第2話 不躾な男
「でさ、山の中腹あたりだったかな、アカゲラっていう野鳥を見つけたのよ。そんで近くで撮るために林の中に入ってったら結構な段差になっててさ! 気づかなかったんだよなー。そこでめちゃくちゃに足挫いて骨折ってわけよ」
などと。
談話室に用意された丸テーブルに座らされては、自分が足を骨折するに至るまでの経緯と興味もない野鳥の話を聞かされていた。
「ああいうとき、鳥みたいにすいーっ、て飛べたらいいのになぁ。いやでも! ちゃんと写真には収めたんだぜ? 今度見せてやるよ~。綺麗な赤色してんだこれが……あぁ、足治ったらまた山登りたいなぁ」
彼は虚空を眺めながら、退院後の未来を夢見ているようだった。
懲りないヤツというものはいるものだな、なんて思ったが、そんなことは言葉には出さない。なぜなら彼のように、不躾にも初対面の相手にズバズバと私見を述べたりする趣味は僕にはないからだ。
「で、お前はなんで入院してるわけ?」
ほら、不躾だ。
「……身体、弱いんだ」
「身体弱いたってお前、いろいろあるだろうよ。喘息ぎみとか、ガンだとか」
ずかずかと他人の領域に踏み込んでくるのは、さすがにいかがなものかと思う。
「腎臓の病気だよ。子供の頃からずっとで、入退院を繰り返してるんだよ」
あまり触れられたくない話題なだけに、少し俯きがちに答えると、視線の外から「ふーん」とあまり興味のなさそうな返答が聞こえた。ますます失礼なやつだなと思う。
少しの間沈黙が訪れた。今までひたすらにしゃべり続けてたやつが、いきなりどうしたと訝しみながらも視線を上げると、彼は退屈そうに両手を頭の後ろで組みながら口を尖らせ、
「お前、なんだかつまんなそうな顔してるな」
なんて、唐突に馬鹿にしてきた。
これにはさすがの僕も初対面であろうと構わず、わざとらしく大きなため息をつき、
「それって、どういうこと?」
と、不満をしっかりと表情に出して問いただす。
「だってよ、ずっと俯いてばっかなんだもん。顔色も悪いし」
「顔色悪いのはいつものことなの。ほっといてよ」
顔をそっぽに向けながら言い捨てた。
そろそろ相手に抱いている不快さが言葉について出そうなので、会話を終わらせて病室に戻ろうかと車いすのハンドリムに手を伸ばす。
すると一体何を思ったのか、向かいの彼は唐突にニカッ、と満面の笑みを浮かべると、小さな丸テーブルに身を乗り出しながらこう提案してきた。
「なぁ、病院から抜け出してみねぇか。俺良いところ知ってんだよ」
全くもって、何を言ってるのか分からなかった。
「君と僕とで? なんで?」
「いやだってさ、お前表情暗いんだもんさ。きっと何か楽しいことでもあればもっと笑えるのかもなって思って。もっと笑った方が人生楽しいし幸せだぞ!」
いきなり新興宗教の勧誘みたいなことを言い出すからより一層警戒心が高まった。
「……余計なお世話だよ。だいいち、なんで君は僕が不幸だなんて思うわけ」
「だってそうだろ、こんなところにずっと籠ってたんじゃ、幸せなわけないじゃんか」
彼は全く悪意なしにそんなことを言った。けれど、その言葉が今までの会話の中で最も僕の気分を害した。
「……帰るよ」
そう言って無理やり会話を遮断し、ぐるっと車いすを回してテーブルから離れた。そのまま病室に向かおうとすると、背後からは「おい、ちょっと待てよ!」などという声が聞こえたが、もちろん無視した。
一目見た時から合わなそうなタイプだと思ってはいたが、その推察は会話してみて確信に変わった。ふつふつと沸き上がる怒りを抑えるように、病室に戻ってから手に抱えた清涼飲料水を一気に煽って流しこむ。
初対面にして完全に喧嘩別れのような形になってしまうとは。
しかしきっともう、話すこともないだろう。
………………………………
なんて言って、残念ながらそんな理屈が通じる相手ではなかった。
次の日、僕がリハビリテーションルームでいつも通りやる気もなくリハビリに勤しまずにいると、後から入ってきた彼がトレーナーをよそに僕に近づいてきて、
「なぁなぁ、この後空いてないか?」
などと、テンション高めに誘ってきた。
昨日の今日でまさかこんなにも空気を読まずに話しかけられるとも思っていなかったので、僕は気の抜けた声で「……は?」などと反応する他なかった。トレーナーも僕と同じ顔をしていたと思う。
「身体動かすのがこれだけじゃ毎日つまんねぇだろ!」
トレーナーを前にしてその言い草はいささかどうかと思う。
「ちょっと、あとで。今はリハビリ中でしょ……」
別にそこまでやる気があったわけでもないのだが、普通に考えて悠々と話しながらできるほどリハビリというものは容易くないだろう。
僕がそう言って誤魔化しつつ無視を決め込むと、彼は「じゃ、またあとでな!」なんて全く僕の意図を解さずに、彼のトレーナーの元へと戻っていった。
もちろん、僕はリハビリが終わったあとそそくさと病室に戻った。
また話して気分を悪くしたくない、これは正当な自己防衛だ。確かに毎日は楽しくないけれど、それを他人に指摘されることほど癪に障ることもない。
しかし、どこまでも不躾な彼は僕の予想の遥か上をいった。
正午過ぎ、僕が病室で読書に耽っているといきなり引き戸が開かれ、
「おっ、良かったアタリ~。なぁ、なんでさっき帰り際に声かけてくれなかったんだよ~!」
と不満そうな声をあげながらも、その実全く機嫌は悪くなさそうな人懐こい笑みを浮かべ、彼はずかずかと病室の中に侵入してきた。
「なんでこの場所が分かったんです?」
「いや、普通にリハビリテーションルームから出てこの部屋に入っていくのが見えた」
親が気を遣ってリハビリテーションルームに近い病室を取ってくれたのが、まさかこんな形で仇となるとは思わなかった。
「いい加減外に出ようぜ~。俺もリハビリだけでつまんねぇんだよ」
「一人で勝手に出ればいいじゃないですか」
「せっかく同年代のやつがいるんだから誘うのは当然だろ! ってか同い年くらいだよな? なんでいきなり敬語?」
距離を取りたいと感じたからわざわざ敬語でしゃべることにしたんだが。
「まぁいいからさ、ちょっと外に出て新鮮な空気でも……」
などと彼が無理に僕をベッドから引き剥がそうとしていると、ガラッと病室の引き戸が開かれ、
「九条さん、透析の時間ですよ」
と言って担当看護師の前田さんが現れた。
「あら、お友達? 珍しいわね」
「というわけだから、この後四時間は空かないんです、すみません。行きましょう、前田さん」
一方的にそう言って彼を制しては、すぐさまベッドから車いすに乗り移る。彼は口をすぼめながら「ちぇ、なんだよ」なんて言っていたが、さすがに看護師の前では無理は言えなかったようで、同時に病室から出ては、僕とは逆の方向に歩き去っていった。
透析室に向かう途中、意味ありげに笑みを浮かべていた前田さんに「良かったの? お友達でしょ」なんて言われたが、「いえ」とだけ返した。「良かったの?」に対してと「お友達でしょ?」に対しての両方の返答だった。
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