないのがもどかしい。


でも大丈夫だ、今日はリリアナを守ることが出来た。

この調子で頑張るしかない、ああ、しかし今日は本当に疲れた……。

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