第331話

「ビートに稽古をつけてもらってたの? もう卒業なのに熱心ね、偉いわ!」


 稽古……稽古と言えば稽古なのかなぁ? 実戦に勝る稽古はないって言うし、そういう意味では間違いじゃない。かも?


「でもビート、ちょっとやり過ぎじゃない? みんな動けなくなってるじゃない!」

「ああ、ごめん。ちょっと熱が入り過ぎたかも」


 いや、俺が悪いわけじゃないよ? サっちゃんたちが限界まで粘るからこうなっただけで。

 でもそれは言わない。姉キャラへの反論は、より大きな理不尽となって返ってくるのが分かっているから。伊達に十年も弟キャラをやっていない。保身術は極めている。


「もう、しょうがないわね! みんな、ちょっと待ってなさい!」


 ジャスミン姉ちゃんが倒れているヨっちゃんのところへ向かい、しゃがんで両手をかざす。

 その手から放たれた緑の魔力――気配察知のある俺以外には多分見えていない――が、ヨっちゃんの全身を包み込む。


「ああっ! アタシ今、お姉様に包まれてるっ……!」


 魔力は見えなくても、感じることはできる。それが魔法使いの第一歩だからな。

 恍惚とした表情のヨっちゃんが海老反りでビクビクしている。

 なんか、この娘もちょっと危ない感じだな。サっちゃんほど激しくはないけど、粘度は高い感じがする。口元のよだれを拭きなさい。

 いや、赤薔薇親衛隊は皆同じか。サっちゃんを含めて、全員がヨっちゃんを羨ましそうに見ている。そんなに?


「ふう、こんなもんでしょ。ヨっちゃん、立てる?」

「は、はいお姉様! もうビンビンです!」


 シュバッという音が出そうな速さで立ち上がったヨっちゃんが、ビシッと敬礼しながら答える。

 何がだ。やっぱ、この娘も変だ。危ない香りがする。

 まぁ、体調に問題はなさそうだな。ジャスミン姉ちゃんの治癒魔法で回復したんだろう。魔力も若干回復しているし、普通に動く分には問題なさそうだ。


 それから、ひとりずつ赤薔薇親衛隊の面々を回復させていくジャスミン姉ちゃん。

 回復したサっちゃんが『それじゃ、二回戦よ!』と言っていたけど無視した。本日の営業は終了しました。っていうか、今日は休日だ。遊ばせろ。


 というわけで、俺はウーちゃんとタロと遊ぶ。ディスクを投げては受け取り、また投げる。ウーちゃんとタロはソレを追いかけて咥え、駆け戻って俺に渡す。

 単純な反復作業だけど、それがなぜだかとても楽しい。きっと、ワンコたちの楽しさがディスクを通じて俺へと分け与えられているんだろう。うんうん、楽しいね! ほら、もう一丁!

 相変わらずウーちゃんはキャッチが上手い。庭の端ギリギリまで追い駆けて、華麗にジャンプキャッチしている。

 一方のタロは相変わらずキャッチが苦手なんだけど、それなりに工夫して楽しんでいる。ディスクを追い越して先回りし、向かってきたディスクを正面からキャッチしている。自分なりに対処方法を考えたんだろう。賢いなぁ。

