第341話

「ビートちゅわぁん、おひさぁ! 会いたかったわぁん!」


 何事もなく日常は過ぎて十月末、難民移送の当日がやってきた。

 オーツの領主館に入ると、久しぶりに会うバニィちゃんことバーナード=ドルトン伯爵にハグされた。

 見た目は相変わらずの盛り盛りオネェなんだけど、胸の硬さでやっぱり男なんだなぁと再認識する。

 ってか、大胸筋が厚い。結構鍛えてる? やっぱこのオネェは偽装フリなんだろうな。


「ご無沙汰しております、ドルトン伯爵。お変わりないようで、なによりです」

「んもぅ、堅いわねぇん。いつもみたいに『バニィちゃん』って呼んでいいのよぅ?」


 いや、硬いのはアンタの胸だよ。ゴムタイヤくらい硬いよ。

 多分腹筋も板チョコなんだろ? 無理に締め付けてるコルセットが可哀想に思えるよ。

 それに、いつもっていつだよ? もう半年以上会ってなかったじゃん。

 まぁ、手紙のやり取りはしてたけどさ。


 今は俺の領地のドルトンだけど、元々はドルトン伯爵家が代々治めていた土地だ。

 そんな土地を今は俺が好き勝手に開発しているわけで、もうその権利がないとしても、伯爵としては思うところがあるかもしれない。

 ということで、逐一状況の報告はしていた。そのための手紙だ。

 貴族にはそういう細かい気配りが必要らしい。そうクリステラに指摘された。貴族って面倒臭い。

 とはいえ、そのお陰でバニィちゃんとは良好な関係を維持できているわけだから、面倒でもやっておいて良かったなとは思う。


 その手紙のやり取りで、領主館とそれに隣接する冒険者ギルドの建物はできる限り原型を残しておいてほしいという要望を、バニィちゃんからは出されている。代々受け継がれてきたものだから、思い入れがあるのだそうだ。

 俺としても取り壊す理由はないし、街の歴史を象徴する建物なので、保存に否はない。

 というか、冒険者ギルドの建物はまだ現役で使ってるしな。移転の予定もないし、これからも修繕しながら使っていくことになるだろう。

 領主館のほうは、当面迎賓館かな? この間、王様御一行もあそこに泊めたし。


 それ以外は特にこだわりがないらしいので、遠慮なくガンガン開発させてもらっている。

 と言っても規模が規模だから、計画は十年単位だ。現代みたいに重機があるわけじゃないから、もっとかかるかも。逆に、魔法を使えば工期が短縮される可能性もある。そのあたりはちょっと読みきれていない。

 ともあれ、その間は民間にバラ蒔ける仕事があるってことだから、景気高揚と考えると悪くないんじゃないかな?


「それで、難民の人たちはどうですか? 素直に言うことを聞いてくれてます?」

「それなのよねぇ。『故郷の近くがいい、離れたくない』ってゴネる連中が結構いたのよねぇ。まぁ、強制的に納得させたけどぉ」


 強制的に、か。普通に考えたら兵で押さえつけたってことだよな。その際、怪我人や死者が出ていてもおかしくない。ってか、多分出てるよなぁ。

 現代なら自称ジャーナリスト共が騒ぎ立てる案件だけど、この世界にはそんなものはいない。居ても権力で圧殺される。封建社会だからな。


 故郷から離れたくないという気持ちは分かる。いつか帰れると思ってるんだろう? 現状は一時避難だと思ってるんだよね?

 でも甘い。イギリス土産のキャラメルファッジより甘い。


 今難民が居るオーツ郊外はリュート海沿岸だ。船を使えばノランまですぐだ。

 それはつまり国境に近いということで、戦場に近いということだ。近々ノランは王国に攻めてくるらしいからな。

 そこに留まるということは、戦争に巻き込まれて命を落とすかもしれないということに他ならない。


 きっと、ノランから逃げてきて、もう安心だと思ってしまったんだろう。ここでしばらく待っていれば情勢が落ち着いて、そのうち故郷へ帰れると思ってしまったんだろう。そういうバイアスが働く心理は理解できなくもない。

 でも甘い。アメリカ土産のミルクヌガーチョコより甘い。あれはヤバい。


 オーツのみならず、リュート海沿岸の都市はどこも戦場になる可能性が高い。その近くにいれば、戦争に巻き込まれること必至だ。

 まずは生き延びること、それが最優先だ。これはそのための移送だ。倫理的で論理的な施策なのだ。


 でも、世の中には理屈じゃなくて感情を優先する層が一定数いるのも確かだ。前世のマスゴミとかな。

 しかし考えてみてほしい。感情を優先することが許される社会というのは『欲しいから奪う』『嫌いだから殴る』がまかり通ってしまう社会だということを。

 そんな世の中では秩序が守られず、力を持つ者による弱者からの搾取が許されてしまう。混沌の世紀末だ。


 だから、まずは法と秩序が守られなければならない。感情より道理優先。それが法治社会というものだ。

 そして、封建社会における法と秩序とは領主そのもの。領主の命令には従わなければならない。これは絶対だ。その領地にいる間は、身分の低い者は領主の命令に従わなくてはならない。


 ……もしかして、反発したのは潜入していた工作員か?

