桜木泉美の転落、もしくは名もなき少女の顛末

ヤクメカガリ

桜木泉美の転落、もしくは名もなき少女の顛末

 その日、桜木泉美さんが転落する現場を私が見てしまったのは偶然ではなかった。

 昼休みになるといつも独りで昼ごはんを食べに学校の屋上に繋がる階段へと向かう桜木さん。そんな彼女を私は毎日こっそり追いかけて見守っていたのだから。故にあの場面に出くわしてしまったのは必然だったのだ。桜木さんが階段を上る最中、足を踏み外し二十四段下の踊り場の床へと頭を打ち付けるその瞬間を、私が階下の陰から目撃してしまったのは。

 ドンッ、と鈍い音が響き。

 桜木さんの身体が跳ね。

 同時に彼女が持っていた弁当箱が床にガシャンと落ちて散らかる。

 そして静寂が訪れた。

 桜木さんは動かない。

 悲鳴も、呻き声もなかった。


「さ、桜木さん……?」

 

 階段下で身を潜めていた私は恐る恐る声をかける。返事はない。


「桜木さん!」 


 私は桜木さんの傍に駆けよる。微動だにしない桜木さんの瞳はカッと見開いていた。肩を幾ら揺すって動かしても何も反応はない。私は震える手で桜木さんの首元をまさぐり、触れる。

 脈が止まっていた。


「さくら……ぎっ………さん……そんな……」


 桜木さんが、死んだ。

 その事実を知り、私は力が抜けその場でペたりと尻もちをついた。気付けば涙が零れ堕ちて頬を濡らす。


「桜木さん……桜木さんっ!」


 私は嗚咽をあげながら桜木さんの名を何度も呼ぶ。

 名を呼ぶ度、フラッシュバックするかのように桜木さんの思い出が頭の中で瞬いた。



  〇



 桜木さんと初めて出会ったのは高校入学式の日。桜木さんは新入生代表に選ばれ、体育館の壇上に上がり答辞を読みあげていた。その姿に私は心を奪われたのだ。

 

 なんて美しいひとだろう。


 凛とした美声で答辞文を読み上げる桜木さんを見て、私の胸は早鐘のように激しく鳴った。耳元が火照り、睫毛が濡れる。全身に熱い血が巡り、興奮が止まらない。こんなことは生まれて初めてだった。私は熱に浮かされたように桜木さんを一心に見つめ続けた。


 こんなに美しい人がこの世界に居たなんて! 


 その日から私は桜木さんを夢中で追いかけた。桜木さんことをもっと知るために。

 彼女が好きなものを調べた。彼女が苦手なものを調べた。彼女の趣味、特技を調べた。彼女の癖や仕草を調べた。彼女が読んでいる本を調べた。彼女が普段聴いている音楽を調べた。彼女の交友関係を調べた。彼女の進路希望を調べた。彼女が何時何分に学校に登校するのかを調べた。彼女の住む家を調べた。彼女の休日の過ごし方を調べた。彼女が使っている化粧品を調べた。彼女が使っているシャンプーを調べた。彼女が着ている下着を調べた。彼女の●●●を調べた。彼女のことを調べた。彼女のことを調べた。彼女のことを調べた。彼女のことを調べた。彼女のことを調べた。彼女のことを調べた。彼女のことを調べた。彼女のことを調べた。彼女のことを調べた。彼女のことを調べた。彼女のことを調べた。彼女のことを調べた。彼女のことを調べた。彼女のことを調べた。彼女のことを調べた。彼女のことを調べた。彼女のことを調べた。彼女のことを調べた。彼女のことを調べた。彼女のことを調べた。彼女のことを調べた。彼女のことを調べた。彼女のことを調べた。彼女のことを調べた。

 桜木さんのことを考えると毎日が幸せだった。気づけば桜木さんに関することを書き記したノートが五十冊を超えた。それでもまだ足りないと思えた。彼女のことを知りたい。彼女を追い続けたい。もっと彼女の近くに居たい……いや、それは、それだけは私にはおこがましい願いだ。そんな大それた希望、少しでも抱いてしまえば罰が当たる。桜木さんは高貴で儚い存在なのだ。私なんかが傍に寄れば桜木さんが汚れてしまう。だから、ずっと後ろで見守るだけでいい。それだけでいいのだ。それだけがいい。私なんて。私なんて……。


