第304話
深夜までゴブリン狩りをして、帰って軽い夜食を摂ったら装備を手入れし、夕方まで寝る。起きたら夕食を摂って軽く身体を動かし、日が沈んだらまたゴブリン狩りへ向かう。
そういう夜型生活を半月も続けると、身体は慣れてコンディションは整ってくる。睡魔の誘惑に負けることもなくなった。
けど、精神的なコンディションは落ちる一方だ。
既にワッキー地方の半分くらいは捜索し終えたと思う。倒したゴブリン、ホブゴブリンの数は一万匹を超えて、討伐証明の魔石が倉庫の隅で小さくない山を作っている。数えるのもバカバカしい。クリステラの天秤魔法がなかったらと思うとゾッとする。
そして、保護した女性たちの人数も二桁に達した。どの人も酷い有様で、保護する度に、ゴブリンと牧場主に対する怒りがとめどなく湧き上がってきた。今もそれは静まっていない。
滅んでいる村を見つけたことも片手では足りない回数だ。犠牲者の人数なんて予測もできない。
エンデ遠征のときも酷かったけど、ここはその比じゃない。仏教で言うところの餓鬼道か畜生道と言われる世界のようだ。ゴブリンが小鬼だとしたら餓鬼道かも? 地獄の一歩手前の世界。
「「「……(もくもく)」」」
特に子どもたちの精神的ダメージが大きい。夜食を摂っている今も落ち込んだ表情で、フォークの動きが遅い。食が進んでいない。
一番落ち込みが酷いのはバジルだ。他のメンバーはバジルに引きずられてる感じだな。年頃の男の子には刺激が強すぎたかもしれん。
慣れろとは言わない。慣れるくらいこんな案件があったら、もう人類は滅亡寸前だ。
けど、冒険者を続けていくなら避けては通れない道だ。ならば、その道は強く踏み固めておくほうがいい。この経験が足場になって、バジルたちの命を救うことがあるかもしれない。キツい道だけど、近道も迂回路もないんだから仕方がない。
自分の食事を終えたウーちゃんとタロジロが、俺の簡易ベッドの周りに敷いた毛皮へと歩いていき、そこで丸くなる。俺もそれを追って簡易ベッドに腰掛ける。今日もよく働いた。しっかり寝て明日に備えよう。
「今日もいっぱいゴブリンを狩って偉かったねー。明日も頑張ろうねー」
声をかけながら三匹の頭を順番に撫でる。横たわったまま目を細めて嬉しそうに尻尾を振る三匹が可愛い。このモフモフがあれば、あと一億と二千年くらいは戦える。
鬱になりがちな今回の仕事だけど、良いことがなにもなかったわけじゃない。その数少ない良かったことのひとつが、タロとジロの進化だ。
数日前の夕方、目を覚ますと二匹は進化して大きくなっていた。また進化するところを見損ねた。残念。
二匹とも大きくなって黒一色の毛並みに変わってたんだけど、よく見ると毛足の長さや体格が違う。どうやら、それぞれ別の進化をしたみたいだ。
マクガフィン先生で調べてみると、タロが『グレイブハウンド』、ジロが『ヘカテロス』という種族になったらしい。
グレイブハウンド
墓守猟犬。黒妖犬の一種。狼系の魔物が特定条件(短期間に大量の獲物を狩る)を満たすと稀に進化することがある。雷魔法を操ることができる。温厚で主人に忠実な性格だが、縄張りを荒らす者には容赦しない凶暴な一面もある。
ヘカテロス
断罪猟犬。黒妖犬の一種。狼系の魔物が特定条件(短期間に大量の獲物を狩る)を満たすと稀に進化することがある。火魔法を操ることができる。闊達で主人に忠実な性格だが、獲物と見定めた相手には容赦しない冷徹な一面もある。
毛足はタロのほうが長くて、体格はジロのほうがガッシリしているけど、フレーバーテキストは結構似ている。兄弟だなぁ。
びっくりしたのが、進化に応じて魔法適性が変化したことだ。進化前は二匹とも土属性だったのに、進化後はタロが雷(素粒子制御)、ジロが火(化学反応)属性になっていた。
これって狼系の魔物特有の現象なんだろうか? それとも魔物全般で起こり得る? 条件を満たせばヒトでも?
二匹とも、いやウーちゃんを入れると三匹とも『犬』になっているのも興味深い。やっぱり狼が人と一緒に暮らすと犬になっちゃうのか?
