第284話
「僕がソウ子爵家の長男で末子だということはご存知ですか?」
「ええ、存じております。領地は確か……ああ、そういうことですか」
「お察しの通りだと思います。そういうことで、我が家は非常に危うい状況にあったのです」
実に簡単な話だった。
王国貴族は、基本的に男系男子にしか継承権がない。そして長子継承が一般的だ。つまり、ソウ子爵家の跡取りは長男であるコリン君ということになる。
そして、ソウ子爵家の領地はジャーキンから戦後賠償として割譲された政治的に不安定な土地で、治安がすこぶる悪い。入学式のときも、大規模盗賊出現で到着が遅れていたしな。
このふたつの条件が揃うと、将来的にソウ子爵家領での大きな問題の発生が予想される。
治安が悪いということは、統治者による武力出動が多くあるということだ。そのためにソウ子爵家へその領地が与えられていると言ってもいい。
ソウ子爵家の当代は、以前のジャーキンとの戦争でも武功を多くあげている名の知られた武人だ。荒事には慣れている。その武力で治安を回復させようというわけだな。
実際、盗賊は出没していても、大きな反乱などは起きていない。当代が現役でいられる間は問題ないだろう。
しかし、その跡を盲目のコリン君が継いだら?
現場には立てないし決済などの書類仕事もこなせない、完全なお飾りの当主になったら?
跡を継いだときに治安が安定していたり、優秀な補佐役がいればいいけど、そうでなければコリン君が指揮を執らなければならない。
しかし、現場に立たない当主というのは侮られやすい。治安の悪い土地ほど、その風潮は強い。力こそが正義というやつだ。
つまり、コリン君が当主になると高確率で治安が悪化する。領主を侮った盗賊共が今以上に跋扈することになるだろう。ほぼ確定だ。
「兄か弟でもいれば、そんな心配はなかったんですけどね。残念ながら男子は僕ひとりで、父と母はもう歳なので」
コリン君が少し寂しそうに笑う。
つまり、もうコリン君以外の跡取りが生まれる可能性は無いわけだ。
もし魔法が使えないままのコリン君が子爵家を継いでいたら、領地の荒廃は待ったナシだ。
そして、王国はソウ子爵家に領地を治める力はないと判断し、領地は没収、ソウ家は王家の期待に応えられなかったとして降爵……男爵への降格ならまだ温情措置だろうけど、準男爵へ落とされたら次代からは平民、事実上の改易だ。
そういう未来が、かなりの高確率でコリン君とソウ子爵家には存在していたということだ。
「けど、僕は魔法を使えるようになりました。限定的ですが、周囲の様子を知ることもできるようになりました。ほぼ普通の人と同じ、いえ、それ以上のことができるようになったんです。もうソウ家が改易される心配はほとんどありません。これも全て教官のおかげです。ありがとうございます!」
コリン君が立ち上がり、腰を九十度曲げて頭を下げる。
コリン君は亜空間魔法という別格の魔法を習得したうえ、気配察知で周囲の様子を常人以上に感知できるようになった。
書類仕事は難しいかもしれないけど、前線で戦うには十分以上だ。歴史に名が残ってもおかしくない。
その始まりに関われたというのは、教育者としては誇らしい。
と同時に、誇るほどのことでもないという気持ちもある。
「いえいえ、頭を上げてください。私は自分の仕事をこなしただけですよ。お礼を言われるようなことではありません」
先生だからな。担当の科目での生徒の成長は望むところ、これくらいは給料の範囲内だ。
担当科目以外のことは知らない。そこまでの面倒は見られない。
日本の先生なら、担当科目以外の面倒も見ないといけないんだろうけどな。部活動とか。
あれだけ頑張ってても残業代は出ないって話だから、ほんと、日本の先生たちには頭が下がる。
「そんなことはありません! 教官は僕の、いやソウ家の恩人です! このご恩は必ずお返し致します!」
おっと、なんだか重い話になりかけてるな。そこまでの
貴族家同士の繋がりっていうのは、即ち派閥形成だからな。面倒事に発展するのは困る。
けど、ここで否定すると今以上に重い話になるかもしれない。真面目な人は、どんどん物事を大げさにしてしまう。
前世で、単なる後輩との昼休みの世間話だったはずが、いつの間にか世界情勢と社会福祉の話になってた、なんてことがあった。
