第296話
土砂降りの雨を降らせる入道雲の下を一時間ほどで抜け、嘘みたいに晴れ渡った昼下がりの海を飛んで、俺たちは無事ビフロントの街に到着した。
騒ぎになるのを避けるためMe321を街から三キロほど離れた海岸に降ろし、そこから陸路での入街だ。秘密の依頼だからな。なるべく目立ちたくない。
もっとも、美女美少女と可愛いワンコたち、愛らしいセイレーンの集団だ。人々の口の端に上がらないわけがないから、無駄な努力だったかもしれない。
久しぶりに訪れたビフロントの街は、まだまだ復興途中らしかった。城壁こそ再建されているけど、街のあちこちに空き地と瓦礫の山がある。
丘の上にあったはずのお城はなくなり、その跡地にはそれなりの大きさの屋敷が建っている。あれがソウ子爵の屋敷かな? 以前あったビフロントのお城は、謎の武装勢力によって粉々に吹き飛んでしまったからな。新しく建て直したんだろう。新築でピカピカだ。
まぁ、その武装勢力っていうのは、他ならぬ俺のことなんだけど。私がやりました。
うちの女性陣の身の上に降り掛かった様々な不幸。その原因は全てジャーキンの皇太子によるものだったから、復讐の助太刀として俺が制裁を下すことにした。その一環でこの街も破壊されたわけだ。ムカついてやった。後悔はしてない。
徹底的に破壊したから、復興にはかなりの労力が必要だったはず。現に、まだ破壊の爪痕があちこちに残っている。子爵には悪いことしちゃったかな? ちょっと反省。
住民を難民化させて帝都に集中させ、国力を低下させる作戦だったから、俺の破壊工作後に住民の数は大きく減ったはずだ。
けど、門から入った通りには人の姿がそこそこ見える。通りには露店が並んでいるし、手に買い物カゴを抱えている人も多い。活気はそれなりにありそうだ。
「あっ! ボス、あそこの出店で焼き魚を売ってるみゃ! この匂いは……ロックブレムだみゃ! 嗅いだら分かる、絶対美味しいやつみゃ!」
アーニャが馬車の屋根の上から顔を出して、グルメ芸人みたいなことを言い始めた。さすが我が家の食いしん坊、美味しいもの(魚限定)には鼻が利く。
一緒に屋根から顔を出したピーちゃんとリリー、バジルが微笑ましい。
ふむ、買い食いついでに街の現状について聞くのもありか。しばらく拠点にするわけだし。
「ほんなら、うちの出番やな」
そんなことを御者席で考えていたら、後ろの荷台からニュッとキッカが顔を出してきた。一瞬視線が交錯して、お互いの考えていることが伝わった感じがした。魔力による意思伝達? いや、単にキッカの察しが良いだけか。
そうだな、話し上手なキッカなら、色々な情報を得てくれるだろう。
「あらあら、それじゃわたしも一緒に行くわね。人数分の焼き魚はひとりじゃ持てないでしょ。うふふ」
「うん、それじゃふたりにお願いするよ。馬車は……あそこにちょっとした広場があるね。あそこで待ってるから」
「お願いするみゃー! 楽しみにしてるみゃー!」
キッカとルカを降ろして、馬車を広場に向かわせる。
馬、居ないんだけどね。いや、見た目はちょっと大型の馬車を二頭の大型の馬が牽いているように見える。おかしなところはないはず。
けど、この馬、実は本物じゃなくて、俺の平面魔法で作り出した偽物だったりする。
そう、俺の平面魔法はほぼ全ての機能が開放されたことで、ソフトバインド(ボーン移動に追従する自然な変形)が使用可能になったのだ!
実は結構
なので、見た目は普通に馬車だ。よく観察しなければ、これがニセ馬だとは気付かれないはず。よく見たら分かるけどな。体温無いし息してないし、汗も掻いてないし。
四角い広場――どうやら取り壊された建物の跡地らしい――の隅に馬車を停め、改めて街の様子を観察する。
町並みは、赤いレンガ造りの似たような家が建ち並ぶ、横浜か神戸の観光倉庫街のような印象だ。飾り気に乏しいんだけど、どこかお洒落な感じがする。ワインバルが似合いそう。
街を囲む外壁近くでは、同じくレンガ造りの煙突が煙を吹き出している。あそこでレンガを作っているんだろう。もしくは陶器。
このビフロントの街というのは、陶器とレンガが主な産業だそうだ。良質の粘土が近くの山や沖の島々で採れるらしい。あと漁業。
波の穏やかなビフロント湾の奥に漁港と貿易港を兼ねた港があり、かつてはそこからレンガや陶器をジャーキン各地へと出荷していたそうだ。
それが王国との戦争が始まったことで、国境に近いこの街は重要拠点となり、貿易港は改築されて軍港へと変貌したわけだ。
今も港の一角には軍船が泊まっているはず。ただし、そのマストに翻る旗はジャーキンのものから王国のものに変わっているだろうけど。
魚が獲れて有力な産業がある。なるほど、人が集まるのに不思議はないな。
「……買うてきたで」
「焼きたて熱々で美味しそうですよ。うふふ」
街を観察しながらつらつらと考えていたら、買い出しに向かったふたりが帰ってきた。けど、なんかキッカの機嫌が悪い。何かあったか?