どちらかとウーちゃんが番になったら、生まれてくる仔犬はどっちの種族になるんだろう? もしかしたら、更に新種の仔犬が生まれてきたり? 興味が尽きない。
いかんな、探究心が刺激され過ぎる。またやりたいことが増えてしまう! 今は忙しくてそれどころじゃないから、『心のやりたいことリスト』に書き込んでおこう。折を見て実行だ! 消化しないと溜まる一方だからな!
よし、早くこの仕事を終わらせるぞ! そして自由になる時間を作るのだ!
◇
旦那様は凄い。
僕より年下なのに賢くて強くて魔法が使えて、心も強い。史上初の辺境伯という爵位をもらったのも納得だ。
それに比べて僕は……駄目だ、ダメダメだ。
旦那様のおかげで、少しは強くなったし少しは魔法も使えるようになった。勉強も頑張ってる。けど、心の強さは全然旦那様に及ばない。
この半月ほどの間ゴブリンの殲滅を続けてきたけど、被害者の女の人を見る度に心臓が大きく動いて痛くなる。
先日なんて、まさにゴブリンが女の人を犯している最中なのを見てしまった。その時は頭に血が上って目の前が真っ赤になって、気がついたら巣のゴブリンは全部細切れになっていた。僕はそのゴブリンだったものを、ひき肉にする勢いで更に斬りつけていた。キララが抱きついてくれなかったら、本当にひき肉にしていただろう。情けないことに、その時はその場で胃の中のものを戻してしまった。
ゴブリンの巣は酷いことになっていることがある、とは聞いていた。女の人が繁殖の苗床にされていることがあるから、討伐するときは覚悟をしておけって、この仕事の前にも旦那様に言われていた。
覚悟していたつもりだった。けど、現実は想像より一回りも二回りも酷かった。
痩せてガリガリになった身体、虚ろな目、半開きで半笑いの口、カクカクと振られる腰……犠牲になった女の人のそんな有様を見ると、可哀想と思うと同時に気持ち悪いという感情も同時に浮かんでくるのを感じた。そんな自分に吐き気がした。
更に『自分や妹がそんな目に遭わなくてよかった』『自分のほうがまだ幸せだ』という優越感と安心感を持っている自分にも気づいて、そしてまた気持ち悪くなった。
僕は小さい。人として。
僕は弱い。人として。
妹やキララ、サラサを守りたい、旦那様のお役に立ちたいと思っているけど、こんな小さくて弱い自分にそれができるとは、とても思えない。
「凄い! バジルがそれに気づいたってことだけで、今回の依頼を受けた甲斐があったよ!」
夕食後にそのことを旦那様に相談したら、そんな風に褒められた。あれ?
「人っていうのは、自分に余裕があるときにしか他人へ優しさを分けてあげられない、自分が優位だと思わなければ手を差し伸べられない、心の狭い生き物なんだよ。残念ながらね。善行っていうのは、そういった狭い心から出た自己満足の結果でしかないんだ」
旦那様がちょっと苦笑しながらそう言う。なんだか厭世的な意見のような気がするけど、今の僕にはそれが真理の一面だと思えた。僕自身がそうだったから。
「だけど、そんな自己満足に救われる人がいるのも現実なんだよ。助けが必要な人は、たくさんいる。数えられないくらいにね」
ちょっと真面目な顔になった旦那様がそう続ける。こういう真面目な話をするとき、旦那様は年齢以上に大人っぽい顔をする。時々、お父さんくらいの年齢なんじゃないかと思うくらいだ。
「強いってことは余裕があるってことだよ。そんな弱者に手を差し伸べられる余裕がね。それは、あるいは戦う力であったり、あるいは財力や権力だったりする。そして、その力が強ければ強いほど、助けられる人は多くなる」
旦那様が両手を広げる。
「『只の僕』が助けられるのは、せいぜいこの腕が届く範囲だけだ。けど、魔法やお金、権力のある僕は、もっと多くの人を助けられる。なぜなら、その多くの人たちよりもより優位な立場にある、強いってことだから。助けられないなら、それは自分が弱い、小さいってことだ」
旦那様が両手を下ろし、腰に手をあてる。
「自分の小ささを自覚できなけりゃ、それ以上大きくはなれない。バジルにはそれが分かったっていうだけで、今回の遠征は大成功かな!」
旦那様が微笑みながら僕を見つめ、頭を撫でてくれた。小さいけど、大きな手だった。お父さんみたいに、優しくて温かい手だった。
その温かさを感じた時、何かが僕の中でカチリと収まる感じがした。重要なパズルの欠片が収まるべき場所に収まったような、そんな感じ。
やっぱり旦那様は凄い。
まだ小さくて弱い自分だけど、少しでも旦那様のお役に立てるように頑張ろう。
この温かさを、他の人たちにも分けてあげられるように。
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