 桜木さんの影を見てるだけでいい。


 そんな私だったからこそ、桜木さんの異変に一番初めに気付くことができたのだろう。ある日、桜木さんは独りで昼ご飯を食べるようになった。かつては幾人もの友人たちに囲まれ教室の中心で華々しく昼食を取っていた桜木さんが、学校の屋上に続く埃っぽい階段の隅で食事するようになったのだ。原因はすぐに解った。桜木さんが前回の定期考査でカンニングをしたと誰かが噂したからだ。とある教員と……関係になって、テストの答案を横流してもらったのではないか、と。愚かしいまでの間違いだった。桜木さんはそんな淫らなことをする人では決してないのに! だって、私は桜木さんの全てを知っている! 桜木さんがそんな愚劣な行いに現を抜かす訳がないことを! そんな暇なんてないほど真摯に勉学に取り組んでいることを! そう、これは日頃の桜木さんへの周囲の羨望と嫉妬が招いた醜き誤解なのだ。なんでわからない! なんでわからないの、みんな!? 桜木さんは……桜木泉美はこんなにも完璧なのに! なぜそれがわからないんだ、愚民が!

 私は悔しさで泣き叫んだ。何より桜木さんを取り巻く誤解を晴らせない己の無力さに泣いた。

 私は何のために生きているのだろう。こんなにも桜木さんのことを知っているのに。何も桜木さんの手助けをすることができないなんて。私はなんて弱い。私はなんて小さい。私は、私は……。


 それでも何かできることがあるとすれば。

 見守ることだけだ。桜木さんを。

 例え、世界の全ての人間が桜木さんを疑っても。

 私だけは信じよう。私だけは、桜木さんを見つめ続けよう。

 そう心に誓ったのだった。



  〇



「……隠さないと」


 だから、私が桜木さんの遺体を隠そうと考えたのもごく自然なことだった。

 このまま桜木さんが死んだことになれば、最期まで彼女は淫らな女だったと皆に勘違いされたままこの世を去ることになってしまう。桜木さんの死が永遠に汚されてしまう。そんなことには決してさせない。

 幸運にも桜木さんの遺体を隠せる場所がすぐに見つかった。屋上と階段を繋ぐ踊り場は使われなくなった古いロッカーや掃除道具が積み上げられ物置の様になっていたのだ。ここには一日中誰も人が訪れない。だからこそ今は亡き桜木さんはこの場所を隠れ蓑にしていたのだから。

 私はロッカーの扉を開け中身を片付けて空にすると、桜木さんの遺体を担ぎその中に入れた。


「こんな狭くて暗い場所に閉じ込めてしまってごめんなさい、桜木さん」


 私は泣きながら桜木さんに謝った。仕方のないこととはいえ、桜木さんの身体に不遜にも触れ、あまつさえ小汚いロッカーに押し入れたのだ。罪悪感で胸がはち切れそうになる。だけど馬鹿な私の頭ではこうすることでしか桜木さんの名誉を守る術が思いつかなかった。

 やがて昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。私は後ろ髪を引かれながらもその場を離れるしかなかった。


 待っててね、桜木さん。また放課後に来るから。



 〇



 間もなく学校では桜木さんが消えたことで大騒ぎが起こった。今まで無遅刻、無欠席だった学校一の優等生が突如無断で居なくなったのだから当然だ。教師陣は慌てふためき、生徒たちも落ち着きを失った。そんな狼狽する人々を見て私は誇らしい気持で一杯になった。だってこの騒乱は桜木さんがこの学校でいかに大きな存在であったかの表れなのだから。

