第317話

 寝ている患者のお腹のあたりに手を置いて、ジャスミン姉ちゃんが魔法を発動させる。

 ほほう、ちゃんとコントロールできてるな。それほど強くない魔力が、女性の腹部にじんわり浸透している。これなら患者の身体への負担は最小限で済みそうだ。

 気配察知ができない人には、何をしているか分からないだろう。見た目は、ジャスミン姉ちゃんが患者のお腹に手を当てているだけだからな。

 けど、ジャスミン姉ちゃんが頑張っているのは分かるはずだ。あの額に浮いている玉のような汗を見れば。


「あらあら、大変。無理しないでね、ミン様」

「ありがとうルカ。でも大丈夫、全然イケるわ!」


 その汗をルカがタオルで優しく拭い取る。手術中の医師と看護師みたいだ。

 俺は何もしていない。

 ということはなくて、患者とジャスミン姉ちゃんの魔力を見ながら、治療の進行管理をしている。ジャスミン姉ちゃんの魔力が少なくなれば魔力を譲渡して、患者の回復に応じて魔法の強さを指示する役目だ。

 現代医療でいうと麻酔科医みたいな役割になるのかな? 投与するのは麻酔じゃなくて魔力だし、投与先は患者じゃなくて医師側だけど。

 おっと、ジャスミン姉ちゃんの魔力が減ってきた。はい譲渡。ジャスミン姉ちゃんは幼馴染だから、魔力の親和性が高くて助かる。ロスが少ない。


「んくっ! ありがとビート、これでまだまだ戦えるわ!」

「どういたしまして。ちょっと患者さんが回復してきたみたいだね、もう少し魔法を強くしても大丈夫そうだよ」

「わかったわ! まったく、チマチマしたのは趣味じゃないんだけどね!」

「キャシーさん、少し飲ませるスープの量を増やして。あと、お姉さんの顔にも汗が出始めてるから拭いてあげて」

「は、はい!」


 汗が出てきているのは、内臓が正常に動き始めて代謝が活発になってきているからだろう。心なしか、顔色も良くなってきているような気もする。

 さぁ、もうひと踏ん張りだ。



「……うん、いい感じだね。もう大丈夫だと思う。あとは意識が回復するのを待つだけかな。まだ寝ているうちに一般病棟へ移そうか。皆、お疲れ様!」


 お姉さんの治療が終わった。長かった。二時間くらいかかったかな? スープも大寸胴に二割ほどしか残ってない。

 ジャスミン姉ちゃんの疲労も濃いし、続けて二人目の治療をするのはやめたほうがいいだろう。今日はここまでだ。

 このペースだと、全員治療するには十日近くかかりそうかな。学校が始まってしまう。まぁ、急いで治療しなきゃいけないくらい重篤な人はもういないから、残りは学校の合間に治療すればいいか。


「ふう、結構疲れたわね! けど、悪くない気分だわ!」

「あらあら、お疲れ様でした。それじゃ今日は、慰労の気持ちを込めて元気の出る晩ごはんを作りますね。うふふ」


 ベッドの上のお姉さんは、治療前とは別人のようだ。骨と皮だけだった顔には、人相が判別できるくらいに肉が戻っている。なるほど、キャシーさんに似ている。二十代前半くらいかな?

 髪もショートカット程度に伸びている。ただ、何かの後遺症なんだろう、色素が抜けて真っ白になってしまっている。ミネラルが足りなかったのかも? 手術食に海藻も入れるべき? 今後の課題かな。

 まぁ、世間に真っ白い髪の人がいないわけじゃないし、そのうち元に戻る可能性だってなくはない。大きな問題とは言えないだろう。

 枯れ枝のようだった手足には肉が付き、カサカサだった肌には潤いが戻っている。肌の色も悪くない。呼吸も安定しているし、肉体的な問題はなさそうだ。多少のリハビリで復帰できるだろう。