そして二ヶ月後、そいつは会社を辞めて海外へボランティアに行ってしまった。そいつは意識高杉君だった。以後の消息は知らない。
コリン君が、あいつみたいに拗らせて国外へ行くなんていい出したら目も当てられない。ここは素直に受けておこう。
「ありがとうございます。教師としては、慢心せずに研鑽を積んでいただけるだけでありがたいです。これからも精進してください」
「はい、頑張ります!」
ちょっと矛先を逸らせて勉強の話に持っていってみた。学生が勉強を頑張るのは普通のことだからな。コレなら拗らせることはないだろう。
まぁ、この辺が落とし所かな。優秀だからといって多くを求めすぎるのはよろしくない。それは親や教師のエゴだ。
話を切り上げて部屋へ戻ると、内部はきれいに掃除されていた。砂粒ひとつ落ちていない。ジェイコブ君は綺麗好きか。いいお嫁さんになれるかも。
いやいや、こういう話はクラスの貴腐人予備軍を喜ばせるだけだ。掛け算も攻め受けも俺が教える義理はない。
燃料を投下して燃え広がったら火消しに困るし。感染拡大は収束させるのが大変だ。
いや、喜んでもらえるならいいのか? 需要に応えられるなら問題ない? なんだかよく分からなくなってきたな。
「おかえりなさい! 部屋の片付けは終わりました。あとは代わりのベッドをもらってくるだけです。それで、教官、申し訳ないのですが……」
荷運びね。そのくらいはお安い御用だ。けど。
「あっ、ジェイコブ! 運ぶのなら問題ないよ、僕が魔法でやるから!」
「そうですね。魔法に慣れるという意味でもコリン君に任せるのがいいでしょう」
「はい、お任せください!」
俺とコリン君の会話に、ジェイコブ君がポカンとしている。
「あ、え? ……ああっ! もしかして、魔法を使えるようになられたのですか、コリン様!?」
「うん、教官にご指導いただいたら一発だったよ! やっぱり教官はすごいね!」
「おおっ、おめでとうございます! これで、これでソウ家も安泰ですね……うぐぅ」
ジェイコブ君が感極まって泣き出してしまった。
ああ、きっと入学前に言い含められてたんだな。ソウ家の現状と未来について。『なんとしてもコリンに魔法を覚えさせてくるのだ』とか、親や子爵当代から重いプレッシャーを掛けられてたんだろう。従士の子供だもんな。子供にそんな重荷を背負わせるなよと言いたい。
「ジェイコブ、君には苦労をかけたね。でももう大丈夫。ソウ家を僕らで盛り立てていこう」
「はい、コリン様!」
なんかふたりで盛り上がってるな。ちょっと俺だけ場違い感が凄い。手持ち無沙汰だ。これも貴腐人予備軍にはいい餌なんだろうなぁ。
ん? ああ、アレがガラクタから選別したものか。結構な量があるな。
ナイフやダガー、短剣に片手剣……武器が多いのは、武闘派貴族のソウ家らしい品揃えだ。
けど、防具系は全然ないな。きっとコリン君の魔法は、防具を危険物と判断しなかったんだろう。
うん? 実は量はそれほどでもないのか? この木箱が幅を取ってるだけだな。この中身は……っ!?
「ジェイコブ君、この箱の中身は見ましたか?」
「えっ? あ、はい。青い不味そうな液体の入った薬瓶みたいなものが詰められてましたね。よく分からなかったので、とりあえず持って上がりました」
「忘れてください」
「は?」
ジェイコブ君がポカンとした顔で俺を見る。突然こんなことを言われたら、そりゃ呆気にとられるわな。でも、これは重要なことだ。
「コリン君も、この木箱のことは忘れてください。こんな箱も瓶もなかった。そういうことにしておいてください」
「え……あ、はい。教官がそうおっしゃるのでしたら。ジェイコブもそれでいいね?」
「はい。異存ありません」
「ありがとう。この箱は僕が預かります。早急に対応しなければならない用件ができましたので、今日はこれで失礼します。明日の授業で会いましょう。では」
呆気にとられるふたりを置いて、俺は木箱を持って窓から外へ出る。そのまま平面魔法の不可視平面に乗って飛び、王城へと向かう。
緊急案件だ。すぐに王様に会わなきゃいけない。面会予約はしてないけど、事前にマイクで用件を伝えておけば会ってもらえるだろう。
くそっ、なんでこんなものが出てくるんだよ。
これ、御禁制品の『ゴブリンの妄薬』じゃないか。
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