第3話 青い夏とラムネ味
ただ、面倒なことに彼は無作法な上に執拗でもあった。
あるときは自動販売機に向かう廊下の端から、
「今日空いてるか!」
あるときは直接病室に来ては、
「なぁ、今日こそ外に出ようぜ」
なんて、いくら断りを入れたところで僕を外に連れ出そうとするのだった。
あまりにもしつこいので、あるとき尋ねてみた。
「どうしてそんなに僕を連れ出そうとするんだよ。一人で出かければいいじゃん」
無礼なやつに使う敬語はないと、面倒なものは省いた。
許可なく病室に入ってきては、面談者用に用意された椅子に座ってくつろぐ彼は、僕の問いを聞くなりにやりと、不遜な態度のまま笑みを浮かべる。
「それはだな、俺がこの入院生活でお前と友達になるという目標を立てたからに他ならない」
「はい?」
「なんとなくそうすべきだと思ったのさ、俺は自分の勘に常に忠実なのさ」
なぜここまで独善的になれるのだろうか。
「ってことで、お前と仲良くなるために俺のとっておきの場所に案内しようってわけ」
「やっぱり訳が分からない」
「理由なんていいんだ、まずは乗ってみようぜこの風に!」
そういって腕を大きく広げながら、意味もなく芝居じみた言い方をする。突然そんな動きをするものだから、椅子にかけていた彼の松葉杖がカランと音を立てて倒れる。
どうにもまともに話の通じる相手ではなさそうだった。ともかく今は、毎日こうして付きまとわれる状況を解決するのが先だ。
僕は腕を組んで一考し、やがてこういう提案をした。
「……分かったよ、一度だけついていくから、そしたら二度と誘わないでくれ」
「うーん、保証はできないが善処はするよ」
何も解決しないらしい。
「まぁとにかく行ってくれるんだな! そしたら善は急げだ!」
そういって、落ちた松葉杖を拾っては勢いよく立ち上がる。勢いが良すぎたのか、「いてて」と苦悶の表情を浮かべてはギプスの巻かれた右足を軽く持ちあげた。
「ちょっと待って、ちゃんと約束は守ってくれなきゃ」
「わかった、わーかったよ。今日出かけて、お前が全然楽しくならなかったら潔く引くことにするよ」
やはりいくらも信用ならないことを言いながら、そそくさと病室の出口へと向かっていった。
このまま出ていくのを見送るだけして、ベッドの上に寝そべっていたらどうなるだろうとも思ったが、そのあとより一層しつこくなるのも面倒なので、仕方なく僕はベッドの脇に足を放り出しては車いすに乗り込んだ。
病室を出ると、彼は「こっちだ!」とまるで自分の秘密基地にでも案内するかのようにいきいきと先導し始めた。
途中、やたら周りを気にしながらエレベーターを探す。昼を過ぎたこの時間帯はちょうど看護師たちが各病室の食事を片付ける頃合いなため、各病室から離れた受付周辺にはひと気がない。
エレベーターで一回に下りてから、再び彼は周りを気にしつつ、心なしか早足で廊下を進んだ。
出口に向かう途中、受付の前で彼はいきなり立ち止まった。やたら受付の様子を覗きこむようにしている彼を訝しげに眺めていると、顔をこちらに振り向かせながら耳打ちするように声をひそめる。
「いいか、合図を出したら一気にいくぞ……それ」
言うやいなや、音も立てず器用に松葉杖で蹴り立て、出口に向かって一足飛びに走り去った。あまりに訳の分からない行動だったので、僕は平然とそのまま彼の後ろをゆっくりとついていく。
途中、受付の前で「お気をつけて」と看護師からかけられた声に、軽く会釈して返した。
自動ドアを越えた先の出口で、彼は不満げな表情を浮かべて立っていた。
「お前、なんで看護師たちに止められないんだよ」
「いや、むしろ外出するだけでなんで止められるんだよ」
「俺なんか外に出ようとするだけで担当医呼ばれるぞ。早く治したいんだったらじっとしてろ! ってさ」
「それは君が問題児すぎるだけだよ」
そう言うと彼は口をすぼめながら「ちぇっ、ケチ」などと不貞腐れていた。そういうところだぞ、と思いはしたが面倒なので声には出さないでおいた。
