30. 翌朝、7度目の夢

「ん……」


カーテンの隙間から差し込む薄明かりと、恐ろしいほどの脚のだるさで目が覚めた。

昨晩は考え事をしたままソファで寝落ちしてしまったようだ。

しかも着替えをしてない、靴も履いたまま……。


「やばいな」


クロードが静かに怒る姿が頭に浮かぶ。


慌てて着ているものを一気に脱ぎ、クローゼットから寝巻を取り出した。

足が浮腫んでいるせいか、靴紐を緩めてもなかなか靴が脱げない。

やっとのことで脚を解放すると、全身の力が一気に緩んだ。


まだ起床時間には早い、この解放感、もうひと眠りできそうだ。

寝間着に着替え、転がるようにベッドにもぐりこむと、体がマットに吸い込まれていく。

思い切り伸びをした後、一瞬にして夢の世界へ堕ちていった。



☆ ☆ ☆ 


「はぁ」


もうすぐ結婚式だというのに、リリアナと会う時間が減っている。

式の打ち合わせ以外では、なかなかお互いを訪問することができない。


「……はぁ」


胸の中に重苦しい煙の塊のようなものが居続ける。

溜め息をついても、その煙はすぐに広がってしまう。

なぜこんなに気が重いのか、これがいわゆる婚姻前不安症候群だというのか……。


「失礼いたします」

書類の束を抱え、手紙のようなものを左手に持ったクロードが部屋にやってきた。


「こちらがティアナ鉱山の資料です、あと封書が届いておりますがどうなされますか?」


そう言って差し出された封筒には、スズランの文様が型押しされていた。

どこにも差出人の名前が書かれていないが、封蝋がされている。

落ち着いた赤の封蝋にイニシャルが見える……あ、これはミレイア!

間違いない、ミレイアの名前の頭文字だ。

一瞬にして胸が高鳴ったが、クロードに気づかれないようにそのまま机の上に置いた。


「ありがとう、これはもらっておこう、今は特に用事はないからお茶の時間までゆっくりしてくれ」

「わかりました、では失礼いたします」


クロードは一礼をして部屋から出て行った。


足音が聞こえなくなるのを確認してから、手紙を手に取る。

記名がされていないだけなのに、なぜこんなに後ろめたいんだ。

手にしっとりと汗をかくのを感じながら封を開けた。


 

 親愛なるレイナード・クロフォード様


突然のことで驚かせてごめんなさい。

なかなかお会いすることができないので、こうやってお手紙を書いています。


あなたの婚約者のことでどうしても早くお伝えしたいことがあります。

思い過ごしかもしれないし、もしかしたら密告のようなことになるかもしれないので

私の名前も婚約者の名前も書きません。


あなたの婚約者は朝まで屋敷に戻らない日があるようです。

しかもその時に、ローリン地区で姿を見たという者がいるのです。

あの地区はどういう場所かご存じですよね?


しかも彼女は自分の持ち物である宝飾品を、ローリン地区で支払いの形にしているようです。

朝帰りをした日は、その当日か翌日にかならず集金業者が屋敷に現れるそうです。

現金を渡すと宝飾品を返却してもらえると、とある侍女から聞きました。

その中には、あなたから贈られたものもあるようです。

一体ローリン地区でそんな大金を何に使っているのでしょう。


あなたの婚約者は別館に住んでいるので、一部の使用人にしか動向が分かりません。

早朝や深夜の出入りもかなり自由なようです。

見間違いであることを願っておりますし、私は信用しておりませんが

噂があなたの耳に入る前に、先にお知らせしておいたほうがいいと思って筆を執りました。


ここでもう一つ、私のお話も聞いてくださいませ。

わたくしはスズランのブレスレットをいつも身に着けております。

そしてこれを大変気に入っております。

私宛ではありませんが、これを贈った人を心の底から愛しています。

この気持ちは絶対に負けません、ですが、その方には婚約者がいるのでかなわぬ恋なのです。

でも本当に愛しているのです、自分の口から伝えることができればどんなに幸せか……。


本来の話と関係ないことを失礼いたしました。

あなたの婚約者のこと、どうするかはあなた自身で判断なさってください。

この手紙は、読み終えたら燃やしていただければ幸いです。


 スズランより


何だこの手紙は……婚約者とは間違いなくリリアナの事、そして書いたのはミレイアだ。

ローリン地区に出入りしているのが事実なら、とんでもないことだ。

あの場所は普通の盛り場とは少し違う、立ち入るのはほとんど男性だ。

しかし最近では、異国の男性が女性向けに娼館を開いているという噂が出ている。

女性が立ち入るということは、そういうことを意味する場所だ。

宝飾品を預けてまで朝まで遊んでいるのか……。


信じられない、自分の気持ちがわからない。

本当ならとても辛くて悲しいはずなのに、その後の告白のほうが胸を打つ。

ミレイア、俺のことを愛してくれているのか?