 戦場に近い場所に留まって、いざというときに暴動や破壊工作をするつもりだった?

 あるいは、反発を利用して暴動を起こし、リュート海沿岸でも大都市であるオーツを荒らすつもりだった?

 どっちも有り得るな。面倒くさい話だ。

 それを大きな問題にならない程度に治めたんだから、さすがはバニィちゃんだ。伊達に荒くれ者の集まる冒険者の街ドルトンを治めてはいなかったということだな。


「それじゃ、難民のひとたちが従順なうちに移送してしまいましょうか。難民キャンプまでの案内をお願いします」

「わかったわぁん。うふふ、今日はどんなビートちゃんの魔法が見られるのかしらぁん? 楽しみねぇん♡」


 バチィッ! と至近距離から飛んでくるウィンクをさっと避ける。多分、避けれたと思う。



 ふむ、小さな川の河口近くなのか。ちょっと水が濁っているのは生活排水のせいかな? あんまりこの近くで泳ぎたくはないなぁ。

 河川敷に、木の棒に布を渡しただけの簡素なテントがいくつも建っている。壁は無くて、風からもプライバシーも守れてなさそうだ。

 これから寒さが厳しくなるから、今が耐えられる限界の時期だったかもな。これ以上寒くなると凍死者が出てたかも。


 これが難民キャンプか。

 前世のニュースやウェブで何度か見たけど、実物は映像以上のリアリティがあるな。いや、実際に現実リアルなんだけど。

 なんと言っても臭いが凄い。これは映像じゃ伝わってこない。

 えた人の体臭と汚物と煮炊きの臭い。それらが混ざった混沌としか表現できない臭いは、嫌でもこれが現実だということを強制的に認識させてくる。

 これは駄目な臭いだ。人の尊厳をジワジワ奪っていく臭いだ。早くここから連れ出してあげないと。


「じゃ、早速今回の移動手段を出すね」

「ええ、いつでもどうぞぉん!」


 バニィちゃんが期待に弾んだ声で応える。

 うーん、わりと頑張って作ったつもりだけど、ご期待に応えられるかな?


 水深は……沿岸は駄目だな。ちょっと沖なら……うん、大丈夫そうだ。


「それじゃ……いでよ、『タイタニック四世号』!」


 別に掛け声は要らなかったんだけど、なんとなくノリで言ってみた。

 俺の掛け声とともに、四本煙突の古風な旅客船が五百メートルほど沖あいに出現する。


「おおーっ、凄い、大きいわねぇん!」


 バニィちゃんが感嘆の声を上げる。どうやら期待には応えられたみたいだ。


 見た目は、映画で有名になったあの船に似たフォルムと配色だ。細部は、よく分からなかったから適当。煙突も見た目だけだ。

 ただし、サイズは遥かに大きい。だいたい五倍くらいかな?


 船名も、あえて不吉なあの沈没した船からもらってみた。四世というのも、不吉だと言われる数字を使ったものだ。この世界にキリスト教があれば十三世にしたんだけどな。

 何故そんな名付けをしたのかというと、俺のジンクスからだ。これまでの冒険者人生での教訓からだな。


 俺という冒険者は、これまで数々の冒険やアクシデントに遭遇してきた。普通では有り得ない、非常に濃密な人生だったと言えるだろう。……まだ生まれてから十年ちょっとなのになぁ。

 しかし実のところ、異世界転生での定番と言われるイベントには全く遭遇していないのだ。たとえば『貴人の馬車襲撃に居合わせる』とか『魔王復活』、『ドラゴン襲来』なんかだな。

 そう、『オ・ヤ・ク・ソ・ク』というものには、全くもって縁遠い人生だったのだ!

 強いて挙げるならハーレムくらい? 『追放された悪役令嬢』や『亡国の王女』を保護したのは定番とは言えないしなぁ。


 ともかく、フラグを建てたと思っても、それが回収されることはほぼなかった。

 ならば、それを逆手に取ってやろうと思ったのだ。不吉フラグを建てまくってやろうと思ったわけだ。それが逆に安全へと繋がることを狙って。


 そんな理由で、かつて氷山に衝突して沈没した悲劇の船を、全長約千メートル、全幅約百四十メートル、全高約二百メートル、定員約一万人の不沈艦として異世界に蘇らせたのだ!


 征け、タイタニック四世号! 先代の汚名を返上するために! 異世界の海を切り開き、七つの海を渡るのだ!


 まぁ、使うのは今回だけだろうから、七つの海は渡らないと思うけどな。

 というフラグも一応建てておく。何度も難民移送なんてしたくないからな。

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