いつまで住むんだろう
「終の棲家」戸建ての購入にはそういう言い方もあるが、ぼくに関していえば果たしていつまで住むのだろうかとは思っている。
書いてきたとおり我が家にはひどく満足している。が、それを言うとこれまでの家だってたいていは満足していた。
東京で最後に住んでいた分譲賃貸はピザ屋が近くて毎週末ピザを食いながらワインを飲んでご機嫌だった。京都で左京区に久々に戻ってきて住んだ異形の廃墟ビル「メタボ岡崎」は地下にバーがあってあらゆる面が良かった。しかしそれらは2年の更新を待たずに引っ越している。別になにかが嫌になったわけではなかった。
そもそもぼくは引っ越し魔だ。ここ10年では6回引っ越している。なにか引っ越すような計画をもっているわけではないが、過去の実績から考えるとどうなることやらわからない。京都の寒さに嫌気が差して沖縄に行きたくなるかもしれない。突然自然にめざめて山に篭もりたくなるかもしれない。あらゆることはわからない。
わからないといえばそもそもいつまで生きるのかもわからない。個人的な思想信条でいえば150歳ぐらいまでは普通に生きるんじゃないかともおもっているが、明日死ぬかもしれない。明日死ぬとしたら、明日までしか住まないということになる。そうでなければ場合によると100年以上ここに居座るかもしれない。
なにもわからないなりに、なにも考えずに我が家の今を楽しんで暮らしていきたい。今はそう思っている。
我が家を愛でる ミネムラコーヒー @minemuracoffee
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