 あくまでも肉体的には、だけど。


 というわけで、最後の仕上げだ。

 ひとつの命令を乗せつつ魔力を練り上げ、患者のお姉さんに向けて飛ばす。

 俺の魔力を浴びたお姉さんの眉毛が、わずかにピクリと動く。これでよし。


「ん? ビート、あんた今何かした?」

「うん、まぁね。ちょっとしたおまじないだよ」

「ふーん? まぁいいわ!」


 ジャスミン姉ちゃんは気づいたか。ときどき妙に鋭いときがあるんだよな。

 とはいえ、これは必要な措置だ。決しておまじない程度の気休めじゃない。しておかないと、きっと後悔する。そのくらい重要な措置だ。


「あ、ありがとうございました! ありがとうございました! このご恩は一生を掛けてお返しいたします! 本当にありがとうございました!」


 涙を流しながら何度も頭を下げるキャシーさん。

 その肩をジャスミン姉ちゃんがポンと叩く。


「大したことじゃないわ! これからも姉妹で仲良く暮らしなさい!」

「〜〜っ、はい!」


 キャシーさんの目に尊敬と崇拝の色が見える。どうやらジャスミン姉ちゃんは熱心な信奉者を手に入れたようだ。

 ああ、こうやって学園でもシンパを増やしたんだな? 本人にその気はなかったんだろうけど。

 お陰で、前期の俺はサッちゃんやヨっちゃんに追い回される日々だった。これだから天然のタラシは困る。


「それじゃ、今日はここまでにして引き上げようか。続きはまた今度で」

「アタシならまだイケるわよ! ドンドン治しましょう!」

「いや、もう今日はおしまいにしよう。スープも残り少ないし、続きはまた明日にね?」

「〜〜っ、しょうがないわね! 今日はこのくらいで勘弁しておいてあげるわ! 覚えておきなさい!」


 なぜ捨て台詞を残す? 誰と戦ってるの?

 ともあれ、これで彼女たちの社会復帰への道筋が見えた。未来は明るい。はず。



「う……んん……ここは……?」

「っ! お姉ちゃん、気がついた!?」

「……キャシー? キャシー、なんで泣いているの? ここはどこ?」


 お姉ちゃんが目を覚ました! もうダメかと思ってたのに、ジャスミン様ありがとう!


「お姉ちゃん、ここはウエストセントラル王国の辺境伯領よ。アタシたちはご領主様のところから救出されて、ここに保護されているの」

「王国の? ……そうだわ、お父さんとお母さんはゴブリンに……アタシたちはご領主様の兵隊に捕まって……あら? それからどうなったのかしら? どうしてアタシたちはここにいるの?」


 何かお姉ちゃんの様子がおかしいわ。起きたばっかりで寝ぼけているのかしら? いえ、そういうのとはちょっと違うみたい?


「お姉ちゃん? もしかして、何も覚えてないの?」

「えっと……ご領主様の屋敷の牢屋に入れられたところまでは覚えてるんだけど……ダメ、そこからは何も思い出せないわ。ねぇ、何があったの?」


 これは、記憶を失っている? 治療の後遺症?


 いえ、きっとこれは神様のお慈悲よ!

 あんな酷い目に遭った記憶なんて無いほうがいい。思い出せば、アタシなら、きっと死にたくなってしまう。それなら忘れたままでいい!


「えっとね、お姉ちゃんは病気になって死にかけてたの。それをここの辺境伯様が身請けして治療してくださったのよ」

「まあっ、そうだったのね! ……キャシーは大丈夫? アタシの病気、感染らなかった?」

「うん、アタシは大丈夫よ。感染る前に辺境伯様が助けてくださったから」

「そう、良かった。……アタシたち、その辺境伯様には大きなご恩ができてしまったわね」

「うん。でも大丈夫、辺境伯様はとても優しいお方だから。早く元気になって、ふたりでお返ししていきましょう?」

「ええ、そうね。うん、そうしましょう。だったら少しでも早く元気にならなくちゃね!」



 どうやら『おまじない』は効果を発揮したみたいだな。

 他人の記憶をいじるのはどうかと思ったけど、苦労して治した患者が再び狂ったり自殺されたりするのは勘弁願いたい。ゴブリンの苗床だったっていうのは、それくらい辛い記憶だろうからな。上手くいって良かった。

 なにより、ジャスミン姉ちゃんが落ち込むところは見たくない。無力感を感じる機会なんて少ない方がいい。

 そんなもの、長く生きていれば嫌でも訪れる。避けられるなら避けたほうがいい。

 皆が幸せ。それが一番だ。

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