第305話
ようやくだ。
ようやく見つけた。ここが牧場だ。間違いない。
場所はワッキー地方北部を北方へと向かって流れる川、その中流域に広がる平野部だ。広さは東西約十キロ、南北約三十キロといったところか。川に沿って細長い平野だな。
平野周辺は、高さはそれほどでもないけど、急峻な山に囲まれている。南北が川で開かれているけど、盆地と言ってもいいだろう。山陰から漏れた残照が、川面を紫に染めている。
その平野の中心近くの川沿いに集落がある。
これまで見たゴブリンの巣のような、粗末な木組みのテントでも壊れかけた廃屋でもない、ちゃんと手入れされた木造家屋が並ぶ集落だ。
山の上から見た感じでは、本当に只の牧場のように見える。
平屋で広い畜舎のような建物が数棟と、それに隣接する住居のような建物が数棟。そんな施設が川沿いに六ユニットほど建てられている。
牧場と違うのは、周囲に柵も壁もないところだろう。見たことないけど、養鶏場ならこんな感じかもしれない。
東の山頂からカメラ機能で集落を観察する。
俺の平面魔法のカメラ機能は、俺を中心とした約二キロの距離が制御、設置の限界だ。
今俺たちがいる東の山から牧場までの距離は約四キロ。建物内にカメラを送り込むにはもっと近付かなくてはいけないけど、外の様子だけならズーム機能で十分確認できる。
百インチほどのスクリーン平面に、拡大されて少し荒くなった牧場の様子を表示する。光量が少し足りないな。ガンマを調整して……これでいいか。
「……やっぱり畜舎だね」
「鬼畜舎ですわ! すぐに殲滅しませんと!」
クリステラが怒気を含んだ声で主張する。
畜舎の入り口を出入りしていたのは、ヒトではなくゴブリンだった。まだ日が沈んで間もないからか、結構な数のゴブリンどもが出入りしている。
いや、ゴブリンだけでなく、ホブゴブリンもいるな。大きさが違うからわかりやすい。
「あれ、ゴブリンじゃない、ヒトでしょうか?」
バジルが怪訝な声をあげる。ふむ、確かにヒトだな。
ゴブリン数匹に混じって、ヒトの男性が畜舎から出てきた。歳は三十くらいだろうか?
痩せて、擦り切れたボロを着ている。髪もボサボサだ。王都のスラムの物乞いより酷い。
その男性の足をゴブリンが蹴った。男性はよろめいてたたらを踏むけど、反撃はせずに困った顔をするだけだ。
それを見てゴブリンどもが笑う。そして、男性を蹴ったのとは別のゴブリンが、手に持った棍棒で男性の膝裏を横薙ぎにする。
これには男性もたまらず膝をつく。それを見て、またゴブリンどもが笑う。
「ムカつくわ、めっちゃムカつく! なんやねん、あのクズども! 今すぐうちの弓でハリネズミにしてやりたいわ!」
「そうね、あれは腹が立つわ! あの男もあの男よ! なんで反撃しないの!?」
キッカとジャスミン姉ちゃんの怒りはリミットに近いらしい。いや、他の皆もだろう。目に義憤の炎が燃えている。爆発まで、そう遠くはなさそうだ。
「あれは、多分奴隷だろうね」
施設があってそれが維持されているということは、それを維持管理している者がいるということだ。
これまでの経験からするとゴブリンどもにそのような技術も概念もあるとは思えないから、維持管理しているのは必然的にヒトだと推測できる。
しかし、いつ襲われて喰われるかもしれないゴブリンどもの近くに行きたがる者など、そうそういるはずがない。いるとしたら、ゴブリン程度は脅威にもならない猛者くらいだろう。
あの男がそんな猛者とは思えない。現に、今もうずくまったままゴブリンどもに蹴られたり殴られたり、されるがままだ。
だとすれば、残りの選択肢は奴隷しかない。ゴブリンどもの世話をするよう、主人に命じられた奴隷しか。
牧場主の奴隷であれば、主人の財産であるゴブリンを傷つけることはできない。それは奴隷三原則で禁じられている行為だから。なので、反撃もできずに我慢するしかない。あの男のように。
「『肉体的、精神的、経済的、直接的、間接的を問わず、あらゆる危害を主人に加えることを禁ずる』ですわね」
「そういうこと。けど、いたぶるだけで殺さないところを見ると、ゴブリンのほうにも何か制約がありそうだね」
ゴブリンにとって、ヒトのオスは餌でしかない。見つけたら即、殺して食べるのが普通だ。
けど、コイツラはギリギリ殺さない程度の暴力しかあの男性に振るっていない。普通の状況ではない。
おそらく、群れのボスから殺すなという命令が出ているんだろう。そして、その命令は牧場主からボスに出されたものだと思われる。
しかし、いったいどうやって牧場主はボスに言うことを聞かせている? 餌? 恐怖? 薬? 魔法?