 もっと慌てればいい。もっと騒げばいい。みんなもっと桜木さんの偉大さを再確認しろ。

 そんなことを思いながら、私は午後の授業を素知らぬ顔で過ごした。桜木さんの死を目撃してしまったことや遺体を隠蔽したこと、異常な体験を立て続けに経たのにも関わらず、今の私の心は自分でも驚くほどに落ち着いている。何故だろう? 桜木さんが死んだ間際はあれだけ動揺し、泣き腫らしたというのに。だがこれはこれで好都合だ。普段どおりの平常心でいれば、桜木さんの所在を知る者が私だと誰も勘付くことはないだろうから。

 私は放課後が待ち遠しくて仕方なかった。早く桜木さんに会いに行きたい。私は逸る心をなんとか抑えて、今日の授業が終わるのを今か今かと待ち続けた。



 〇



 教室を出ると、私は速足で屋上の踊り場へと向かった。


「桜木さんっ!」


 私はロッカーを開ける。桜木さんは昼と変わらずそこに在った。


「桜木さん、一人にさせてごめんなさい! これから休み時間や放課後には毎回来るようにしますからどうか許してください!」


 桜木さんは答えない。昼の時より桜木さんの表情は血の気を失い青白くなっていた。身体にも温もりが無くなっている。見開いた瞳は淀み、空虚を見つめていた。こうして見ると改めて彼女が亡くなっているのだと気づかされる。なのに……。


「綺麗……」


 私は思わず呟く。死んだ桜木さんの顔は目を奪われるほどに美しかった。冷ややかな瞳。長い睫毛。整った鼻先。青く染まった唇。それら全てに見ていて吸い込まれそうなほど魅力を感じる。なんて妖艶な表情なのだろう。生きていた頃の桜木さんも勿論美しかったが、死んだ今その美がより磨きがかったかのように思えた。


「桜木さん……美しいです……」 


 私はうっとりと桜木さんの姿に見惚れた。同時に、ある一つの堪えがたき衝動に駆られる。

 桜木さんの顔に触れたい、と。

 そんな畏れ多いこと、私なんかが許されるはずないのに。そう、普通なら。

 でも今なら? 

 今は亡き貴女になら?


「はあっ……はあっ……」


 胸が熱い。緊張で息があがる。

 私の震える指が桜木さんの頬にゆっくり近づく。

 やがて、冷たくも柔らかな肌の感触が指に伝わった。


「……ッ!」


 ああ、なんて私は幸せなのだろう。

 あんなにも遠かった桜木さんがこんなにすぐ傍に感じる。


「……桜木さん。私は……貴女のことが大好きです」


 恋い焦がれた愛の告白も、今の貴女になら言える。そう、きっとその先だって―――。

 そして、私は桜木さんの固く閉じた唇にそっとキスをしたのだった。



 〇



「桜木さんっ! おはようございます!」


 翌日、私は誰よりも早く登校して桜木さんに会いにきた。


「今日は一段と冷えますね! 桜木さんは寒くなかったですか? 私、マフラーを持ってきたんです。桜木さんの好きな青色のマフラーですよ! 今巻いてあげますね!」


 私は桜木さんの首元にマフラーを巻こうとした。しかし、桜木さんの身体は昨日より固くこわばっており、上手く巻くのに手間どってしまう。


「ふうっ、やっと着せれた。やっぱり青色が似合いますね桜木さん。あ、手袋も欲しいですか? わかりました! 明日は忘れずに持ってきますね! そういえば、昨日の夜にテレビで桜木さんが好きなミュージシャンが出てて……」


 そうやって私たちは秘密の会話を楽しんだ。暗い踊り場の影で、私と桜木さん二人だけの楽園がそこに在った。

 今の桜木さんは私だけを見つめてくれる。私だけと向かい合って話を聞いてくれる。

 そう思う度に溢れんばかりの幸福が私の頭の中を支配した。

 この時間がいつまでも続けばいいのに。

 だが無情にも、朝のHRホームルームを告げる鐘が鳴り響く。

 ああ! なんて鬱陶しい音なんだろう!