すると前方から、前田さんが正面入り口に向かって歩いてくるのが見えた。何やら手にコンビニ袋を持っているのが見えるあたり、遅めの昼休憩中なのだろう。
「やべっ!」
と言うなり、彼は即座にその場から離れ、入り口近くに設置されている花壇の裏に隠れる。正直あっちもすでに気づいていると思うので、今の行動に意味はない。
「あら、どこかにお出かけするの?」
すれ違いざま、前田さんが僕に問いかける。
「はい、軽く散歩に」
彼ほど動揺していない僕は抑揚なく返答する。
すると、前田さんはクシャッと笑みをこぼしながら花壇を一瞥し、
「お友達も一緒なのね。あんまり無茶はしないように」
とだけ言って去っていった。なんですかその笑みは。
………………………………
患者衣の裾を土に汚しながらいそいそと戻ってきた彼の話によると、僕はこれからとある場所に連れていかれることになっているらしい。
良い景色を見て鬱蒼とした気分を晴らす、というのが目的なのだと言う。勝手に鬱蒼とした気分を抱いていると思われているのもなんだか面白くないが、ついて来てしまった以上はとやかく言うのはやめておいた。
ちなみにとある場所、とはどこかについて問いただしてみたが、「それは行ってのお楽しみだ」などとお約束のセリフを述べられた。自身でハードルを上げているということに気づかないのだろうか。
「そういや、お前名前何て言うんだ」
大通りから脇にそれ、田んぼと住宅街に挟まれた狭い通路を進みながら、ふと軽い口調で問われる。
「……それさ、いくらなんでも聞くの遅くない?」
「お前が相手してくれなかったんだろ。それに、やっと友達になれたんだからちゃんと名前で呼び合わないとな」
個人的には友達と呼称するに値しないと思っているんだが。
「九条……瑠璃也」
「瑠璃也? 瑠璃ってコルリ、オオルリの?」
「何それ」
「鳥の種類。そういう青い鳥がいて綺麗なんだよ」
また嫌な例えをしてくれるもんだ。
「まぁいいや、じゃあ瑠璃也って呼ぶな。俺は空井由太郎。自由の由に太郎で由太郎だ」
「そりゃ随分とそのまんまな名前だね」
「そうだろ! 自慢の名前だ!」
個人的には皮肉交じりに言ったつもりだったんだが。本人にとってはどうやらそれが誇らしいようだ。それがまたなんとも気に食わない。
片方は松葉杖、片方は車いすと、お互い手負いなだけにちょっとした距離を動くのにも相当な時間を要した。そのうえ、途上のコンビニで「シャキッと爽快! 夏のラムネかき氷」の立て看板を見つけた由太郎が「よっしゃ休憩だ!」などと勝手に入っていってしまったので、より一層時間を食うことになってしまった。
コンビニから出てきた彼は器用にも松葉杖を抱えながら両手にかき氷の入ったカップを持って歩いてきた。
出入口付近のベンチに並べるように車いすを停めていた僕に、スッ、とその片方を差し出す。
「ほれ、食え!」
「食え!」て言い方はいくらなんでもどうかと思う。
「……いいの? おごり?」
「もちろんだとも! 外の世界を楽しんでくれればそれでいいのさ」
「ん!」と押しつけがましく突き出してきたので、素直にそれを受け取る。
由太郎は備え付けのベンチに腰掛け、シャクッとかき氷を口に入れると、「うめぇ~」と叫んだ。僕も同じようにスプーンで青く染め上げられた氷をすくいあげ、口に含む。久々に食べたラムネの甘味が妙に懐かしく感じられた。
遠くには、入道雲と強く照り付ける太陽が並んでいた。かき氷をすくうジャリと言った音も相まって、まさに夏を感じられる瞬間だ。
「あ、ハンググライダー飛んでる! いいなぁ、かっけー」
唐突に立ちあがりながら、山際を飛ぶハンググライダーの姿を目に捕らえた由太郎が呟く。遠くに見えるその姿は、鳥のようにゆったりと夏の空を滑空していた。
あれだけいつもは騒がしい由太郎が、このときはやたらと大人しくその光景を眺め ていた。おかげで僕はじっくりとかき氷の甘味を堪能できた。
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