わからない。それが判明しない間は、おそらく何度でもこういう状況が発生するだろう。
いや、判明しても起こり得る。けど、判っていれば対処や対策はできるはずだ。被害を減らせる。
それを突き止めるためにも、この牧場は隅々まで調べる必要がある。
殲滅はそれまでの我慢だ。おっちゃん、もう少しだけ耐えてくれ。もう少しだけ。
◇
残照が闇に溶けて消え、黒い空には星々がささやかな自己主張の光を灯している。夜は深まり、もうそろそろ日付が変わる時間だ。
地上には暗闇が広がり、川面だけが僅かに夜空の星を反射している。集落の上空に浮かぶ俺を照らす光はごく僅かだ。
もうこの集落の中に、起きて動き回る者は誰もいない。ゴブリンもヒトも昼行性だからな。深夜は寝る時間だ。
俺は起きて働いてるけど。そういう仕事だから仕方がない。様々な仕事があって、それに従事する人がいるから世界は回っているのだ。
集落の上空二百メートル程の高さを漂いながら、下界の気配を探る。
集落にある気配の数は全部で五千程。うち、ヒトは二百弱。おそらく、ほぼ全員が奴隷だろう。これまでの巣とは異なる状況だ。厄介だな。
奴隷でなければ、解放して逃げてもらうことができる。安全な場所まで運んで手当てもできる。
けど、奴隷だとそうはいかない。
奴隷は主人の財産だから、それを失わせるということは主人に損害を与えることになる。これは奴隷三原則に反するから、彼らには逃げるという選択肢がない。
逃げるところを黙って見ていることも、未必の故意ということで三原則に触れてしまう。つまり、見つかると騒がれてしまう。
薬漬けにされている女性たちなら騒ぐことはないだろうけど、彼女たちは自分で動くこともできないだろうから、救出にはまた別の手段が必要になる。
安易な行動はできないな。対策を考えないと。
残りの気配は、約六割がゴブリン、四割がホブゴブリンかな。まぁ、コイツらは問題ない。全部まとめて切り刻めばいい。
ホブゴブリンが多いのは、やはりそういうことだろう。ここで繁殖しているのなら、半分以上がホブゴブリンでもおかしくない。
問題は、これまでに見たことのないふたつの気配だ。色は明度の低い赤。
ゴブリンやホブゴブリンは暗い紫……だと思っていたんだけど、どうやら紫じゃなくて、暗い赤が紫っぽく見えていただけっぽい。
色が魔法の適正だと認識できるようになって以降は、紫じゃなくて赤にみえるようになった。
このふたつの気配もゴブリン系の色なんだけど、ゴブリンやホブゴブリンに比べると彩度が高い。
ウーちゃんが進化したときも、気配の色がこんな感じに濃く鮮やかになってた。ということは、こいつらもゴブリン系が更に進化したか、特別な進化をした個体なんだろう。
もしかしたら、こいつらが諸々の謎を解く鍵かもしれない。調査が必要だな。
このふたつの気配だけは、畜舎じゃなくて住居棟のほうにある。同じ建物内の二階だけど、距離が離れてるから別の部屋だろう。個室だな。
他のゴブリンどもが畜舎で雑魚寝らしいのを考えると、こいつらだけが特別扱いなのは間違いない。やっぱり優先して調べる必要がありそうだ。
カメラを操作して、そいつらのうちの一方がいると思われる場所へ送り込む。
暗いな。ガンマの曲線をいじって……こんなもんか。ちょっとバンディング(色が帯状に分離している状態)が出てるけど、世間に流すものじゃないからいいだろう。
部屋の調度はシンプルなもんだな。椅子とテーブルとベッド、以上だ。
ただし、どれも異様にでかい。
普通、ベッドは大きくなると幅が広がる。俺が自宅や別宅で使ってるベッドも、長さは普通のダブルベッドより若干長い程度だけど、幅は長さと同じくらいあって、ほぼ正方形になっている。
まぁ、このサイズな理由については考えまい。必要だったんだ。
一方で、このベッドは長方形だ。普通のダブルベッドの比率だな。
けど、サイズがでかい。普通のベッドの二倍くらいある。長さも幅も、高さもだ。
このベッドだけじゃなく、テーブルも椅子も同様にでかい。なんだか巨人の国に迷い込んだみたいだ。
そんな大きな部屋の主……もう予想がついたな。カメラをベッドの上に移動させると……やっぱりだ。
大森林の奥にもいるらしいって話を聞いたことはあったけど、本物を見たのは初めてだな。
二メートルを超える大きな身体、牙の生えた大きな口、額の角。
これ、たぶんオーガだな。
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