第309話

 おっと、騒がれて他のゴブリン共まで起きてしまったら面倒だ。平面で周囲を囲ってしまおう。音や振動が漏れないよう二重にして……っと、これでよし。約十メートル四方のリング、いや監獄だ。どちらかが死ぬまで出ることは叶わない。もちろん、俺は死ぬつもりなんてない。

 寝たままのゴブリンやホブゴブリンを何匹か巻き込んでしまったけど、まぁ、問題はないだろう。全員の首を刈ることに変わりはないんだから。


「ギ、ガアァアァッ!」


 太い腕を振り回しながら突っ込んでくるオーガを、余裕のサイドステップで躱す。

 いくら大きくて筋骨隆々でも、それを活かせないのでは宝の持ち腐れだ。真っ直ぐ突っ込んでくるだけなら、イノシシの魔物と何も変わらない。いや、イノシシの魔物のほうが速い分脅威と言える。コイツはそれ以下だ。


「ギギィ!?」


 躱しぎわに剣鉈で右下腕を斬りつける!

 浅い、斬り落とせなかった。リーチの短さが俺の弱点のひとつだな。まだ子供だから仕方がない。成長すればそのうち解消されるだろう。されてほしい。

 それなりの深手にはなったはずだけど、あんまり効いた感じはしない。どうも魔物は痛みに強いというか、鈍感なような気がする。

 いや、それが野生ということか。多少の痛み程度は、耐えて乗り越えなければ生き残れないだろうしな。


「ギィ!」


 また突っ込んできた。それじゃもう一回躱して腕を、っと、避けた!? なるほど。腐っても魔族、学習能力はイノシシの魔物より高いらしい。同じ攻撃は喰らってくれないか。


「グギィッ!?」


 それなら別の攻撃を出すだけだ。素早く剣鉈を左手に持ち替え、右手で腰の鉈を抜き、叩きつける! 今度は腕じゃなくて足、右膝の裏側だ。

 筋を斬られたオーガが、踏ん張り切れずにもんどり打って転がる。平面の壁にまで転がり、衝突してやっと止まった。

 膝を支える筋を断ったのだから、もう立つことすらできまい。終わりだな。


「ギィッ!」

「ッ!? グギャギャッ!?」


 と思ったら!

 こいつ、近くで気絶してたゴブリンを鷲掴みにして投げつけてきやがった! 座ったまま、上半身だけのサイドスローなのに結構速い!

 投げられた衝撃で目が覚めたゴブリンがパニックになってるけど、勢いが強くて身体が自由にならないらしい。回転しながら飛んでくる!


「フッ!」

「ギャッ!?」


 左手の剣鉈を突き出し、ゴブリンの脳天を貫いて受け止める! 勢いのままゴブリンが剣鉈を支点に海老反りし、一瞬の硬直の後、不格好に剣鉈から垂れ下がり、そしてただの肉塊へと変わり、重力に引かれて落ちる。

 剣鉈から抜けるときのズルリとした感触に少々の不快感を感じる。この不快感を感じなくなったときが、俺の心が死ぬ瞬間かもしれない。


「ギイィイィッ!?」


 なんて、そんな感傷にふける暇もないのか! 今度はホブゴブリンが飛んできた! 手当り次第だな!

 今度は右手の鉈を振り下ろし、ホブゴブリンの頭を地面に叩きつけ、砕いて止める! ピンクの脳漿の花を咲かせてホブゴブリンが絶命する。

 ジロリとオーガを見る。


「ギギギィ……」


 もう周りにはない。ジリジリと後ずさりするも、平面の壁に遮られてそれ以上は下がれない。


「終わりにするよ」

「ギ! オまえハこ」


 何かを言おうとするオーガとの間合いを一瞬で詰め、右手の鉈でその頭を一文字に斬り払う。俺を睨んでいた左右の眼球が上下に分割され、上半分が頭頂部と一緒に飛んでいく。

 短い滑空ののちにその頭頂部が地面に落ち、それを追いかけるように胴体が倒れ伏す。


「……ふうっ」


 もうオーガが動かなくなったことを確認してから、平面の監獄を解除する。騒ぎは外へは漏れなかったみたいだ。まだ皆寝ている。


 ……何か、しっくりこない。

 このオーガ、あまり戦闘経験が豊富ではなかったように感じた。なぜって、動きが直線的すぎた。駆け引きや虚実もなかった。知能はそれなりにあったみたいだけど、鍛えられてはいなかった。