ふたりとも両手に持ちきれないくらいの串焼きの魚を持っている。いや、明らかに人数分以上あるよね?
「おまけしてくれました。うふふ」
「チッ! ……あのオッサン、焼きながらずっとルカはんの胸見とったで。ほんま、男っちゅう奴は!」
ああ、そういう。
ルカの胸は奇跡だもんな。人類という山脈に一際高く聳える霊峰だ。高い山を神聖視して拝んでしまうのは自然な行為だ。オッサンの気持ちはよく分かる。けど、キッカ平原にもいいところはあるよ。たぶん。草生えるとか。
「なんか失礼なこと考えとりゃせんか?」
「イイエッ、ナニモッ!?」
おっと、また魔力が俺の思考を伝えてしまったか? いや、キッカの察しが(以下略)。
「それよりもお魚だみゃ! 早く、冷めないうちに食べるみゃ!」
「お、おおう。ごめんごめん、ほら」
待ちかねたアーニャがキッカに詰め寄る。ナイスタイミングだ。キッカの追求はここまでになりそうだ。助かった。
助かったはいいけど、口から滝のように涎を垂らしていては美少女が台無しだ。アーニャも、黙って立っているだけなら可愛いネコなんだけどなぁ。この食いしん坊ネコちゃんめ。
「っ! 美味いみゃーっ!!」
両手に一本ずつ串を持ったアーニャが、早速一口頬張って感想を叫ぶ。口と目からビームが出そうな勢いだ。相当美味かったらしい。
どれどれ、それじゃ俺も。ルカから一本もらい、皆に行き渡ったのを確認してから口へと運ぶ。
っ! 美味い! これは、海のA5肉や~っ!
おっと、俺にもグルメ芸人の魂が降りてきてしまったようだ。でも美味しいんだからしょうがない。
ふたつ目の切り身を口へと運ぶ。これは鯛の仲間か? 黒い皮が付いたままの白身魚の切り身が、口に入れた途端ホロリと串から解ける。
それを噛みしめると、意外なほどの弾力が歯を押し返してくる。同時に、身の中に隠された熱い脂がジュワッと口の中に広がる。塩気を含んだ脂に刺激され、洪水を起こしそうなほどの唾液が口の中に溢れ出す。
塗られた味噌には、砂糖とほんの少々の柑橘系の果実の皮が混ぜられているようだ。それが炭火で炙られ、ほんのり付いた味噌の焦げ目が香ばしい香りを、砂糖が魚の旨味を引き立たせる甘みを、柑橘類の皮がさっぱりとした清涼感を
なるほど、いい仕事をしている。いくらでも食べられそうだ。
実際、皆一心不乱に口を動かしている。アーニャはウニャウニャ、ウーちゃんタロジロはハグハグ、ピーちゃんはピーピー歌いながら、といった具合だ。なかなかに騒々しい。
「そんでな、助平なオッサンから聞いた話なんやけど、この街に従魔と泊まれる宿は無いらしいわ。もともとジャーキンの街やったから冒険者ギルドなんか無いし、冒険者がおらんかったから従魔自体が珍しいんやって」
「そっか、そりゃそうだよね。冒険者がいる王国でも従魔と泊まれる宿は珍しいくらいだし、更に冒険者がいないなら従魔だっていないもんね。けど、そうなると家を借りるしかないか。冒険者ギルドかがないなら、商業ギルドで借りられないかな?」
一泊や二泊くらいならこの馬車で寝泊まりできるけど、長期になると疲れが溜まる。何があるか分からない冒険者稼業だから、出来るだけ体調には万全を期したい。なので、ちゃんと寝られる家は必要だ。
今こうしている間にもワッキー地方の少女たちは虐げられているんだろうけど、無理を押して動いた結果俺たちがヘマをすると、今以上の被害が出る可能性もある。焦りは禁物だ。
「一応、冒険者ギルドを建てる計画はあるらしいわ。ってか、ココがその予定地なんやて」
そう言いながら、キッカが下を指差す。俺もつられて視線を落とす。うん、土。それと雑草が少々。
なるほど、街の入り口からそこそこ近いし、大きな通りに面している。立地は良さそうだ。
けど、ようやく整地が済んだばかりっぽい。建物が建つのはまだ先だろう。
となると、行き先は商業ギルド一択か。あの組織は、少し大きな街なら何処にでもあるからな。それこそ『街があるから商業ギルドが出来るのではなく、商業ギルドがあるから街が出来るのだ』と言われるくらい何処にでもある。
「商業ギルドは、この通りを真っ直ぐ行った右側にあるそうです。他より大きいからすぐ分かるって言ってました。うふふ」
「そう。ふたりともありがとう。それじゃ、食べ終わったら行ってみようか」
「「「はい!」」」
全員からの揃った返事。
アレ? 串は人数分以上あったよね? まだ食べ終わってないんじゃ……ああ、もう食べ終わってるな。アーニャの口の周りが味噌と魚の脂だらけになってる。
まったく、美少女が台無しだ。この食いしん坊ネコちゃんめ。
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