胸が締め付けられるように苦しい、金色の髪、冷たい指先、やわらかい肌……。

ああミレイア、俺も君を……。


とりあえず、ローリン地区のことはクロードに頼んで早急に調べさせよう。

そうだ、調べがつけば、結婚式前に何とかなるかもしれない!



* * *



最悪な気分で目が覚めた。

同時に、全身が粟立つのが分かった。


ああ気持ち悪いなー俺、ほんっと最悪だ、もう好きになってるのが決定的だった。

この胸の苦しさ、これがミレイアに向けての想いかと思うと鳥肌が止まらない。

あの手紙も何なんだ、ローリン地区だと? 意味が分からなさ過ぎて頭が痛い。

とりあえず深呼吸だ、そして夢の内容を忘れないように書き留めなければ。


気持ちを切り替えようと体を起こすが、ベッドの上から動けない。

ミレイアを慕う自分の気持ちのダメージが大きすぎる、はぁ。

溜め息をつくと同時に、扉をノックする音が聞こえた。


「おはようございます、レイナード様」


いつものように爽やかな顔でクロードが部屋に入ってくる、そしてベッドの上でうなだれている俺をジーっと見つめる。


「聞いてくれクロード! 夢を見たんだけどショックが大きくて動けない」

「最近ずっとそれだろ、はい、早く忘れないうちに記録しろ」


クロードは手際よく戸棚を開け、手帳とペンを取り出し、ベッドトレイと一緒にベッドまで持ってきた。


「ありがとう」


両手を上げ、伸びをしてから一式を受け取る。

夢を見た日はいつも体が重いが、今日の倦怠感は異常だ。

無意識にため息が口から洩れる。

手帳を開きペンを走らせていると、クロードが足元のブランケットを捲った。


「やだーいやらしー」


ふざけて言う俺を無視して、また顔をジーっと見つめてくる。


「なんだよさっきから顔見すぎだろ」

「お前、ソファで寝てただろ」

「え……なんで? いや、寝てないし、見たらわかるだろベッドで寝たよ」


慌てる俺を鼻で笑い、ブランケットを大きく捲った。


「脚に靴下の跡つきすぎ、あと気づいてないだろうけど頬っぺたにソファの飾りの跡がくっきりついてる」

「え……」


頬をさする俺を見ながら、クロードはちょっとだけ肩をすくめて、ブランケットを整えた。


「昨日は大変だったから仕方ないが、あれだけベッドで寝ろと言ったのにそんなんじゃ疲れとれないぞ。出かけるのは午後からだから書き終わったらもうひと眠りしろ、とんでもなくひどい顔してるぞ、起きる時間に合わせて風呂の用意しておくからな」

「え、カッコよすぎる」

「わかってる」


そう言ってカーテンを少しだけ開け、「三時間後に起こしに来るからな」と涼しい顔をしたイケメンは部屋を出て行った。


クロードも疲れているはずなのに、執事とはいえいつも完璧すぎる。

元はと言えば、過去の自分がやらかしたこと。それをなぜかやり直している俺だけの問題だ。

よく考えればこんな荒唐無稽な話を、信じて付き合ってくれてるんだよな。

本当に良い奴だな、俺もっとしっかりしないと。


「はぁ」


……と、思っているのに溜め息が出てしまう、クロードの言うとおり一向に体の怠さが抜けない。

好意に甘えてもう少し眠ったほうがいいのか。

確かに、午後からの仕事に支障が出てはもっと迷惑をかけてしまう。

うん、そうだ、さすがに続けて夢を見ることはないだろう、よし。


「んーー」


手帳を閉じ、大きく伸びをして枕に顔をうずめた……。

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