第297話
一ヶ月だけの賃貸契約で、そこそこの広さの家を借りることができた。
いや、家じゃなくて倉庫だな。港の近くの、レンガ造りのでっかい倉庫。事務所、簡易キッチンとトイレ付き。
元々は陶器を扱う老商人が所有していたそうだけど、街の所属がジャーキンから王国へ移ったのを期に引退してしまったのだとか。
なるほど、これまでの販路はジャーキン国内がメインだったはずで、国が変わったら一から新しく販路を切り開かなければならない。老齢だったってことだから、そこまでの気力が無かったんだろう。その老人も戦争に翻弄されたひとりだな。ご愁傷様です。
陶器の在庫は商業ギルドが買い取って王国内の商人へ売り捌けたものの、倉庫自体は売れ残り、商業ギルド管理の不良在庫扱いになっていたらしい。
それを俺が格安で借り上げたわけだ。
最初は購入を打診されたんだけど、買っても使い道がないから断った。ずっと滞在するわけじゃないしな。
家じゃなくて倉庫になった理由は、単に希望に合う広い家がなかっただけだ。
それなりに大きい街といっても、このビフロントの街は国境近くの辺鄙な場所、つまり田舎だ。人口は多くないし人の出入りもそれほどじゃないから、そもそも賃貸物件の数が多くなかった。昔からこの街に住んでいる人の持ち家ばかりだそうだ。
とはいえ、国が変わるにあたって街を出ていった人も少なくないから、空き家自体はそこそこあるらしい。俺たちがまとめて入れるような、大きな物件が無かっただけだ。
倉庫でも、トイレとキッチンがあるなら問題ない。野営の道具があるから、最低限の生活はできる。
俺とキッカが居ればお風呂にだって入れてしまうしな。俺が湯船やバスグッズを作り出して、キッカにお湯を入れてもらうだけだ。排水や残り湯は寝る前に海へ捨てて、湿気は魔法で強制換気すれば完璧。
そもそもこの倉庫、床付近と天井付近に小さな格子付きの窓がいくつも開いていて、陶器用にしては換気が考えられている。もしかしたら、陶器の保管用じゃなくて乾燥用も兼ねた倉庫だったのかもな。
おかげで、うだるような夏の暑さの中でも倉庫の中はそこそこ快適だ。薄暗いのがちょっと難点なくらい。
「よし、あとは寝床の設置だな」
「ああ、例のアレかいな。街の職人に作らせてた簡易ベッド」
「そう、それ!」
倉庫内に運び込んだ馬車から、ロープでまとめられた木材と長方形の網を引っ張り出す。網と数本の木材がセットで、数セットあるそれらを全部だ。
木材の各接合部には番号が振られており、それを適切に組み合わせれば目的の形に組み上げられるようになっている。
「よしできた!」
「早いな!? もうできたんかいな!」
「早く組み立てられるっていうのも売りのひとつだからね」
見た目はフラットに寝かせたデッキチェアっぽい。トラス構造の骨組みで網の寝台を支える仕組みだ。
でもリクライニング機能はない。リクライニングさせるにはギアが必要だけど、ギアは金属じゃないと強度が不安だ。そして金属は重い。持ち運びに難がある。ということでリクライニング機構は省いた。ベッドだからこれでいい。
冒険者は大きな樹の下や洞窟、岩陰などで野営をする機会が多い。雨や風を凌ぐには、何かの陰に入ることが手軽だからだ。
そして、寝るときは大抵、毛布やマントに
その時に困るのが虫や小動物だ。寝ている間に布の隙間から潜り込み、身体のあちこちを噛んだり刺したりするのだ。
特に夏場はその被害が多い。虫の活動の最盛期だからな。朝起きたら体中にダニや蛭がビッシリ、なんて話も珍しくない。想像しただけで背筋がゾワゾワしてしまう。
それを少しでも軽減しようと開発しているのが、この簡易ベッドだ。身体が宙に浮いているから、被害は蚊くらいで抑えられる。
ふむ。これが完成したら、次の開発目標は蚊取り線香だな。
このベッドの問題は嵩張ることだけど、商隊の護衛依頼ならこれくらいの荷物は積めるはず。もうちょっとコンパクトにできれば、普段の野営にも使えるかもしれない。それくらいの軽量小型化が目標だ。
「へぇ、なかなかいいじゃない! 骨組みが細いから不安だったけど、思ったより頑丈ね!」
「まぁね。全部大森林産素材で出来てるから」
ジャスミン姉ちゃんが早速寝転がって寝心地を確かめている。大柄なジャスミン姉ちゃんでも強度は十分そうだ。
このベッドの素材は、大森林産の粘り強くて硬い木材と森林大蜘蛛の糸だ。
この木材のもとになった樹木は『南部杉』と呼ばれていて、木の繊維が密な上に入り組んでいるのが特徴だ。とても大きく育つので、一本からとれる木材の量も多い。
断面は細かい繊維が不織布のように入り組んでいて、まるでグラスファイバーかFRPのように見える。木材由来だからカーボンFRPかな?
それくらい繊維が入り組んでいるから、乾燥しても割れ難く、水を吸っても変形し辛い。なので建材として、また船の構造材として人気だ。俺の屋敷にもこの木材が多用されているらしい。
ただ、大森林にしか生えていないから伐採が非常に困難で、年間の生産量はあまり多くない。安定供給が課題だ。
今回のこの簡易ベッドは、建築用に製材した時に出た端材を流用させてもらった。余り物を活用できれば、資源のロスを抑えられる。それが誰かの役に立つなら一石二鳥だ。
網の方は、森林大蜘蛛の糸を
これも丈夫で使い勝手の良い素材なんだけど、やはり大森林産、それも魔物素材だから、安定供給が課題だ。
素材を狩りに行ったのに自分が狩られてしまった、なんてこともあり得るからな。南部杉以上に入手が困難で、今はまだ俺を含めた一部の冒険者だけが供給源だ。
養蚕みたいに、安全かつ人工的に繁殖させられたらいいんだけどな。そうしたら、またドルトンの特産品が増えて街が活気づく。領主の俺も税収でウハウハだ。どうにか手法を確立させよう。
現状、お金には困っていないけど、お金はいくらあっても困らない。将来、何があるか分からないからな。未来が見えるデイジーの魔法でも、数秒以上先の未来は分からない。稼げる時に稼いでおかないと。
「なるほど、これはいいですわね。包み込まれるような安心感がありますわ」
「骨組みのしなやかさがええ塩梅の柔らかさになっとるんやな。ようできてるわ」
「けど、網だから冬場は寒そうですよ。温かい毛布を用意しないとですね!」
「だよなぁ。毛皮でもいいかもしれねぇけど、持ち運ぶなら軽いほうがいいよな」
俺が組み立てた端から皆が寝転がっていく。感想を聞けるのはありがたいけど、手伝ってくれたらもっとありがたいんだけどな? どうかな?
「これなら十分寝れるみゃ! ……すやぁ」
「……アーニャはいつも寝てる……すやぁ」
「安眠……すやぁ」
「あらあら、みんなお昼寝? 仕方がないわねぇ、うふふ……すやぁ」
倉庫の薄暗さも相まってか、皆寝始めてしまった。
おい、まだ昼間だぞ、皆起きろ!
……起きないな。
むう、もしかしたら俺はとんでもない物を作ってしまったのかもしれない。
しょうがない、俺も仮眠をとるか。おやすみウーちゃん……すやぁ。
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