入道雲の向こう側へ
藤咲准平
第1話 青い鳥
青い鳥、という絵本を読んだことがある。
世間一般的にいえば、それは幸せを探す物語だ。幼い兄妹が夢の中で様々な国を渡っては幸せを象徴とする青い鳥を捕まえようとするが、結局見つけられず夢から覚めると最初からすぐそばにいた、なんてそんな話。
僕はこの物語が嫌いだ。自分たちの幸せをつかむために行く先々で鳥を捕獲し、ストレスを与え、挙句殺してしまうなんて。なんともまぁ人間のエゴの詰まった話なのだろうと思う。追われるだけの青い鳥がかわいそうだとか、少しでも作者は考えなかったのだろうか。
かごに囚われ飛ぶ自由のない鳥のイラストを見るたびに、なんだか酷く虚しくなる。ふと、その鳥と自分自身を重ねてしまうのだ。
僕の人生はこの物語と似たようなものだ。生まれながらにして病に侵された僕は、こうして病院という名の鳥かごの中に閉じ込められている。捕らわれた鳥が自由に飛ぶことができずに幸せを感じられないのと同じように、今の自分ももちろん、幸せなんかではない。
今日もトレーナーに介助してもらいながらも、不自由な身体を少しでも動かせるようになんて無意味なリハビリを続けている。こんなことをしたところで、腎臓やら神経やらを病んだ僕じゃ自由を得ることなんてできないと言うのに。
両脇に伸びる二本の手すりを握って、身体のバランスを取りながら歩く。しかしわずか二、三歩ほどで下半身に言いようのない痛みを感じ、進むべき道も半ばにして、僕は早々に歩き切ることを諦めた。
担当のトレーナーに一言声をかけてから、壁際に配置された休憩用のベンチに腰を下ろす。
こんなことやってられるか。
何度リハビリしたところで、また入退院を繰り返すんだ。その間にすぐ身体も鈍ってく。こんな辛い思いをしたところで、なんの意味もないのに。
リハビリを再開するためのやる気も元気もなく、だらりと壁に背中を預け、ぼーっとした。しかし、そんな僕の心の静寂を破るように、リハビリテーションルームの入り口でやかましい喧騒が湧きたつ。
「由太郎君、いきなりそんな無茶をしないでください!」
「だーいじょうぶですってこのくらい! ちょっと転んだだけなんですから。それに早くこの足、治したいんです!」
そう言って、二本の手すりの間で四つんばいになっている同い年くらいの少年が、看護師の手助けを退け、自力で無理やり立ちあがろうとしていた。
「足の骨折なんていきなり治るものじゃないんですから。無理すると、余計に入院期間が伸びますよ!」
注意されてもなお自力で手すりに手をかけ、ツンツンにとんがった髪を揺らしながらゆっくりと身体を起こした。そしてまた一歩、一歩とゴールへ向かって歩きだす。
その表情は必死そのものだ。苦痛に耐え、歯を食いしばりながらも彼は歩みを止めようとはしない。
全くもってその行動が理解できなかった。一体彼は何がしたくてそんな頑張るのだろう。それにあのトレーナーが言うように、急いだって人間の回復力なんて変わりはしないというのに。
……ダメだ、あんな無茶を見てるとこっちの方が疲れる。気分も悪くなってきた。それに、同い年くらいの彼がああやって頑張っていると、部屋の隅で休んでいる自分がなんだか責められているような気分になる。
「ちょっと調子悪いので、部屋戻ります」
車いすに乗り移りながら、近くにいたトレーナーに一言伝える。彼ほど無理をする必要はないにせよ、リハビリというものはある程度痛みや苦しさに耐えて頑張らなければいけないものだ。しかしトレーナーの彼は、僕の性格をよく知っているだけに「……あぁ」と何か物言いたげな表情は浮かべながらも無理強いはせず、了承の意を示してくれた。
遠くから「痛ぇ!」などと無駄に大きな声で叫ぶ彼の声を背に、これ以上不快な気持ちを抱かないようさっさとリハビリテーションルームから出ることにしよう。
同じ階にある病室に一度戻ってから、妙に水分を欲している自分に気づく。六月も半ばに差し掛かる初夏の頃合い、喉が渇くのは徐々に上がってきた気温のせいか、はたまた珍しくも少し心を乱したせいか。
ベッドサイドテーブルと呼ぶには質素すぎる平台の上に、無造作にも放置された財布を手に取って再び病室から外に出る。そのまま自動販売機の設置されている談話室近くへと、清涼飲料水を求めて車いすをこいだ。
たどり着く頃には息切れのために肩が上下し、額には汗が滲んでいた。飲み物を買いに行く、なんてことですらこんなにも苦労する自分に改めて辟易する。
身体が早急な水分補給を求めていた。だからいかにも「喉を潤わせます」と言わんばかりの青色のラベルが巻かれたペットボトルが、ことさら魅力的に見える。
が、そのパッケージは自動販売機の最上段にしか配置されていなかった。車いすに乗りながらでは手が届きそうにない。
またしてもこの身体には苦労を強いられる。最も、今回については自分の病気だけでなく、あまり成長しない背丈をも怨むしかないのだが。
よいしょ、っと我がことながらも十代とは思えないような声をあげながら、自販機横の壁に手をついて立ちあがろうとする。が、うまく立ちあがれない。ただのまっさらな壁だけでは、この身体は思うように動いてはくれないのだ。
一度立ってしまえばある程度は動けるのに、と自分の不自由な身体を呪いながらも悪戦苦闘していると、
「おい、ボタン押してやろうか?」
そう言って、後ろから声をかけられる。
どうやら自分が立ちあがろうと苦労している間に人を待たせてしまったらしい。なんだか申し訳ない気分になる。けれども、こういうときはお言葉に甘えておいた方がこれ以上迷惑をかけずに済むだろう。
「す、すみません。お願いします」
言いながらその声の主の方へと振り向き、思わず目をぎょっと見開いてしまった。面倒くさいのに会ってしまった。
「別に大したことじゃねぇよ、ほら」
そう言って、最上段のボタンを押しては、取りだし口からペットボトルを拾い上げて手渡された。
僕はわざと彼の顔を見ないようにやや顔を俯かせながら、それを受け取る。
「あ、ありがとうございます」
そのままそそくさと立ち去ろうとしたのだが、
「なぁ、あんたさっきリハビリしてただろ。ちょっと話そうぜ~。退屈なんだよ」
などと言って背後から僕の肩をがっしりと掴んだ。
仕方なく振り向くと、先ほど見かけた喧しいツンツン髪の彼はイヤミのない笑みを浮かべていた。
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