第5話 別々の道
結局その日以降も、僕らは毎日顔を合わせることになった。
由太郎はいつも病院にいることを「つまんね~」などと愚痴っていて、僕を外に連れ出そうとやっきになっていたけれど、僕自身はそんなに頻繁に外に出られる身体ではない。
だからそんなときは由太郎が外出しては、土産話をしてくれた。そのたびに、自分も外に出たかったとちょっとだけ後悔して、少しでもよくなるようにと、以前よりも真面目にリハビリを受けるようになった。
雨の日は由太郎がいつか言ってた野鳥の写真を見せてくれたり、もちろん体調の良い日は由太郎の誘いにも乗ってやった。
由太郎はいつも無茶なことをしようとするから、そのたびに彼を抑えるのが大変だったけれど、海辺に遊びにいったり、駄菓子屋で身体に悪そうなお菓子を食べたり、僕が今までできなかったことをいっぱいやった。
そんな、人生で一番短いと感じられた二週間が経った頃。
由太郎の骨折が完治し、ついに退院の日を迎えた。
「お先に失礼するぜ、瑠璃也」
「うるさい奴がいなくなって、なんだか寂しいよ」
「それは本人がいないところで言うやつだぞ。貶されてんだかなんだかわかんないし」
お互いいつもの調子で、別れの挨拶をする。もちろん、涙を流したりなんかはしない。話しているのもいつも通り僕の病室だ。
「心配しなくったってよ、ちゃんと土産話は持ってくるから」
「うん、楽しみにしてるよ」
そう答えると、由太郎は笑顔を浮かべて僕に背を向けた。
「あっ、そうだ」
病室を出る寸前、由太郎はふと思い出したように言うと、一度こちらに振り返りながら、
「空飛んだら、動画送るな」
「……あぁ」
それだけ言い残すと、最後に挨拶がわりに右手を振りあげ、引き戸を閉めて去ってしまった。
一人取り残された僕は、いつもよりも一層強い孤独を感じてしまい、思わず布団を頭まで被った。
などと憂愁に耽っていたがその週末、早くも由太郎が面会に訪れた。
「暇なの?」
「面会に来てやったんだからさ、そんな言い方ないだろうに」
一応は別れを惜しんだというのに、情緒がないなとは思う。
「それより聞いてくれ、俺ついに空飛んだんだよ!」
そう言って見せられたスマホの画面には、ヘルメットを被りながらハンググライダーの横に立ち、ピースをする由太郎の姿があった。
「まだインストラクターと一緒じゃないと飛べないんだけどさ、実際に空を飛んだんだ! 気持ちよかったぜ~」
「ふーん、お土産は?」
「はぁ? お土産? ちゃんと土産話を持ってきてやってるだろう」
「たまには物品でもいただきたいところだね」
冗談まかせにいうと、由太郎は眉間に皺を寄せながら「がめつい奴め」などと言った。そうしてお互い顔を見合わせながらぷっ、と軽く噴きだす。
「いやでもさ、別に遠出したわけでもないんだよ。この前言った高台あるだろ? あの周辺がフライトエリアになってるから、近くにハンググライダーのスクールがあってさ。そこで教えてもらってるんだ」
「ここらへんでもたまに外で飛んでるの見かけるよね。有名って言うのも聞いたはことある」
「そうなんだよ、だから通うのも簡単でありがたい。さっさと免許取るぞー!」
「さて、由太郎が取るとなると何年かかることやら……」
「なんだと!」
憎まれ口をたたいてみてはそれに由太郎が怒って見せる、なんていう流れが僕らの中で日常と化していた。初めてあったときは本気で皮肉っていたものだけれど、今となってはそれもじゃれ合いみたいなものだった。
その日もいつもと変わらず、主に由太郎の話を聞いて過ごした。気づいた頃には夕方になっていたので、どちらから言うでもなく自然とお開きとなり、由太郎は病室から去っていった。また一人きりの寂しい時間が続く。
由太郎はその後も定期的に、とは言わないまでもたまにくらいの頻度で面会に来てくれた。この時期は僕自身の病状もあまり芳しくなく、入退院を繰り返したせいで気持ちが落ち込んでいたので、たまにでも面会人が来てくれること自体は非常にありがたかった。
人と会って話すのが楽しい、なんて。
今までの僕は考えもしなかったことだけど。
