第316話
「そういうことなら任せなさい! アタシの魔法でチョチョイのチョイよ!」
ジャスミン姉ちゃんの治癒魔法は、細胞を活性化して正常な状態に近付ける魔法だ。ゲームやファンタジーみたいに、傷跡ひとつ残らず回復させられるという魔法ではない。傷跡は残るし、多分欠損や致命傷は回復できない。試してないから絶対とは言えないけど。
それでも、チート級の魔法であることに間違いはない。本来なら長い治療期間が必要な怪我や病気を、僅かな時間で治せるんだから。
「先に身体のほうをある程度治してから、頭の治療をお願い。そうしないと、意識が戻った途端に苦しい思いをすることになっちゃうから」
「そうね! 身体が健康じゃないと御飯も美味しくないしね!」
「あー、うん、まぁ、それでいいか。ジャスミン姉ちゃんはいつも御飯が美味しそうだね」
「そうね! 毎日ルカたちが作ってくれる御飯は美味しいわね! あっ、おばさんが作ってくれる料理も美味しかったわ!」
おばさん……ああ、母ちゃんのことか。うん、母ちゃんの料理の腕は謎なくらい高いからな。父ちゃんは完全に胃袋を掴まれてる。夫婦円満でなによりだ。
ああ、キャロットちゃんにもしばらく会ってないな。元気にしてるかな? お兄ちゃんは元気ですよ。
拠点の村の病院、その病室棟の一階の閉鎖エリアへと向かう。
ここは心の病を患った人の入院用として設計されたエリアだ。一般の患者や見舞い客は入れない。
そもそも、まだ医者がいないから開業してないんだけど。
基本的に部屋の扉は無く、手に持てる大きさの金属類も一切無い。壁は押すと凹むような柔らかい素材で作られており、患者の安全性を第一に作られている。自傷行為対策でこういう設計にしてある。
焼酎をさらに蒸留して作ったアルコールの臭いが微かに漂っている。アルコール度数が高いから、多分甲種焼酎じゃなくてニューポットに分類されるんじゃないかな?
この部屋というか、精神的障害者用のエリアに来るのは初めてだ。
作ったときには『一応用意しておくか』くらいの軽い気持ちだったのに、今は用意した八つのベッドが満床になっている。まだ精神科医どころか、外科や内科の医者もいないのに。
静かだ。
幸いにして、と言うと語弊がありそうだけど、暴れだす患者はいないようだ。
何しろ、満足に動き回れないほど身体が弱っているからな。
ジャスミン姉ちゃんと一緒に、ふたつある病室のひとつに足を踏み入れる。アルコールの臭いが少しきつくなった気がする。
ベッドに横たわったまま、呻き声を出しながら焦点の合わない目で虚空を見ている者。
上半身を起こしてユラユラと身体を揺らしている者。
横たわったまま、虚空に漂う何かを掴もうと両手を動かしている者。
眠ったままで身じろぎひとつしない、髪の毛が全て抜けてしまっている者。
皆、入院者用の貫頭衣から覗く腕がひどく細い。骨と皮しかない。痛々しい。
全てジャーキンの女領主とソバ男、そして元左大臣と元皇太子のせいだ。見つけたら生きたままオークの餌にしてやる。
「ビート、怖い顔になってるわよ。彼女たちが怖がるからやめなさい」
おっと、いかんいかん。珍しくジャスミン姉ちゃんに諭されてしまった。
見れば、ジャスミン姉ちゃんはいつになく真面目で真剣な表情だ。声色も落ち着いている。思わず『誰?』と言いそうになるのをぐっとこらえる。
「これはビート様、よくお越しくださいました。本日はどのようなご用件でしょう?」
彼女たちの身体を拭いたり水差しで水を飲ませていた女性が、俺たちに気付いて早足で寄ってきた。
あれ? まだ看護師も雇ってないはずなんだけど、あの人誰? ボランティアかな?