「ごめんなさい桜木さん! もう時間が来たみたい。また続きは次の休みの時間に……」


 私は名残惜しくも、涙を呑んでその場から離れる。

 次の逢瀬が待ち遠しくてたまらなかった。



 〇 



「桜木さんっ! 一緒に昼ご飯を食べましょう! 桜木さんの好きなサンドイッチを作ってきたんですよ!」



 〇



「桜木さんっ! さっき図書館で桜木さんが好きそうな本を借りてきたんです! 一緒に読みましょうか!」



 〇



「桜木さんっ、手袋持ってきましたよ! 私とお揃いのやつです! いま嵌めてあげますね! わあっ、すごく似合ってる!」 



 〇



「桜木さんっ……桜木さんっ………」



 〇



 私たちは蜜月を過ごした。

 幸せだった。死んでしまいそうなほどに。



 〇


 

 桜木さんが死んで五日目の朝。


「桜木さん、私はどうしたらいいのでしょうか……」


 昨日、桜木さんに関する事実無根の噂話をでっちあげ、周囲に流布していた愚かしき女子生徒が判明した。その女は自分が原因で桜木さんが失踪したのではないかと罪悪感に囚われ、とうとう自白したのだ。桜木さんが居なくなった件で、警察にも捜索願が出され大ごとになった今になってである。何を謝ったってもう遅いというに。その女が居なければあの日、桜木さんが屋上への階段を上ることもなかったのだ。どんなに恨んでも恨み切れない。だが同時に、あのくだらない噂話がなければ私が桜木さんとこうして触れ合い、楽しく会話をすることもなかったのだと思うと複雑な気持ちになる。

 何はともあれ、これで桜木さんを隠し続ける理由もなくなった。なくなってしまったのだ。


「桜木さん、私は貴女とお別れしたくないです……」


 私は桜木さんの頬を撫でる。近頃の桜木さんは身体中が赤褐色に変色し、皮膚がはりさけんばかりに浮腫んできている。臭いも香りはじめ、もうここで隠し続けることは難しくなってきた。


「桜木さん、私は……もう誰にも貴女を渡したくないんです。私たちはこんなにも、仲良しになったのに……今更離れ離れになるなんてあんまりじゃないですか……」


 桜木さんは答えない。


「私ね、桜木さんとまだまだ一緒にしたいことがたくさんあるんです。まず、お泊り会。桜木さんの好きな映画を見ながらパジャマのままでお菓子をいっぱい食べるんです」


 桜木さんは答えない。


「あと外にも遊びにいきたいですね。駅前に新しくできた服屋さんを見に行ったり、雑貨屋さんを巡るんです。私、桜木さんが好きそうなお店いっぱい知ってるんですよ? そして遊び疲れたらカフェに寄って、桜木さんの大好きなタルトを一緒に食べながらくつろぐんです。きっと楽しい時間になります。ねえ、桜木さんもそう思いませんか?」 


 桜木さんは答えない。


「桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん。桜木さん……」


 桜木さんは、答えない。


「桜木さん……私ね、決めたんです」





 私は貴女と一緒に墜ちていきたい。



 〇



 屋上の扉の鍵は、針金を使ってこじ開けた。

 金網のフェンスは、工作室にあったワイヤーカッターで切断し穴を開けた。

 私は桜木さんを担いでフェンスを潜り、屋上の縁に立った。


「学校の屋上ってこんなに見晴らしが良いんですね、桜木さん。こんなに気持ち好い所なら初めから屋上に桜木さんを隠せばよかったです。あ、でも外だと鳥が来て桜木さんを突いてしまうかもしれませんでした。死体を隠すのってやっぱり難しいですね、桜木さん」


 桜木さんは答えてくれない。当たり前だ。だって桜木さんは死んでいるのだから。


「桜木さん、私は幸せでした。だってこんなにも貴女とお話できた。貴女に触れ合えた。貴女の傍に居られた。だけど私は強欲で、もっともっと貴女が欲しいんです。だけどその願いも叶いそうにありません。もうすぐ貴女は見つかってしまうから。だからせめて最後まで、私は貴女と一緒に居たい。そう、最期まで……」


 私は桜木さんの手を取りダンスをするように舞った。







「桜木さん、私は貴女を愛しています。たとえ、貴女が私を知らなくても」








 

 こうして、私は桜木さんと一緒に屋上から転落したのだ。

 

 そう、最期は貴女と一緒に同じ死に方で――。

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