 こいつ、どうやってここまで進化したんだ? ウーちゃんやタロジロは、進化に大量の魔物との戦闘が必要だった。結果、動きは素早く、急所を確実に捉える戦法を身につけた。身体強化だって使えるようになっている。進化前に比べると、戦闘技術は確実に上がっている。

 でも、こいつにはそれが無かった。ズブの素人と言ってもいいくらい、お粗末な戦い方だった。戦闘して進化したんじゃないのか?


 それに、契約紋がある奴隷のはずなのに、ゴブリンやホブゴブリンを粗末に扱ってた。牧場の財産なら、損失は避けなければいけないはずなのに。

 何かがおかしい。


「ん〜……まぁいいか!」


 今はゴブリン共の殲滅が最優先だ。考え事はそれが終わってからにしよう。



「もうっ! ゴブリンの魔石取りはもう飽きたのよ! アタシも戦いたかったわ!」


 ジャスミン姉ちゃんが不満タラタラだ。まぁ、気持ちは分かる。

 けど、全員の安全を確保しなきゃいけない保護者の立場としては、最善策を選ばざるを得なかった。

 ゴブリンやホブゴブリン程度にジャスミン姉ちゃんたちが不覚を取るとは思えないけど、今回は数が数だったからな。万が一ということも起こり得た。

 それに、女性陣にはこれから頑張ってもらわないといけない。そのためにも疲れを溜める作業をさせることは避けたかった。

 まぁ、魔石取りも、何千という数になると大変なんだけど。


「ビートはん、あっちの処置は完了や。けど……」

「けど?」


 いつも明快なキッカが、珍しく言い澱んでいる。


「……ひとり産気づいとるのがおる」


 奴隷のヒトたちの介抱をお願いしていたキッカが、重苦しい表情でそう伝えてくる。

 産気づいている……まぁ、そういうことだろう。


「そう……その人だけ、別の部屋に隔離して。キッカとルカは出産の手伝いを。その後の処理・・は僕がするよ。保護した人たちのビフロントへの移送は明日にしよう」

「ビートはん、それは……分かった、準備するわ」


 少し悲しそうな顔をしたキッカが、何かを言いかけて止め、踵を返して駆けていく。

 その背中を見送って、俺はまた魔石取りの作業に戻る。……こんな血生臭い作業でも、していれば気が紛れる。

 処理……大丈夫、やることはこれと同じだ。


「ビート……全部アンタが背負う必要はないのよ? アンタを支えるためにアタシらがいるんだからね?」


 珍しく神妙な面持ちで、ジャスミン姉ちゃんが声をかけてくれる。そうせざるを得ないほど、今の俺はひどい顔をしているんだろう。

 そうかもな。ゴブリンとはいえ、生まれてきたばかりの命を、これから俺は……。

 いや、駄目だ。

 同じ葛藤をビフロントの冒険者ギルドの人たちも感じていて、それでも対処・・しているはずだ。あの人たちばかりに精神的苦痛を味あわせていていいはずがない。これは俺が受けた仕事なんだから。


 パンッ!


 左手で自分の頬を叩く。うん、ちょっとスッキリした。余計な感情が叩き出されたような気がする。


「いや、やるよ。僕がやらなきゃいけないことだからね。大丈夫、ありがとうジャスミン姉ちゃん」



 その日の夜、集落の外れではゴブリン共の死体を焼却処理する炎が盛大に燃え盛っていた。

 独特のケミカル臭のするその炎の前に立つ俺の手のひらの上には、小さな、米粒大の魔石がふたつ乗っていた。


 俺は、炎を反射して輝くそれらを暫く見つめたあと、炎へと投げ入れた。

 それらは炎に飲まれ、すぐに見えなくなった。

 ゴブリンの焼ける煙が、いつもより目に滲みる。

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