ただ、由太郎の退院から三、四か月も経つと、徐々に彼が来てくれる回数が減っていった。メールのやり取りもあるときを境にパッタリと止んでしまう。
由太郎がハンググライダーを使って一人で空を飛んでいる動画が送られてきたのが最後のメールになった。
最初は薄情なやつだな、なんてエゴなことを思った。ただ素直に、ハンググライダーが楽しすぎて僕に構う時間などなくなったのかもしれない、とも思った。
そりゃまぁ、僕みたいに多くの時間を病院で過ごさなきゃいけないわけでもないのだから、わざわざ僕との面会なんかに時間を使わなくとも、とも思う。由太郎の性格を考えればなおさらだ。
僕が勝手に、いつまでも由太郎が楽しい土産話を聞かせてくれるなんて思っていただけなのかもしれない。自分で外に出ていく勇気を持とうとせずに、ただ彼だけを頼りに甘えていただけなのだ。
そう思うと、すんなりと諦めがついた。彼は彼なりの幸せを見つけたんだ。いつまで経っても鳥かごから飛び立つことのできない、僕なんかとは違って。
ある程度そうやって自分の中で踏ん切りがついたと思ったある日、トントン、と病室をノックする音が聞こえた。
「由太郎……?」
消え入るような声量で問いかける。同時に、ガラガラと引き戸が開き、前田さんが入ってきた。
「失礼しますね〜。透析の時間ですよ」
いつものように、前田さんは笑顔を浮かべながらやってきた。このとき僕はどんな顔をしていただろうか。きっと、ものすごく間の抜けた顔をしていたに違いない。
この期に及んでなお、やっぱり期待してしまっていた。
けれど考えてみれば、由太郎ならノックなんかしないだろう。きっと乱雑にガンッ、と音を立てながら、扉を開いて、僕の名前を呼ぶに違いない。
透析に向かうため、僕が車いすに移動するのを手伝おうと、前田さんがベッドサイドテーブルを引く。その間、僕が返事もせずに俯いてばかりいると、下からのぞき込むようにしながら、
「どうしたの? そんな浮かない顔をして」
と、あまり表情には出さなかったが、いつも明るめな声色で話す前田さんにしては、やや落ち着いた感じで、まるで子供をあやすように僕の顔色をうかがってきた。
僕はなんだかその甘ったるい聞き方が妙に鼻についてしまい、意味もなく顔を背けてしまう。
「別に……なんでもないです」
「……そう?」
ただでさえ無愛想である自覚があるのに、加えてこんな態度を取るのは前田さんに失礼だ、と冷静であれば思っていただろう。それでも僕はこのとき、どうしてもいつもの調子を取り戻すことができなかった。
二人の間に沈黙が落ちる。終始無言のまま、車いすとベッドフレームがぶつかる金属音のみが響いた。僕が車いすに乗り移ろうとしている間、前田さんは口をへの字に曲げながら何か言いたげな表情で僕の背中を両手で支えていた。
車いすに深く座りなおし、動ける意思を伝えるように目の前に立つ前田さんの顔を見上げる。
すると、彼女は意を決したようにまっすぐこちらを見定めながら、口を開く。
「ねぇ、瑠璃也君。やっぱり……腎臓の移植手術、受けてみない?」
言いづらそうに、言葉を詰まらせながらも前田さんはそう提案してくる。こうやって、看護師として何かを提案しようとするとき、少しでも距離を縮めようと「瑠璃也君」なんて呼び方を変えるのが前田さんのやり口だった。
「……いやだ」
ぶっきらぼうに一言で返す。それきり、僕は視線を窓の外へと向けてしまった。外にはツバメたちが群れをなして飛んでいる。
「でもさ、移植がうまくいって、病気が治ったら瑠璃也君きっと毎日楽しくなると思うよ?」
珍しく、前田さんが食い下がってきた。この手のやり取りをしたとき、いつもならすぐに諦めるというのに。
「……」
とはいえまともに話す気にもなれず、前田さんの言葉に対して無視を一貫した。
僕にはもう、外に連れ出そうとしてくれる友達もいない。無理してこの生活から解放されたいと思えるような要因がなかった。
今まで以上に、自分の幸せを見つけることができなくなっていたんだ。
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