「うん、彼女たちの治療にね」
「っ! 本当ですか!? 治るんですか!?」
女性に詰め寄られる俺。
ん? この人どこかで……ああ、俺たちがゴブリン牧場へ着いた時に、ソバ男に甚振られていた人か。間一髪、ギリギリで苗床にされてなかったんだよな。妄薬を飲まされて意識朦朧になってたんだけど、回復したのか。よかったよかった。
そういえば、無契約になって再契約した奴隷の人たちの中にいたような気がするな。人数が多すぎて顔を覚えてないんだよね、実は。
えっと、ライブラリの人物フォルダで確認っと……いたいた、名前はキャシーさんか。
「多分ね。と言っても、治療するのは僕じゃなくてこっちのジャスミン姉ちゃんなんだけど」
「ジャスミン様、姉は、皆は治るんですか!?」
姉。
なるほど、肉親がいたのか。それで、ここで看護師っぽいことをしていたんだな。
「確実とは言えないわ。でも、できる限りのことはするから」
「ッ! よろしくお願いします!」
キャシーさんが涙を撒き散らしながら、勢いよく頭を下げる。
いやほんと、マジで『誰?』って訊きたくなるくらい、今日のジャスミン姉ちゃんは凛々しい。こんな顔もできるんだな。幼馴染でも知らない一面はあるもんだ。
「それじゃ始めるわね。ビート、誰が一番?」
「うーん、あの人かな? 一番弱ってるみたいだから」
髪の抜けた女性のところへ向かうジャスミン姉ちゃんと俺。キャシーさんがその後に続く。
「お姉ちゃん、もうすぐだからね。すぐに良くなるからね」
これがキャシーさんのお姉さんか。顔は似ていないな。というか、痩せすぎて骨にしか見えない。ああ、耳の形は同じだな。
見た感じ、この病室では彼女が一番重症だ。髪が無いのは栄養が足りなさすぎてそこまで回す余裕がないためだろうし、寝ているのも少しでもエネルギーを温存するための身体の防衛機構じゃないかと思う。
肌も色が悪い。おそらく内臓にも障害が出ているに違いない。現代医療なら集中治療室直行の重症なんじゃないかと思う。もしかしたら緊急移植手術ってこともあり得るんじゃないかな?
こんなの、医療未発達なこの世界では絶対に治せない。それこそ、魔法でも使わない限り。
そう、魔法でなら。
おっといかん。
「ジャスミン姉ちゃん、ちょっと待って、まだ始めないで! キャシーさん、飲ませながら治療するから、芋と豆をすりつぶした薄いスープを作ってきて。ほんのり塩味で。できるだけ沢山ね」
「は、はい!」
「もう、なによ! しょうがないわね!」
危ないところだった。
ジャスミン姉ちゃんの治癒魔法は、治療に患者自身の体力を使う。細胞を活性化させるのは魔力で行うんだけど、活性化した細胞が分裂したり修復したりするのには、患者自身のカロリーや栄養素を消費する。
今のこの女性は、そのカロリーや栄養が枯渇している状態だ。そんな状態で治癒魔法を使ったら、治るどころか、栄養が完全に枯渇して衰弱死してしまうかもしれない。
だから芋と豆のスープだ。森芋には豊富な糖質とミネラルが含まれているし、豆にはタンパク質が含まれている。塩味のスープなら、ついでに水分と塩分も取れる。今回のようなケースには適した病人食……手術食? だろう。
贅沢を言えば脂質やカルシウムも欲しいところだけど、今はそれよりも迅速な治療だ。最適な手術食の研究はその後でいい。
◇
「あらあら、お待たせしてしまいましたか? うふふ」
しばらく待っていると、なぜかキャシーさんとルカのふたりが大寸胴を運んできた。ルカは拠点で家事をしてたはずなんだけど?
「沢山スープを作らなくてはいけないと聞きましたから。お料理なら任せてください。うふふ」
「そうなんだ。ごめんね、手間をとらせちゃって。どれどれ、味の方は……うん、いい感じだね。さすがはルカ。あとは温度かな。ちょっと失礼して」
スープは絶妙な濃さと塩加減だけど、まだ出来立てで温度が高い。このままでは飲ませられない。火傷してしまう。
大寸胴を平面魔法で浮かせて、流体ボックスの中へ入れる。
流体ボックスは、パーティクルの詳細なシミュレーションを行うための、気流や重力など細かい設定が可能な空間を作り出す平面魔法の機能だ。
この空間におけるパーティクルの温度をマイナス十度に設定して、大寸胴の中へ向けて放出する。
パーティクル自体に衝突判定は設定してないけど、周囲の物質との間での熱の移動は行われる。
分かりやすく言うと、パーティクルに奪われて大寸胴内のスープがドンドン冷えていく。
もういいかな? うん、お風呂くらいの温度だな。これなら火傷することはないだろう。
「それじゃ、これを水差しで飲ませて。飲ませたら、少し待ってから治療を始めるよ」
「はい、ただいま!」
少し待たないと、スープが胃や腸に届かないからな。栄養を吸収できない。
「よし、もうそろそろいいかな? キャシーさんは少しずつスープを飲ませ続けて。ジャスミン姉ちゃん、さっきも言ったけど、先に内臓を治すように意識して魔法を使ってね。焦らずゆっくりね。それから手足を治して、最後に頭をお願い」
「はい!」
「やっとアタシの腕の見せ所ね! 任せなさい!」
ぐいっと袖を捲り上げる動作をするジャスミン姉ちゃん。けど、半袖だから捲り上げる袖はない。エア袖捲りだ。
ともあれ、ようやく治療開始だ。上手くいってくれよ。
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