 ただのディスク遊びなのに、それぞれの個性と成長が垣間見えて面白い。そして可愛い。


 全員を回復させたジャスミン姉ちゃんが、右腕の袖で額の汗を拭う。貴族令嬢がしていい所作じゃないけど、なぜか似合っているから困る。つくづく貴族に向いてない娘だな。


「ふう、これで終わりね! ビート、疲れたわ! ちょっと魔力を寄こしなさい!」


 そう言ってジャスミン姉ちゃんが俺の背後に回り、後ろから抱きついてくる。今日は普段着の麻シャツだから、胸の感触が後頭部に柔らかい。

 サっちゃんたちが『イヤーッ!』とか悲鳴を上げるけど、俺もジャスミン姉ちゃんも気にしない。この程度のスキンシップはいつものことだ。


「はいはい」


 ワンコたちとの遊びもここで終了だ。ディスクを受け取り、二匹の頭を撫でる。

 まだちょっと遊び足りなさそうだけど、二匹とも大人しく館へと戻っていく。全力で走ったから喉が乾いたんだろう。水を飲みに行ったんだと思う。


 魔力を広げてジャスミン姉ちゃんを包み込む。そしてジャスミン姉ちゃんごと、身体強化をするように魔力を循環させる。

 ん? あれ? 何か……。


「んんっ! はぁ、やっぱアンタの魔力は濃さが違うわね。身体のだるさが取れていく感じがするわ!」

「それは良かった。最近だるそうだったもんね」

「そうね! まぁ、それはしょうがないんだけどね!」


 ふむ? それはどういう……


「お、お姉様! その男からお離れください!」

「え? なんで?」


 サっちゃんの悲鳴にも似た叫びを、ジャスミン姉ちゃんが素で返す。


「そ、そんなどこの馬の骨とも知れない成り上がり者はお姉様に相応しくありません! お姉様には、もっとふさわしい御方がおられるはずです!」

「成り上がり……は、間違いじゃないわね! でも、どこの馬の骨かは分かってるわよ? 幼馴染だし」

「えっ?」


 いや、馬の骨なのは否定しないのかよ。


「同じ村で育ったんだもの。生まれたときから知ってるわよ? おしめは換えたことないけど、ご飯を食べさせてあげたことはあるわ!」

「えっ?」


 うん、確かに。まだ乳歯も生えていない赤ん坊の俺の口に、皮も剥いていない茹でた芋を突っ込んでくれたな。危うく窒息するところだった。茹でたてじゃなかったのが救いだ。

 その後、母ちゃんが『その子はまだ赤子だで、オッパイしか飲めねぇんだ』って言ったら、『じゃ、アタシのオッパイ飲ませてあげる!』って、俺に自分の無乳を咥えさせたりとかな。もちろん何も出なかった。

 事案ではない。俺も赤ちゃんだったし。


 というか、これだけジャスミン姉ちゃんのことが好きなのに、その結婚相手の俺のことは調べなかったのか?

 いや、調べきれなかったのかもな。ずっと寮暮らしの学生だったんだし、大貴族の令嬢でもないし。

 学園に入ったときの俺の肩書は、ドルトン辺境伯にして王室魔道士というものだった。少し事情通なら、王女の婚約者だとか武術大会準優勝者だとか現役冒険者だとか、そのあたりの情報を持っていたかもしれない。


 けど、俺の生まれが開拓村の農奴だというのは、あまり世間には知られていない。

 これには裏があって、どうやら王家が情報を操作しているらしい。

 というのも、王女の輿入れ先が元農奴では問題があるからだ。そういう、血統だとか家格だとかにこだわる連中は貴族だけじゃなくて平民にもいるらしいから、その対策だろう。

 だから俺の出自は意外と知られていない。知っていても辺境出身ってことくらいだ。


 俺は確認してないんだけど、どうやら王国史も改ざんされたらしい。

 俺が叙爵されたときに立ち上げたこのフェイス家なんだけど、王国史では、王国の勃興期に存在したけど没落して一時改易され、それを後裔の俺が復興させたってことになっているそうだ。

 そこまでやる? と思わないでもないけど、王家の輿入れというのはそこまでのことなんだろう。知らんけど。

 その辺の処理は、関係者をできるだけ増やさないようにってことで、レオンさんが一手に行ったそうだ。俺のせいじゃないけど、仕事を増やしてばかりで申し訳ない。今度焼酎と芋ようかんを差し入れしておこう。請求書は王様に回す。


「そ、それじゃ、政略結婚だとか家のしがらみで仕方なくだとかは……」

「無いわね! むしろ相手がビートで良かったと思ってるわ!」


 だろうね。他所の貴族家には嫁に出せないって村長が嘆いてたし。他の家だったら、結婚初日に相手を殴り倒して離縁されてる可能性もあったもんね。

 いや、顔合わせの段階で破談になってるか。行かず後家まっしぐらだ。


「そ、そんな……それじゃ、アタシたちはいったい何を……」


 サっちゃんたちが呆然としている。

 そうか、俺が無理やりジャスミン姉ちゃんを嫁にしたと思ってたんだな? だから解放って言ってたのか。

 そういや、いつぞやの伯爵様もジャスミン姉ちゃんにご執心だったな。貴族の坊っちゃん嬢ちゃんには、ジャスミン姉ちゃんはとても魅力的に見えるらしい。目、腐ってる。


「本当、ビートと結婚して良かったわ! ご飯は美味しいし、色々なところへ行けるし! 毎日刺激的だしね!」

「そ、そうなんですね……それはおめでとうございます……」


 お祝いを口にしながらもサっちゃんたちは項垂れている。そりゃそうだ、本人の口から自分たちの行いを全否定されてしまったんだからな。

 けど、これで彼女たちの目も覚めただろう。某伯爵と同じように、悪い夢から覚めて未来へ歩いていってほしい。


「赤ちゃんもできたしね!」

「「「そうですか、おめでとうござ……えっ!?」」」


 ……えっ?

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